シガー・ロスの音楽とともに「どこでもない」場所へ 『スナフキン:ムーミン谷のメロディ』が示した“守る意思”

長い歴史を誇る海外生まれの児童文学、マンガ、アニメをモチーフにしたゲームを制作すること。そしてそのゲームが所謂「ガチな原作ファン」を納得させることは、どれほど困難で、価値のあることだろうか? たとえば、ミッキーマウス。たとえば、スヌーピー(PEANUTS)。たとえば、クマのプーさん。どれも半世紀以上に渡って愛されてきたキャラクターであり、「ビデオゲーム」というメディアの誕生後、幾度となくゲーム化されてきた大型IP(Intellectual Property)である。

しかし、原作の持つ魅力をスポイルせずにゲーム化された作品はあまり多くはないように思う。いや、正直に書こう。筆者はミッキーもスヌーピーもプーさんも幼少期からこよなく愛してきた者だが、少なくともその3つに関して、心から満足できるような「ゲーム化」はほとんどなかったように感じている。その多くが既存のゲームジャンルの雛形にキャラクターを無理に「はめこんだ」ようなもの、「資本主義経済」に利用されていると感じてしまうものばかりだった感は否めない。また、そうした事態が「キャラクターものあるある」といった具合に(ある種の諦観とともに)見過ごされがちだったことも、愛すべきキャラクターのゲーム化に対する不安を助長していたように思う。

■ムーミンとは?

海外発祥の大型キャラクターコンテンツとして、ミッキーマウス・スヌーピー・プーさんと並んで多くの人が思い浮かべるのは、「ムーミン」シリーズではないだろうか。

国内外で大きな人気を誇る「ムーミン」は、フィンランドの物語作家トーベ・ヤンソンが1945年に刊行した児童文学を原作とする人気キャラクターであるとともに、その作品世界の総称でもある(なんと、フィンランド国民の97%がムーミンを認知しているという)。ムーミン・トロールやスナフキンを始め、登場キャラクターの多くが広く知られている「ムーミン」はこれまでアニメーション化がたびたび行われ、二次創作も盛んな、クラシカルでワールドワイドなコンテンツ(ムーミンに対してあまり使いたくない言葉だが……)の代表格と言えるだろう。

しかし「ムーミン」のゲーム化は、冒頭に挙げたほかの海外産有名キャラクターと比べるとかなり少ない。筆者の知る限りでは、スマートフォンの位置ゲームアプリ『Moomin Move』、2009年にNintendo DSでリリースされた『ムーミン谷のおくりもの』くらいである。

■しっかりと守られた世界観

そうしてリリースされた本作『スナフキン:ムーミン谷のメロディ』は、2018年に『Morkredd』(Steam)という先鋭的な協力型パズルゲームをリリースしたHyper Gamesが開発し、スウェーデンの有名パブリッシャーRaw Furyが販売する——海外向けでは初めての——ムーミン公式ゲームである。2022年の発表時から、原作ファンからもインディーゲームファンからも大きな注目を浴びており、筆者も本作に対する期待と不安はリリースが近づくにつれて高まるばかりだった。

結論から書こう。長い開発期間を経ていよいよリリースされた本作『スナフキン:ムーミン谷のメロディ』を最後までプレイして感じたのは、その完璧な「世界」の表現とファンへの細やかな心配り、そして原作が持っている優しく力強いメッセージの発露である。

それにしても本作の描写の素晴らしさはどうだろう? ここにはスナフキンが、ムーミンが、リトルミイが、そしておなじみムーミン谷の住民たちが、最初からそこで暮らしていたかのように、いきいきと動き回っている。プレイしていると、その「ムーミンらしさ」に喜びが湧き、スナフキンとしてムーミン谷に生きている一瞬一瞬を寿ぎ、味わっていたい気持ちがふつふつとこみあげてくる。

それはもしも2001年に他界した作者、トーベ・ヤンソン氏が本作に触れたらきっとその出来に納得し、喜んでくれるのではないか……? そう思わせてくれるような圧倒的なクオリティとセンスに担保されているように思う。ここには微に入り細に入り「ここはムーミン谷だ」とプレイヤーに実感させるような強い説得力がたしかに宿っている。

■原作ファンにも、ここからムーミン世界に入る人にも

『スナフキン:ムーミン谷のメロディ』の主なゲームシステムは、基本的にはリニアで難易度低めの、オーソドックスな2Dアクションアドベンチャーと言って良いだろう。障害物を動かし、茂みに隠れている「ひらめき」を集めてレベルを上げ、さまざまな楽器で音楽を奏で、ムーミン谷の住民たちの頼まれごとをひとつひとつ解決していく。戦闘は(もちろん)なく、謎解き要素やステルスもある程度ゲームに慣れているプレイヤーであれば、頭を悩ませるようなものはない。このジャンルに慣れたプレイヤーであれば、クリアするのにそれほど時間はかからないだろう。

そんな本作の丁寧なゲームデザインはとことん無駄がなく、洗練されている。原作ファンなら、あるいはファンでなくとも、制作者が「ムーミン」という世界を「守る」ことにどれほど意識的か、伝わってくるのではないか。その繊細な心配りと確固とした意思は、ある住民の自然破壊的な行為(とはいえ、それも「ムーミン谷にとって良かれ」と為されたのだが)と、その手下である警官たちから故郷を守らんとする、主人公・スナフキンの姿に自然と重なる。

そう、本作は「スナフキンとなってムーミン谷を冒険する」というファンの夢に100%応えてくれる、「ムーミンの理想的なゲーム化」である。それは前述したキャラクターデザイン、世界観とよく調和したBGM、原作ファンも違和感なく受け入れられるテキスト(本作の翻訳は『A Short Hike』で素晴らしいローカライズを為した架け橋ゲームズ・桑原頼子氏)によるものだ。

筆者がとくに感動したのは、住民一人ひとりのセリフからスナフキンの各アクション、山中の風景や鳥や虫といった自然描写が、自分の心の中にあった「ムーミン谷」という世界と完璧に調和していることである。冒頭にも書いたように、人気キャラクターIPをゲーム化するにあたって、無理やり感や綻び、とってつけたような要素が混在してしまうことは多い。だが本作においては「ムーミン谷を散策する」「楽器を演奏する」「道中の邪魔者を回避する」といった要素がごく自然に調和し、主人公であるスナフキンの移動や各アクションも小気味よく、ストレスや違和感はまったくない。

そんなプレイフィールがあまりに心地よいために、かえって見過ごしてしまうかもしれないが、本作の持つ「自然さ」は、多くのファンの心の中に住まっている「ムーミン」を理想的なインタラクティブ作品に昇華させたという意味で、大きな称賛に値すると思う。

また、本作は「ムーミンは大好きだけど、ゲームにはほとんど触れたことがない」といったファンにも心からおすすめできる。本作をプレイした後、似たジャンルでもう少し歯ごたえのあるゲームがプレイしたくなったら、前述の『A Short Hike』や『すすめ!じでんしゃナイツ』といった海外インディーゲームの傑作もぜひ試してみてほしい。

逆に本作をプレイすることでムーミン世界の魅力に惹きこまれ、原作に触れてみたくなったプレイヤーには、新訳版ムーミン全集6『ムーミン谷の仲間たち』(講談社)『ムーミン谷の夏祭り』(講談社文庫)をお薦めしたい。本作に登場するキャラクターやエピソードがたっぷり入っているので、オリジナルのムーミン・シリーズを満喫できるだろう。

■シガー・ロスについて

最後に、本作に楽曲提供しているアイスランドを代表するポスト・ロック・バンド、シガー・ロス(Sigur Ros)について触れておきたい。

自分のような洋楽ファンにとって、シガー・ロスが本作とコラボレートしたことは大きな驚きであり、慶賀すべき出来事だった。なにしろ、シガー・ロスがビデオゲームに正式な楽曲提供するのは今作が初めてのことなのだ。

『劇場版 ムーミン谷の彗星 パペット・アニメーション(2015年)』にアイスランド出身のアーティストであるビョーク(Björk)が、そして同じくアイスランドを代表するシガー・ロスが本作に楽曲を提供していることはとても象徴的に感じる。ビョークの音楽も、シガー・ロスの音楽も、極北のように寒冷で美しい場所を想起させながらも、「どこでもない世界」をイメージして作られてきたはずだから。

ムーミンの舞台設定に関して、2018年のセンター試験で大きな話題となったことがあった。その設問は「ムーミンの舞台はどこか?」というもので、その解答が「フィンランド」とされていたことに対して多くの疑問と批判の声が上がり、ムーミン公式アカウントが声明を発表するという異例の事態となった。

この炎上に対して公式サイトが出した声明は、「ムーミン谷はフィンランドを含む実在の場所にあるものではない」というものだった。さらに駐日フィンランド大使の公式Twitter(現X)は「ムーミン谷はみんなの心の中にあるのかもしれない」と投稿した。

そう、ムーミン谷も、フィンランドを初めとする北欧のような場所でありながら、「どこでもない」場所なのだ。それはシガー・ロスが「どこでもない国のどこでもない言葉」を用いて、音楽シーンに鮮烈に登場したことと見事に呼応しているように思う。そんなシガー・ロスの楽曲を今作のテーマソングに採用した時点で、本作の素晴らしさは約束されていた。さらに言えば、シガー・ロスの存在とその音楽は、本作制作における大きな精神的支柱になっていたのではないか? 本作に関する、キャータン・スヴェインソン(シガー・ロスのメンバー)の貴重なインタビューを聴いているとそんな気さえするのだ。

■本作に伏流するメッセージ

『スナフキン・ムーミン谷のメロディ』が放つヴォイスは、戦争や差別、環境破壊の只中を生きるわたしたちにとって、いっそうシンプルに、切実に響く。それをあえて言葉にするなら、「あなたはどこにいても、いまのあなたのままでいいし、無理に自分を変える必要も、誰かに変えられる必要もない」といった力強いメッセージであるように思う。

ありふれた、昔なじみの理想論と感じる人もいるかもしれない。でも本作からひしひしと感じられるのは、「あなたの世界を守ること、壊さないこと」がどれほど困難で、価値ある行為であるかということだ。その「世界」とは、この現実世界であると同時に、わたしたちの心の中にあるイメージの世界(そう、ムーミン谷のような)である。

ここムーミン谷に通奏低音的に流れているのは、わたしたちが多様な存在であること、そして本来的に自由であることの力強い肯定と、それを守り続ける確固とした意思であるように思う。一見すると穏やかで優しい雰囲気をまとった本作は、そんな「プロテスト・ソング」を鳴らし続ける「プロテスト・ゲーム」でもある。シガー・ロスの「Untitled#1」が流れるなか、初めてムーミン谷を歩き回った感動を自分はずっと忘れないだろう。

(文=ラブムー)

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