芝居がかったあのガッツポーズは好きではないが…クロップはKOPと最も心を通わせた監督だった【英国人コラム】

覚えているのは就任会見で語られたその言葉だ。

2015年10月、解任されたブレンダン・ロジャーズの後任としてリバプールの監督に迎えられたドイツ人の指揮官は、記者団を前に自らを「ノーマル・ワン(普通の人)」と言った。ジョゼ・モウリーニョのかの有名な「スペシャル・ワン(特別な人)」を引き合いに出しての軽妙な自己紹介だった。

こうして始まったユルゲン・クロップのアンフィールドでの日々は、決してノーマルではなかった。それは、スペシャルなものだった。30年ぶりとなる悲願のリーグ優勝をもたらした。チャンピオンズリーグの制覇にも導いた。クロップの足掛け9年は、クラブの歴史のなかでも最も喜びと興奮と輝きとに満ちた時間だったはずだ。

クロップはリバプールというクラブも街も、「スカウス(あるいはスカウサー)」と呼ばれるそこに暮らす人々のことも、よく分かっていた。

産業革命の時代に港湾都市として発展したリバプールは、港の労働者がその繁栄を支えたいわゆるワーキングクラスの街で、独自の価値観を持っている。地元への帰属意識がとても強く、それが一種の閉鎖性となって中央を毛嫌いするメンタリティーが根を下ろしている。

彼らは自分たちをイングランド人ではなく「スカウス」として認識している。ファイナルの舞台に立ったとき、スカウスたちは国歌演奏をブーイングで掻き消そうとする。2年前にエリザベス女王が亡くなったとき、崩御を悼むキックオフ前の黙祷を破る野太い野次さえ上がった。

こうしたスカウスの特殊性をよく理解して、クロップは“俺たち”の一員として彼らに受け入れられた。

クロップは決してファンのことを悪く言わなかった。常に彼らの側に立った。KOP(リバプールサポーターのこと)とここまで心を通わせた監督はいないだろう。

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スカウスの心に刺さったのは、クロップのアグレッシブなフットボールもだ。ゲーゲンプレッシングでボールを奪い取り、そこから一気呵成にゴールへと押し寄せる、まるでヘビーメタルをかき鳴らすような激しいクロップ流は、スカウスの血をたぎらせる彼らにとっての“本当の”フットボールだった。

スカウスだけではない。それはイングランド人の琴線に触れるフットボールでもあった。自分のクラブの次にクロップのリバプールが好きだというファンは少なくない。僕の周りの友人・知人もそうで、ウェストハムのファンも、マンチェスター・シティのファンも、アーセナルのファンも、みんなリバプールの試合は好んで観戦する。

ちなみに、ペップのシティを観たいというファンは逆に多くない。パスを繋いで繋いで、また繋ぎ、真綿で首を絞めるように相手を追い詰めるグアルディオラのポゼッションスタイルはどうにもじれったいのだ。共感を覚えるのは、秩序立ったペップ流より、秩序を破壊するようなクロップ流だ。

もちろん、クロップを快く思わないアンチも一定数存在する。彼らが嫌うのは彼のオーバーなアクションだ。勝利のその瞬間、誇らしげに拳を突き上げる芝居がかったあのセレブレーションは僕も好きではない。負けた相手への配慮に欠けるし、見るからに傲慢だ。当然それも、クロップは計算の上でやっているだろう。そうすることで“俺たち”の感情を昂らせ、結束をより一層強固にするのだ。彼一流の深謀遠慮がそこにはあるはずだ。そうだとしても、あのガッツポーズはあまりに子どもじみている。

そんなクロップが、今シーズン限りでリバプールの監督を退任することになった。電撃発表があったその日、「2024年1月26日」は、スカウスにとって生涯忘れられない1日になっただろう。

良くも悪くも感情を揺さぶり、興奮を掻き立てたクロップがいなくなる──。心にぽっかりと穴が空いたみたいだ。

文●スティーブ・マッケンジー(サッカーダイジェスト・ヨーロッパ)

Steve MACKENZIE
スティーブ・マッケンジー/1968年6月7日、ロンドン生まれ。ウェストハムとサウサンプトンのユースでプレー経験がある。とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からのサポーターだ。スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝した。現在はエディターとして幅広く活動。05年には『サッカーダイジェスト』の英語版を英国で手掛け出版した。

※『ワールドサッカーダイジェスト』2024年4月4日号より転載

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