ラグビー元日本代表SH田中史朗が今季限りでの引退を発表 将来の夢は「日本代表のヘッドコーチ」

今季限りの引退を発表した田中史朗

ラグビーの元日本代表SH田中史朗(39=東葛)が24日に都内で記者会見し、今季限りで現役を引退すると発表した。日本代表で歴代7位となる75キャップを記録し、W杯3大会に出場。世界的強豪・南アフリカから大金星を挙げた2015年イングランド大会や初めて世界8強入りを果たした19年日本大会でも活躍した。「小さな巨人」と呼ばれた田中は本紙インタビューにも登場し、数々のエピソードを告白していた。

身長166センチと小柄ながら屈強な男たちの中で奮闘し、日本ラグビーをけん引した。引退を決断した理由について「本当に体がキツイというのが一つ。限界を感じた」とし「この小さな体でここまでできたこと、新しい日本の歴史を築けたことは誇り。17年間という長い現役生活でしたが、最高に幸せな時間だった」と涙をにじませた。

日本ラグビー界にとって大きな転機となった15年W杯1次リーグ初戦南アフリカ戦の勝利だ。当時の田中はあえて嫌われ役に徹し、チームを引き締めていたという。本紙インタビューで「チーム内でいろいろ言ってケンカもしたけど、そこで意識がガラッと変わった」と告白。ささいなミスでも同僚を叱責し、言いにくいことも口にした。チーム内の風通しを良くすることで、選手間の結束力を高め「ブライトンの奇跡」につなげた。

自国開催となった19年大会で日本は初のW杯8強入りを果たしたが、ここでも田中はチームを引っ張った。ベテランとなり、出場機会が限られていた中でも「34歳のオッサンが必死にプレーすれば、周りもおのずと『やらなあかん』と思うはず」と語っていたように、練習では誰よりもフルパワーで取り組み、若手よりも走り込むなど、意識の高さを示した。

また大会後にはテレビ番組などに出演するたびに涙を見せたことから日本代表プロップ稲垣啓太の“絶対に笑わない男”にひっかけて“絶対に泣く男”として世間からも大きな注目を集め「ちょっと恥ずかしいけど、泣いているのは事実。泣くことでも、いろいろな方にラグビーを知ってもらえるのはうれしい」とコメントするなど、常にラグビー界のさらなる発展も考えてきた。

今後はチームのアカデミーでコーチを務め、小中学生を指導する。会見では本紙インタビューで語っていたように「将来は日本代表のヘッドコーチをやってみたい」と宣言した。ドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった京都・伏見工高(現京都工学院高)の出身。小さな体で経験した“世界”を後進に伝えていくはずだ。

☆たなか・ふみあき 1985年1月3日生まれ。京都府出身。京都・伏見工高(現京都工学院高)から京産大を経て2007年に三洋電機(現埼玉)入り。13年には日本人初となるスーパーラグビーのハイランダーズ(ニュージーランド)でプレー。日本代表は75キャップ。W杯は11年から3大会連続出場。19年大会では初の8強入りを果たした。元バドミントン選手の智美夫人と1男1女。166センチ、75キロ。

© 株式会社東京スポーツ新聞社