「走るのも盗塁も好きじゃない」 大怪我で突然“消えた”盗塁王、西武・若林楽人の意外な告白

1年目に鮮烈なデビューを飾った西武の若林楽人、意外な言葉の裏側を聞いた【撮影:羽鳥慶太】

2021年の春、44試合で20盗塁を記録した若林は突然1軍から消えた

プロ野球・西武の若林楽人外野手は、左足の前十字靭帯損傷という大怪我から完全復活を目指すプロ4年目。1年目には開幕早々に定位置を奪い、わずか44試合で20盗塁を記録するというあまりに鮮烈なデビューを飾った。復活への過程を聞く中で出てきたのは「走るのが好きじゃない」「盗塁も好きじゃない」という意外な言葉だ。選手は自分の武器をどう見つけ、育てていくべきなのだろうか。言葉の裏側を聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部 羽鳥慶太)

「もともとは、走るのが好きじゃないんです」「盗塁、好きじゃないんですよ本当は」

1年目の若林が見せた鮮烈な活躍を覚えているファンにとっては、何とも意外な発言ではないだろうか。44試合で20盗塁とタイトル争いを独走したシーズンは、5月末の怪我でプッツリ途切れた。完全復活を目指す4年目、若林に自身の強みを問うと、返ってきたのが最初の言葉。盗塁は、突然「与えられた」武器だった。

「足はもともと、自分の武器ではなかったんです。あの時はできすぎていたと思います。緊張もあって、アドレナリンが出ていたのかもしれませんね」

こう振り返るのは、1年目の春のキャンプ。一塁からスタートを切り、二塁到達までのタイムを測る練習があった。そこで出たのは、チームトップどころか「プロの世界でも1、2を争うタイム」だった。俊足巧打の選手だった小関竜也コーチ、黒田哲史コーチからかけられた「足で稼げるように、練習しよう」という言葉に、その気になった。

「そんなことあるの? って驚きましたよ」。プロ入り前、足を売りにしようとは全く頭になかったという。自分の長所は、駒大4年秋にシーズン4本塁打を記録した長打力と、外野守備だと思っていた。だから何度も繰り返す。「盗塁、好きじゃなかったんです。スライディングにしてもうまくないですし。それは今でも思っています。こういうアピールの方法があるんだという感じでしたね」。自分が得意だと考えることと、周りが見て上手なことはまま違う。そして1年目のスタートから、与えられた武器は冴え渡った。

昨オフに2度目の手術をした若林、その過程では自分の武器に迷いも生じた【撮影:羽鳥慶太】

大怪我でわからなくなった自分の武器「頭が整理できなかった」

44試合で20盗塁とリーグトップを独走する中で、落とし穴が待っていた。5月30日の阪神戦。中堅を守り、マルテの打球を処理しようとしたところで、左膝に激痛が走った。前十字靭帯損傷と診察され、すぐさま手術。翌年に1軍復帰は果たしたものの、今も完全復活へは道半ばだ。痛みはなかなか消えず、昨オフには2度目の手術。その過程では迷いも生じた。

「周りから『手術してまた走れるようになるね』って言われても、いや自分の中では……と。走りたくないんだよな……とか。一発にかけて走って、選手生活を棒に振ることもあるわけですから。頭が整理できなかった」。ストレスから帯状疱疹ができるなど体に異常もきたした。全てがイヤになったこともある。

野球が苦しくなったのは、この大怪我が初めてではなかった。駒大苫小牧高では3年時に主将を任されるなど、三塁や遊撃を守り活躍。甲子園には行けなかったものの、4年後のプロ入りを意識して駒大に進んだ。2年春から東都大学リーグ1部で試合に出場したが、毎シーズン2割前後の低打率が課題だった。「3年を終わった段階で、プロに行けるとは思っていませんでしたし、野球をやめようと思っていたくらいで……」と振り返る。本気だった。

「大学2年の秋に、大学日本代表の合宿に呼ばれたんです。だけど3年時に肋骨を折り、全く打てなくなりました。その頃は態度も悪かったと思いますよ。もう何やっても楽しくないなあと思っちゃって……。野球やめたら何をしようかなあというところまで考えていました」

再び前に進み出したきっかけは、少年時代からのチームメートに「プロを狙えるチャンスがあるのに、狙わないのはもったいないんじゃない?」と言われたことだった。「みんな、そう思っているのかなと。じゃあちょっとやってやろうかなって」。故郷の北海道に帰り、気づきもあった。「怪我が多いのは、身体能力に体の強さが追いついてないんじゃないかと思ったんです」。

1軍へ再昇格した若林、完全復活へのきっかけを求めて他人の言葉に耳を、心を開いている【撮影:羽鳥慶太】

変わるチャンスは近くにある「人の言葉とか、考え方をもらうようにしています」

時はコロナ禍。春のリーグ戦が中止になった。アピールの場が減ったと悲しむこともできたはずだが、若林の考えは真逆だった。「それでめちゃめちゃ筋トレして、振れる力がついたのが大きかったですね。あとはキャプテンを任されたことも。活力が湧くというか」。そして最大の副産物が、筋力が増して足も速くなったことだった。冒頭の、1年目のキャンプの場面につながっていく。

プロでの武器に気づけたのも、肝心な時に野球をやめてしまわなかったのも、他人の言葉に素直に心を開けたからだ。若林の実家は、北海道・白老町にある浄土真宗の「眞證寺」。いわゆる「いい話」が周りに転がっている環境で育った。その影響を問うと「あるかもしれませんね」と口にする。「いろんな人の言葉とか、考え方をもらうようにしています。ポロッと聞いたことが意外と大きいとか、あると思うんですよ。頭が硬くなってしまわないようにしています」。

今も大学時代の若林と同じように、プロや社会人野球に行きたくても、アピールかなわず道をあきらめかけている選手がいるはずだ。そんな選手たちへのアドバイスを求めると、こんな言葉をくれた。

「きっかけですよね。バッティング練習の本当に1球で気づくことがあったり。これかもというものはどこにでも転がっている。僕は4年秋のリーグ戦、初戦で本塁打を打てたんです。それがなければここにはいなかったと思います」。若林自身、今も同じだ。今季は開幕1軍を果たしたものの、4試合出場で登録抹消。その後2軍で打率.419の猛打を見せ再昇格した。完全復活へのきっかけを求めて耳を、心を開いている。

THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori

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