【全日本】斉藤ブラザーズ 米での学生時代、角界、マット界入りまで〝俺たちの二人三脚〟を激白

マット界で注目の巨漢双子レスラー・兄の斉藤ジュン(右)と弟の斉藤レイ

プロレス界を席巻する〝最恐双子〟の原点とは…。全日本プロレスの世界タッグ王者・斉藤ブラザーズ(ジュン&レイ=37)がインタビューに応じ、そのルーツを語った。知られざる高校・大学時代の米国留学や、相撲を志し引退するに至った裏話を披露。二人三脚で人生の荒波を乗り越え、「2023年度プロレス大賞」で新人賞を受賞した2人の絆はこうして生まれた。(構成・前田 聡)

レイ 俺たちは1986年12月19日に宮城県角田市で生まれた。父は米海軍の軍人ダニエル・エドワード・フレドリギィル。父の乗る空母が横須賀に滞在していた時、母の由美子と出会って一緒になったんだ。その後、俺たちが生まれる前に父は米国に帰らなければいけなくなり、母は日本に残る決断をして地元で俺たちを生んだ。ケンカ別れしたわけじゃないから、その後も電話や手紙でやり取りをしていた。

ジュン 父親を初めて見たのは、高校に通うために米国に渡った時だった。中学卒業時に呼ばれて「英語も身につくし、行こう」となって行ったんだ。本格的にスポーツを始めたのもこの頃だ。

レイ 父に指定された場所にわけも分からぬまま行ったら…。

ジュン アマレスの練習が始まったんだ。

レイ アメリカの高校は、シーズンごとにスポーツが変わる。俺たちはアマレスとアメフトと陸上をやって、成績もそこそこ残した。高校最後の年には所属していたアメフトのチームがモンタナ州の大会で優勝した。俺はレギュラーだった。

ジュン チームに強いヤツが集まっていてぶっちぎりで優勝して、地元の新聞にも…。

レイ 載ったな! アマレスでも州の大会で3位とかになった。

ジュン 体もどんどんデカくなって自信もついて「将来はスポーツとか格闘技でメシを食っていきたい」と思うようになったんだ。それで父親に「卒業したら日本に戻ってキックボクシングをやりたい」と話したんだ。俺はK-1が好きだったからな。でも「大学は出てほしい」と反対されて、コミュニティーカレッジに入った。日本でいう短大のようなものだな。で、俺は卒業後に少し働いてから、22歳で日本に戻ったんだ。でも、弟は俺より前に戻っていた。

レイ 俺は1年半で休学したんだ。ユーチューブで朝青龍関の動画を見たのがきっかけだ。相撲のイメージが変わって「俺もできないかな」と思った。それで調べたら入門に年齢制限があったから、父親に言って先に帰って一度、出羽海部屋に入ったんだ。でも、正式に入門する前に1週間くらいで実家に帰った。アメリカから帰ってきたばかりで、団体生活になじめなくて…。その後はアルバイトをしていた。

ジュン 俺は日本に帰って、あるキックボクシングジムで寮生のテストを受けたんだ。弟も一緒に行ったけど…。

レイ 俺は落ちた。太ってて無理だって…。

ジュン 俺だけ寮生になったけど「とにかく体重を落とせ」と言われて、毎日食べないでめちゃくちゃ走ってな。〝食べないで練習するなんて無理だ〟と思っていたら、弟から連絡があったんだ。

レイ「やっぱり相撲をやろう」と(笑い)。

ジュン 相撲なら間違いなく腹いっぱい食べられるしな。相撲も格闘技というか戦いだし、気持ちを切り替えて出羽海部屋に2人で行ったんだ。

レイ みんなビックリしていたよ。1人で出ていったら2人になって帰ってきたんだから。

ジュン 相撲は最初は順調で3年で幕下まで上がった。でも、そこから番付は上がったり下がったりの繰り返しだった。

レイ 俺も三段目に行ったが、そこから上がらなかった。ケガもあったけど、一番は気持ちだな。

ジュン 努力が足りなかった。人並み以上にはやったが、上に行く人は他人の5倍も10倍も稽古する。倍じゃあ全然、足りないんだ。

レイ それで30歳近くなって引退を決断した。

ジュン 28歳くらいで「これ以上、番付を上げるのは無理だな」と思ってしまったんだ。それで2人で話し合って、親方に引退することを伝えた。その後は一度アメリカに行ったけど、母親を一人残していたからまた日本に戻って働いたっけな。

レイ 山小屋とか、いろんなところで住み込みで働いたな。

ジュン その時に弟から、今度は「プロレスをやらないか」と誘われたんだ。もう30歳を超えていたから、最初は断ったよ。でも、あまりにしつこくて折れたというか。「どんなに厳しくても『辞める』って言うなよ」って条件でOKしたんだ。

レイ きっかけ? ユーチューブでプロレスの新人デビューを追ったドキュメントを見たんだ。それで「熱い」と思った。

ジュン お前、いつもユーチューブだな…。

レイ 俺は影響されやすいからな。その後、試合も見て「俺もできないかな」と思って、ジュンも誘ったんだよ。誘った理由? コイツ、ずっと体を鍛えていたんだよ。異常なくらい。

ジュン 相撲がダメだったモヤモヤがあって、トレーニングを続けていたんだ。

レイ それから1年くらい働きながらトレーニングをして、全日本に連絡したんだ。体の大きい人が多いイメージに俺たちは合っていると思ってな。入門テストに受かったけど練習がめちゃくちゃきつかった。最初はマット運動が苦手だった。

ジュン 受け身も慣れるまで時間がかかったな。どちらも相撲にはない動きだからだろう。実際、俺はこの頃、後ろの肋骨に何度かヒビが入ったんだよ。でも練習生が練習をできなくなったら、クビになると思って隠した。

レイ 俺はジュンに「辞めたい」って言ったことがあるんだ。俺も結構あちこち痛めてたから。そしたら「誘っといて先に辞めたら殺すぞ」って言われてな。で「本当に無理なら会社から言われるはずだ。辞めろって言われないように頑張ろう」となったんだ。

ジュン 支え合ってきた? そうだな…。俺たちは一緒にいたいわけじゃなくて「協力してやっていこう」っていう感じなんだ。だから、これから国内外団体問わずベルトを増やして、世界タッグも防衛を重ねたい。

レイ あとはリング以外の仕事もドンドンやっていきてえよな。「TAXIめし」(ミヤギテレビ)もだけど、メディアの仕事も増えたらうれしいぜ、フアーオ!

ジュン DOOM。

☆さいとう・ブラザーズ 1986年12月19日生まれ・宮城・角田市出身。兄ジュンが193センチ、116キロで、弟レイは192センチ、145キロ。大学卒業後に大相撲の出羽海部屋に入門し、09年秋場所で初土俵。17年に引退すると、20年12年の公開入門テストに合格し全日本プロレスに入団。21年6月9日の後楽園ホール大会でデビュー。23年10月に世界タッグ王座初戴冠。角田市のPR大使も務める。

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