【達川光男連載#51】山本浩二監督の起用法にふてくされるワシを奮い立たせたのは…

大井競馬場でがむしゃらに走る競走馬の姿は筆者の心を動かした

【達川光男 人生珍プレー好プレー(51)】伝説の投手、津田恒実の闘病生活が始まった1991年はチームの誰もが「優勝して津田をV旅行に連れていこう」との思いで戦っていました。私もその一人です。だからと言って許されることではないのですが、首脳陣の選手起用に異議を唱えてしまったことがありました。

あれは7月3日の中日戦でのことです。スタメンマスクをかぶったのはドラフト1位ルーキーの瀬戸輝信で、先発の川口和久は3回途中5失点でKOされ、2番手の高山郁夫も2イニングを投げて4失点。6回を終えて0―11のワンサイドゲームとなり、2番手捕手として起用されたのも西山秀二でした。カープの反撃は西山の適時打1本だけで試合は1―11で大敗。私は故障していたわけでもなく、なぜ自分が起用されなかったのか納得できませんでした。

そして試合後に山本浩二監督の真意をうかがうべく、旧広島市民球場の監督室に乗り込んでしまったのです。しーんとした室内にいたのはコージさんとヘッドコーチの大下剛史さん、打撃コーチの水谷実雄さん。「なんで昨日も今日も瀬戸なんですか?」。そう単刀直入に聞くと、最初に水谷さんから「いちいち文句を言うな。偉そうに」と叱られ、コージさんには「決めるのはワシじゃ」と一喝されました。大下さんは沈黙を貫いていらっしゃったように記憶しています。

コージさんと水谷さんのおっしゃったのは当たり前のことでした。こうした選手のワガママをいちいち聞いていたらチームは成り立ちません。ベテランの私が元気なうちに後継者を育てておきたいという思惑もあったのでしょう。しかし、私にもレギュラー捕手としてのプライドがあり、つい余計なことを言ってしまったのです。

むしゃくしゃした気持ちが収まらず、夜の街を徘徊してから自宅に戻ったのは午前1時過ぎだったでしょうか。家族を起こさないようにと静かに玄関の扉を開けると、居間で女房が起きて待ってくれていて「何をはぶてとるんね?」と。ちなみに「はぶてる」とは「怒る」とか「腹を立てる」という意味の方言です。「大下さんから電話があって『明日、球場に来い』と伝えとってくれって」

もちろん球場には行きましたが、試合は降雨中止に。そして横浜への移動日となった5日だったと思います。羽田空港からの移動時に見かけた競馬場が気になったのは。試合もないし、すでに人気になっていたトゥインクルレースを見てみようと大井競馬場まで知人と足を運びました。

馬券的に勝ったのか負けたのかは覚えていません。ただ、あの日に見た競走馬の姿は印象に残っています。自分を思わせるベテランの馬がムチを入れられながら、ゴールを目指して必死に走っている。その様子を見ていたら、つまらないことで腹を立てている自分がむなしくなって「ワシもしっかりせにゃ」と心を入れ替えることができました。

と、ここで終われば美談なんですが、この話には私らしいオチがありまして…。舞台となったのは札幌です。

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