『フック』大人と子供の間で揺れ動くスピルバーグの心理模様

もしもピーター・パンが大人になったら…。スティーヴン・スピルバーグ監督が名作童話を題材にして、独自のストーリーを膨らませたファンタジー『フック』(91)。当時としては並外れた額の7,000万ドルを投じて製作された本作だが、世間の評価は昔も今も決して芳しいものとは言えない。それは監督本人ですら認めているところだ(*1)。

ただ、その一方で『フック』を擁護する人たちは一定数いる。当時子供だった私にとっては、登場人物がふわり空へ舞い上がるだけですこぶる楽しかったし、ロビン・ウィリアムズがロスト・チルドレンと共に勇壮な時の声を上げる様にも鼓動が高まった。さらには本作が奏でる「大人になんかなりたくない」という思いと、「大人は大人で楽しいことが待っているよ」という思いのブレンドは、これはこれで尊いメッセージとして心を捉えるものだった。

そしてもうひとつ。公開から30年以上が経過した今、改めてスピルバーグのキャリアや人生と比べながら本作を鑑賞すると、彼にとってまさに「通過儀礼的な一作」であったことが伝わってくるのである。

少年時代を忘却し、飛ぶことを忘れたピーター・パン


本作が制作される直前は、彼が『カラー・パープル』(85)や『太陽の帝国』(87)『オールウェイズ』(89)といった従来よりも大人向けな作風に挑んだ頃だった。かつて胸がドキドキするようなSFファンタジーを届けてくれたスピルバーグは、もはや子供の心を捨てたのだろうか? そこへ『フック』の到来である。確かにその映像世界は視覚的にとても楽しかった。が、そこにいちばん色濃く刻まれていたのは、スピルバーグの心理が子供と大人の間を揺れ動く様子そのものだった。

『フック』(c)Photofest / Getty Images

ロビン・ウィリアムズ演じる主人公ピーター・バニングは、かつてピーター・パンとして大冒険を繰り広げた人物。長らく大人になるのを拒否してきた彼も、今や家庭を持ち、子供が生まれ、その確かな幸せを守るべく仕事づけの日々を送っている。

かつての記憶は残っておらず、自分がフック船長相手に勇敢に戦ったことすら全く覚えていない。その代わり、なぜか「空を飛ぶこと」を異様に怖がり、家族に対しては「窓をきちんと閉めること」を徹底させている。

しかしそんなピーターは作中で大きな変貌を遂げる。最愛の子供たちが宿敵フック船長によってネバーランドへ連れさられたのを機に、閉ざしていたイマジネーションの扉を押し開き、見えなかったものをしっかりと見つめ、そして自分の可能性を信じて空を飛ぼうとする。そうやって一度は別れを告げた子供時代と邂逅を遂げるのであるーーー。

スピルバーグのライフステージの変容と重なる


実は、スピルバーグが「ピーター・パン」の映画化を思い描き始めたのは80年代序盤のこと。一時は、マイケル・ジャクソンを主演に据えて映画化できないか可能性を探った時期もあったようだ。しかしなかなか実現には至らなかった。

そうしているうちに、独身だった彼はエイミー・アーヴィングと結婚し、二人の間には子供が生まれた。映画への情熱を捧げ続けてきた永遠の少年は、ついに父親になったのだ。だがその後、結婚生活は長く続かず、89年には離婚を決意するに至る。

そこから91年のケイト・キャプショーとの再婚で家庭生活の再出発を図るわけだが、こういった中で製作された『フック』には、スピルバーグが家族を築こうとする姿勢や、父親とは何か、自分はどうあるべきかを自答する心理模様がメタのレベルで刻まれているように思える。

『フック』(c)Photofest / Getty Images

我が子への思いと、実父への思い


また、スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』(22)を見ると改めてよくわかるように、他でもない彼自身が、両親の離婚という問題に思い悩みながら育った子供だった。加えて『E.T.』(82)が、「離婚」や「父親の不在」といった要素が少年の心に与えた影響を繊細に綴った作品であることは、今となっては誰もが知るところだろう。

HBO制作のドキュメンタリー『スピルバーグ!』(17)によると、父母が離婚した時、何も明かさず家族のもとから去った父のことをスピルバーグと妹たちは長らく拒絶し続けたという。(実際には『フェイブルマンズ』で描かれていたように、母と父の親友との関係も離婚の一因だった)。

もしかすると、『フック』におけるピーターと息子の関係性には、スピルバーグと我が子のみならず、かつて家族のもとを去った実父との関係性さえもが二重に投影されているのかもしれない。興味深いことに「父性の回復」や「父との和解」というテーマは89年に製作された『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』でも如実に描かれている。

子供ならではの創造性と大人になった喜びを、どちらも抱きしめる


かくも世界中の子供が知るファンタジーを、スピルバーグの個人的な物語へと変容させた『フック』は、上映時間も144分とかなり長めで、子供向けの純然たるエンタテインメントとしてはやや不格好。だが、お腹にでっぷりと肉の付いたピーター・パンこそが当時のスピルバーグにとって興味の対象であり、掘り下げるべき対象だったことを考えると、本作は不格好な分だけ“リアル”が詰まっているように思える。

中でも胸が熱くなるのは「時間」や「時計」を引き合いに出すくだりだ。フック船長が時計を嫌うのと並行して、ピーターもまた、妻から時間についてこう諭される。「子供たちはやがてすぐに成長して、私たち親のことになんて目もくれなくなる。家族が一緒に過ごせるのは今しかない。あなたは仕事一筋なのを言い訳に、せっかくの貴重な時間を無駄にしているのよ」

そしていつしか、彼の胸中にありありと蘇るのは、かつて我が子の誕生を満面の笑みと幸福感で迎えた時の記憶だ。大人と子供の間を彷徨っていたピーター・パンは「そうか、僕は父親になりたかったんだ!」と一つの結論に達する。

『フック』(c)Photofest / Getty Images

重要なのは、これが子供時代の否定ではないということだ。否定して次の段階へ向かうのではなく、昔も今も、どちらも大切なもの、尊いものとして全力で抱きしめる。

そうやって子供の頃のイマジネーションを持ち続け、なおかつ家族を守る父親でもあるという「自分らしいあり方」をようやく見つけたピーターは、より自由に、より気高く、無邪気に空を飛ぶ。ネバーランドへと通じる窓は、いついかなる時も開きっぱなしで構わないのだ。

これが傑作か秀作か凡作かはどうでもよいこと。スピルバーグはこの直後、何かが吹っ切れたかのように、大きな転機となる『ジュラシック・パーク』(93)と『シンドラーのリスト』(93)の製作へと向かう。と同時に、ケイト・キャプショーや子供たちと温かな家庭を築いていく。

その意味でこの『フック』は、スピルバーグにとって新たな時代の始まりを意味する一作だったのではないだろうか。

*1、参照:

https://www.denofgeek.com/movies/why-steven-spielberg-was-unhappy-with-hook/

参考資料

映像『スピルバーグ!』(2017/アメリカ) 監督:スーザン・レイシー

書籍「スティーブン・スピルバーグ」ダグラス・ブロート著、栗山微笑子訳(新コー・ミュージック/1995年)

文:牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。

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