実写ドラマではまさかの女性に…!? 『ブラック・ジャック』ドクター・キリコの活躍エピソード

ヤングチャンピオン・コミックス『Dr.キリコ~白い死神~』第1巻(秋田書店)

漫画家・手塚治虫さんの代表作の一つ『ブラック・ジャック』。2024年6月30日に24年ぶりに実写ドラマが放送予定となっており、主演を高橋一生さんが務めることが発表された。

何度も映像化されてきた不朽の名作だが、今回のドラマではブラック・ジャックのライバルキャラクターである男性医師のドクター・キリコを、性別を変え、女優の石橋静河さんが演じることでも話題となっている。

ブラック・ジャックとは相対するもう一人の“名医”、ドクター・キリコの活躍について見ていこう。

■“運命”がもたらす非情な結末…「ふたりの黒い医者」

作品の準レギュラーキャラクターとしてさまざまなエピソードに登場するドクター・キリコだが、彼が主人公であるブラック・ジャックと一線を画す点といえば、やはり“安楽死”を受け入れている点だろう。

ブラック・ジャックがあらゆる手を尽くして人を“生かす”のに対し、キリコは人々を苦しみから解放するため、ときには“死なせる”ことも必要だ……というポリシーを持っている。

そんなキリコの思想が色濃く現れるのが、「ふたりの黒い医者」というエピソードだ。

全身不随に陥ってしまったとある女性に呼ばれたキリコだったが、同時にその女性の子どもたちに依頼を受けたブラック・ジャックと鉢合わせてしまう。

母親を“生かす”べきか、“死なす”べきか……互いの思想をぶつけ合うブラック・ジャックとキリコだったが、結果的にブラック・ジャックが彼女のオペを引き受けることとなった。

神業によって母親を快復させることに成功したブラック・ジャックはキリコと再会し、あらためて互いの持論をぶつけ合うのだが、そんな彼のもとにあまりにも衝撃的な報せが飛び込んでくる。

なんと退院したはずの患者と家族が事故に巻き込まれ、死亡してしまったというのだ。医者として病魔を退けたにもかかわらず、救ったはずの命を“運命”という大きな力に奪い取られ、愕然とするブラック・ジャック。対し、キリコは医者の無力さを再度実感し、高笑いによってブラック・ジャックを痛烈に責め立てる。

命の尊さと儚さを、対峙する“ふたりの黒い医者”を通して描いた、多くのことを考えさせられる名エピソードだ。

■患者にとっての“救い”とは…「浦島太郎」

その“死神”のような風貌も相まって、作中ではいわゆる“悪役”の印象が強いドクター・キリコなのだが、一方で根の部分はブラック・ジャックと同じ“医者”であり、苦しむ人々を救いたいという強い意志を抱いていることが分かる。

そんな彼の信条が垣間見えるのが、「浦島太郎」なるエピソードだ。

今回の患者は、55年前に起こった炭鉱爆発で意識不明になってしまった男性だ。彼は肉体の老化が止まっており、事故に遭ったときの15歳の少年の姿のまま寝たきりの状態だった。

目覚めることなくただ生き続ける彼を救うべきか、それともいっそ死なせてしまうべきか……ここで再び、ブラック・ジャックとキリコの医者としての“思想”のせめぎ合いが繰り広げられる。

そして、今回もまたブラック・ジャックの卓越した腕前によりオペは成功。55年の時を経て、ようやく患者は意識を取り戻すこととなった。

誰もが安堵したのも束の間、なんと彼の肉体は急激に若々しさを失い、老化していく。なんと肉体が体験してきた55年もの時間が一気に作用し、患者は一瞬で老人になってしまったのだ。

医師たちが狼狽するなか、彼は「なぜぼくを起こした? なぜ そっとしておいてくれなかった?」と告げ、そのまま“老衰”により亡くなってしまう。

この途方もない事実に、ブラック・ジャックはもちろん、キリコまでも驚愕しうなだれてしまう。互いに“生”と“死”という異なる手段を用いてはいたものの、それでも患者を苦しみから救いたいと願った二人は、“時”がもたらす摩訶不思議な作用の前ではまるで無力だった。

患者にとって、真の意味での“救い”とはなんなのか……打ちのめされるブラック・ジャックとキリコの姿に、思わず悩まされてしまうエピソードである。

■さりげなく披露されるキリコの“死”への価値観…「小うるさい自殺者」

人を死なす医者……と聞くとなんとも物騒だが、ドクター・キリコは自身の施術に誇りを持っており、安易に“死”を選ぼうとする人間に怒りをあらわにすることもある。

そんな彼の意外な一面を覗くことができるのが、「小うるさい自殺者」というエピソードだ。

ビルから投身自殺をはかった少年を救うブラック・ジャックだったが、少年は自身を助けたブラック・ジャックのことを激しく非難した。そして、傷が癒えてからまもなく、再び自殺未遂を起こしてしまうのだ。

見かねたブラック・ジャックは、なんと自ら“死なす医者”であるドクター・キリコの元に少年を連れていく。

しかし、事情を聞いたキリコは「自殺の手伝いなど出来るかっ!!」と激怒。彼にとって“安楽死”とは難病に苦しむ患者を手助けする救済の手段であり、「俺の仕事は神聖なんだ!!」と言い放った。

はじめこそ少年を追い返そうと怒っていたキリコだったが、頑なに動こうとしない少年に根負けし、望み通り“安楽死”させることを決める。

ようやく死ねる……と安堵する少年。だが、キリコの診療所にいたもう一人の患者・千代子との出会いによって、大きく心を揺さぶられることとなる。

発作によって苦痛な“生”を強いられ安らかな“死”を望む彼女の姿を見て、生きることの意味や価値を見出していく少年。ただただ死にたいと願っていた彼は、やがて昏睡する千代子に自身の腎臓を差し出し、彼女に“生きてほしい”と願うまでに成長する。

“生”と“死”について揺れ動く少年を通じ、あらためてキリコが持つ救済に対する価値観、矜持を感じ取ることができる、実に巧みな構成のエピソードといえるだろう。

人を“死なせる医者”としてブラック・ジャックと相対するドクター・キリコは、独自の思想で人々を苦しみから解放させようと随所で活躍する。苛烈で、ときに冷徹にも思えるその言動は、ただ、患者を救いたいという医者としての“信念”ゆえのものなのである。

24年ぶりにテレビドラマ化される実写版『ブラック・ジャック』で、ブラック・ジャックとキリコの心情はどのように描かれるのだろうか。心待ちにしたい。

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