元セインツのウィル・スミス射殺の男に故殺罪で懲役25年の判決

ウィル・スミス【AP Photo/Bill Kostroun, File】

2016年に自動車事故の後で争いになり、元NFLスターのウィル・スミスを射殺した男が現地25日(木)、ニューオーリンズの法廷で懲役25年の実刑判決を受けた。

スミスの死に関してカーデル・ヘイズが判決を受けるのはこれが2度目だ。2016年12月に故殺罪で有罪判決を受け、その後、懲役25年を言い渡された。しかし、陪審員の評決は10対2と割れており、満場一致ではない評決は合法ではないとして、アメリカ最高裁判所によって破棄されていた。再審理を経て、ヘイズは1月に満場一致での有罪判決を受けた。

判決を言い渡す際、裁判官のカミール・ビュラスは、ヘイズに友人や家族から強い支持があることを認めた。だが続けて、ヘイズと同乗者が事故後に車を降りた時に2人とも武器を持っていたこと、対するスミスは丸腰だったことに言及している。

ヘイズのSUVがスミスの車両の後部に衝突した後、ヘイズと争いになったスミスは8発――背中に7発――銃で撃たれていた。

現在10代になったスミスの娘、リサさんは判決前に法廷で証言した人物の1人だ。それによると、リサさんの母親は銃撃後に歩けるようになるために一からやり直す必要があったといい、自分の人生の大きな節目に父親がいないことを嘆いたという。

「ヘイズさん、あなたは私の人生をめちゃくちゃにしたの」とリサさんは述べた。「あなたは私から父を奪ったのよ」

ヘイズを支持する証言者としては、母親のドーン・マンフリーさんが出廷し、スミスの死に哀悼の意を示した。「私たちの人生も、同じように永遠に変わってしまいました」と彼女は声を震わせながら証言した。目に涙を浮かべてドーンさんは裁判官を見て、「どうか御慈悲をお願いいたします」と述べた。

ヘイズは自己防衛のために発砲したとの主張を続けている。発砲したのは酔って好戦的なスミスが自身のSUVから銃を取り出したからだと言っている。ヘイズの証言によると、彼は発砲を始める前に“パン”という音を聞いたといい、スミスの妻のラクエルさんに向けて撃ってはいないと主張。ラクエルさんは脚を撃たれている。

争いが発生した当時、スミスは酔っていたことが証拠により明らかになっている。しかし、スミスが武器を持ったり発砲したりしたというヘイズの主張を裏付ける目撃者や法医学的証拠は出てこなかった。1月の再審で、被告側の弁護士ジョン・フラーはヘイズを証言台に呼ばなかったが、ヘイズの発砲が正当防衛によるものではないことを検察側は証明できていないと主張した。

当初の判決から4年以上服役しているヘイズは保証金を払って釈放された。新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大の影響もあり、再審は複数回にわたって延期され、その間は自由の身となった。しかし、1月27日に満場一致での有罪判決が出されて以降は再び拘束され、ニューオーリンズの刑務所で判決を待っていた。

破棄された2016年の判決にはラクエル・スミスさんにケガをさせた故殺未遂による有罪判決が含まれていた。1月の2度目の審理ではこの件に関しては無罪とされている。

ヘイズはすでに刑務所で4年以上服役しており、この期間に関しては猶予される。また、厳しい監督下で自宅監禁もされていた。現時点ではこの期間についてどのように扱われるかは明らかになっていない。ビュラス裁判官は刑務所の職員と話し合うと述べている。

木曜日の判決を前に、裁判所の広い廊下でヘイズの家族と友人たち24人ほどが円陣を作り、祈りをささげた。

34歳で3人の子どもの父親であるスミスはニューオーリンズ・セインツ時代にディフェンスのリーダーを務め、2005年にハリケーン・カトリーナが街を襲った際にはチームと協力して地域の人々を励ました。2006年にはチームの勝ち越しの一助となり、2010年にはスーパーボウルを制覇している。スミスはオハイオ州立大学出身で、バックアイズは2002年にナショナルチャンピオンシップ優勝を果たした。

けん引トラックビジネスを営んでいたヘイズはかつてセミプロフットボールをプレーしていた経験があり、小さい息子が1人いる。


記事提供:『The Associated Press(AP通信)』


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