[社説]嘉手納で降下訓練 日米合意は崩壊寸前だ

 「例外」は解釈次第で緩くなり、運用次第で「常態化」する。その結果、県や地元自治体の切実な声は軽くあしらわれ、ないがしろにされる。

 嘉手納基地での米軍のパラシュート降下訓練は、19日でついに5カ月連続となった。 不可解なのは日米双方の対応である。

 読谷補助飛行場で実施していたパラシュート降下訓練は、1996年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告で、伊江島補助飛行場に移すことが合意された。

 2007年に追加合意が交わされた際「あくまでも例外的な場合」に限って、嘉手納基地での訓練が許されることを確認した。

 伊江島補助飛行場の滑走路は修復の必要があり、工事の完了までに数カ月から1年半かかるという。

 防衛省は「例外に該当する」と判断、5カ月連続の訓練であるにもかかわらず、これを認めている。

 「例外」と見なす根拠について(1)定期的でなく(2)小規模で(3)緊急の必要性に基づき(4)伊江島の滑走路の不具合が継続している-ことを挙げる。

 伊江島でのパラシュート降下訓練が練度維持のために必要だというなら、優先して滑走路の修復工事を急ぐべきではないのか。

 滑走路の不具合が長期にわたって継続すると知りながら、米軍はなぜ、工事を急がないのか。

 なぜ、県外・国外の基地を利用しないのか。

 嘉手納があるさ、という安易な姿勢が見え隠れする。

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 嘉手納基地などの騒音規制措置は「運用上の所要のために必要」な場合には、午後10時を超えて飛行できることになっている。

 その結果、何が起きているか。例外の常態化によって騒音規制措置が有名無実化しているのである。

 この構図はパラシュート降下訓練も変わらない。例外の常態化によって例外という言葉は本来の意味を失い、形骸化する。

 政府は普天間飛行場について、「世界一危険な飛行場」だと言い、「一日も早い危険性除去」を強調する。

 だが軟弱地盤の改良工事によって、返還は、はるかかなたに遠ざかった。

 その時期を明示することさえできないのに、政府は壊れた蓄音機のように「一日も早い危険性除去」と「辺野古が唯一の選択肢」を繰り返すだけである。

 無理が通れば道理引っ込む。基地問題はその典型だ。

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 米軍の存在が安全保障上重要だというのなら、全国がその負担を負わなければならない。それが嫌なら地位協定を改め、米軍の行動にも国内法を適用し、実質的な負担軽減を図ることだ。

 結局、沖縄に我慢してもらうしかないという基地押し付けの論理を、沖縄現代史研究者の故新崎盛暉氏は「構造的差別」と呼んだ。

 米軍は記者会見を開いて県民に直接、事情を説明すべきである。米軍、防衛省双方に説明責任があり、防衛省経由の説明だけで終わらせてはならない。

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