「感謝は一生忘れません」 手書きの手紙に涙止まらず ホテル閉館後に分かった宿泊の真意

ホテルのロビーからは海が見渡せる【写真:Hint-Pot編集部】

1月に閉館したホテルが、3月下旬、SNS上で突じょ話題になり、アカウントのフォロワー数が一晩で5000人も増える現象が起きました。きっかけは、総支配人が公開した客からの手紙です。「心揺さぶられるエピソード」「ただ涙が出ました」と大きな反響を呼びました。ホテルは現在売りに出されており、営業再開のめどは立っていません。しかし、多大な後押しは再スタートへの大きな一歩になりました。総支配人の関野祐智さんに詳しい話を聞きました。

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「あの日にはもうわかっていたことなのですが…」 手紙で知った真実

「誰もいないホテルのフロントに
無造作に置かれた封筒の数々。
請求書と意味のないDM。

その中に手書きの封筒が・・・。

涙が止まりませんでした」

3月26日、関野さんが公開したのは、宿泊客からの1通の手紙でした。

昨年8月に家族で宿泊したというゲストで、その日はちょうど5歳の娘の誕生日でした。手紙は娘の母親からで、支配人やスタッフから心からのお祝いを受けた様子がつづられていましたが、読み進めると、予期せぬ展開になります。

「来年も、と思っておりましたが、今月、娘は小児がんのために旅立ってしまいました

あの日にはもうわかっていたことなのですが、家族そろっての旅行が最後思い出となってしまいました」

関野さんは夕食時にサプライズのバースデーケーキが登場した際の動画を公開。生サックスの演奏が引き立て、モザイク越しにも、娘のうれしそうな様子が伝わってきます。しかし、このとき、大病に侵されているとは思いもよらないことでした。

手紙はなおも続きます。

「先日、娘の遺品を整理していたところ見覚えのないキーホルダーが出てきました。買ってあげたことがないので、きっとそちらで頂いたものだと思います。よく見たらケースに『熱川温泉ブルーオーシャン』と印刷がありました。

娘が大事にしていた箱の中から出てきた宝物です」

誕生日が特別に楽しかったのでしょう。体調がよくなったら…、病気が治ったら…、また訪れたいと思っていたに違いありません。

娘に先立たれた夫婦はいつかもう一度、ホテルに宿泊することを考えていました。その矢先に知ったのが、ホテルの閉館です。

「娘との最後の思い出をつくって頂いたことへの感謝は一生忘れません。ほんとうにありがとうございました」と感謝の言葉が添えられ、「もし再開することがありましたらその時は必ず宿泊させていただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします」と結ばれていました。

ゲストにここまで愛されたホテルはどのようなホテルだったのでしょうか。そして、なぜ閉館せざるを得なくなってしまったのでしょうか。

その答えを探しに、熱川温泉ブルーオーシャンを訪れました。

駅からやや離れた海岸線沿いに立つ【写真:Hint-Pot編集部】

「なんとか再生してくれないか」 総支配人として赴任したが…

伊豆急行「伊豆熱川」駅から海に下り、海岸線を右に進むと、ホテルの建物が見えます。

取材は館内で行いました。閉館したとはいえ、雑然としたところはありません。フロントやロビーはきれいに清掃されているようです。大きな窓からは海が一望でき、ライトをつければ、すぐにでも営業を再開できそうでした。

総支配人の関野さんは、2022年9月に着任しました。

「稼働も上がっていかないし、売り上げも上がっていかないので、なんとかこのホテルを再生してくれないかと、私が沖縄にいるときに友人から連絡がありました。数字を見る限りは全部真っ赤っ赤で、黒字の月なんか年に1か月ぐらいしかない。そんな状態でした」

ちょうどコロナ禍の真っただ中。ホテルの経営状況は苦しく、年間6000万円もの赤字を計上していました。

「ホテルっていろんな形があるんですけど、このホテルの場合は投資家がずっと持ち続けています」

投資家が運営会社を決め、その指示のもと、ホテルの営業を行う形態でした。

沖縄では金融関係の仕事をしながら、ホテルをゼロから立ち上げた実績もある関野さん。機械やタッチパネルを導入し、ホテルの無人化を徹底した経験もありました。投資家から託されたのは、経営の立て直しでした。

熱川温泉ブルーオーシャンは全71室の中規模ホテルです。赴任してまず取り組んだのはスタッフの意識改革でした。

接客業の代表格であるホテル。いくらコスト削減を進めようと、対人サービスが最重要なのは言うまでもありません。しかし、60年の歴史がある老舗ホテルの裏側は、必ずしもスタッフが働きやすい環境とは言えなかったと指摘します。

手紙が置かれていたフロント(右)【写真:Hint-Pot編集部】

外国人スタッフを大量採用 目に見えた変化と希望

「古いホテルってみんなそうなんですけど、いろんな派閥があるじゃないですか。例えば何年も前からいるスタッフが牛耳っている世界があって、癒着こそなかったですけど、その弊害がありました。清掃のトップの人がすごくうるさくて、新しい子を入れてもみんなクビにしているとか、これもどこのホテルにもあるんですけど、レストランに女の子がいたとか“お化け出る伝説”みたいな話をペラペラ言う人がいるんですよ」

外国人に繰り返し意味のない労働をさせたり、宿泊客のためのロビーの一角にふとんを敷いて寝ているスタッフもいました。

「もうめちゃくちゃです。むちゃくちゃなことがいっぱいあって」。周囲に悪影響を与えたり、マイナス思考なスタッフでは、経営再建という大目標は達成できません。関野さんはかねて放置されていた課題にメスを入れ、雇用形態の変更を通達しました。

文字通り一からの再出発となりましたが、険しい道のりが続きました。

「求人をハローワークに出しましたし、雑誌媒体にも出しましたけど、ホテルを転々としているような人たちしか来ない。もう本当に警察はやってくるわ、あおり運転してパトカーに追っかけられるわ、トラブルばっかりで。これはやっていけないなとなって、知り合いの派遣会社から外国人を徹底的に入れていこうという方針に転換しました」

スタッフの半分以上を外国人にすると、職場の雰囲気はがらりと変わります。「その人たちは一生懸命働いてくれますし、何が一番いいかと言うと、語学が堪能なので、フロントやらせてもレストランやらせても、外国人のお客様には全くちゅうちょしない。日本人から『言葉が分からないからどうにかしろ』みたいなクレームとかもありませんでした」

希望を見いだした関野さんですが、やるべきことはほかにも山積していました。

「満室にしたいと言ったら、ここはエアコンが壊れてます、ここは窓が壊れてますみたいな感じで、71ルーム中50ルームぐらいしか使えないんですよ。予算がない現状だったので、そこを直していくところから始めたんですけど、でも、あっちは水漏れするわ、こっちは水漏れするわみたいな、そういう状態からスタートしていて、お客様が泊まって、何もトラブルが起きずにチェックアウトして帰っていただける施設にするまでに半年から8か月ぐらいかかりました」

エレベーターやエスカレーターは動いたり、止まったり。客からのクレームは日常茶飯事でした。加えて、競合ホテルとの差別化や利益率の改善はさらに大きな課題でした。

「すごく気のいい人たちに働いていただいていたので、人が育っていく。その育っていく過程の中で売り上げを上げていけば、黒字にはなるだろうと思っていました」

雨の熱川温泉は閑散としていた【写真:Hint-Pot編集部】

再建断念…そして投稿が大バズり 「このような反応になるとは」

そんな見通しを立てていた関野さんですが、3年で黒字化を目指した計画は断念することになりました。

「どうやっても利益になっていかないんですね。うちだけじゃなく世の中みんなそうで、ウクライナの問題から燃料費が高くなり、さらに食材も高くなった。食材が3割高くなれば、ホテルの値段を3割上げないといけない。最初は8000円ぐらいで、1万5000円ぐらいまで持っていったんですけど、利益を出すためには、あと4500円上げて2万円にしないといけないことになるんですね。すると、2万円でお客さん集まるのかってなると、2万円では集まらないですね」

黒字になったのは3月と8月だけ。「要は春休みと夏休みにしか黒字にならないですよみたいな状態で、それが1年半ぐらいやってきて、明らかに明確になってきた。投資家にぶつけたら、じゃあやってても赤字、閉めてても赤字なら閉めていたほうが気が楽なので閉めましょうみたいなことになって、閉めることになってしまったんです」

やむを得ない事情により、ホテルは閉館します。そして、起きたのが、SNS上の大バズりでした。

「売却されれば、次の人たちがお金をかけて、例えばメンテナンスをして再建していくっていうのが、この投資型ホテルの宿命みたいなところがあって」

そう語りながらも、関野さんの脳裏にあるのは、手紙をくれた家族のことです。

「誕生日のお客様は毎月3、4組ぐらいいたんですね。ただ、お手紙のようなご家族は1組も記憶の中にありませんでした。手紙の文面からすると、たぶんこのご家族だろうなと思い、顧客台帳を見てその方に連絡しました」

電話で突然の訃報を悼み、手紙のお礼を述べました。そして、ホテルがすでに閉館していることを改めて説明。再度、再開したら訪れたい意向を伝えられたそうです。

許可を得て投稿した内容は、多くの目に触れ、ホテルのホスピタリティーにも注目が集まりました。それは、総支配人に就任して以来、何よりも関野さんが目指していたことでした。

「このような反応になるとは、全然思っていなくて」

反響は多方面からありました。

「不動産会社から売りに出しているんだったら購入を検討させてくださいという問い合わせは来ていますし、ファンドからも見積もりして価格提供してくださいと言われています。現状は形にはなっていないです。ただ、リプライとか見ると、再建したら絶対泊まりに来ますみたいなそういう声がすごく多い。お客様の応援が形になるようなものを作っていきたいですね」

「伊豆熱川」駅からの眺め。湯けむりが立ち上る【写真:Hint-Pot編集部】

熱川温泉自体の魅力向上が不可欠 「町が活気を取り戻さないと」

追い風を受けても簡単な作業だとは思っていません。

交通アクセスのよい近隣の熱海に比べ、立地で劣る熱川温泉。

「熱川の駅周辺を見ていただいてると思いますけど、現状はああいう状態です。熱海はこの雨でも人がいっぱいいますよね。熱川は雨とか晴れとか関係なくて、全く人がいないですし、ほとんどシャッターです。ここだけ広告を打って、このホテルだけうまくいっても、あっという間に風前のともしびみたいな感じですぐダメになっていく。やっぱり町が活気を取り戻さないといけなくて、そこを改善してここの再生をしていかない限りは、ホテルが何かをやってもいいときはいいですけど悪いときは悪いみたいなことになってしまいます。熱川温泉に来る理由は温泉と言いますが、どこもみんな温泉宿に泊まるじゃないですか。そうじゃなくて、食べるものはこれで、見るものはこれで体験するものはこれだとか、そういうことを明確にしていく必要があると思っています」

エリアの観光熱をどう高めていくかは、全体で取り組むべき課題です。

それでもホテルを再開したい思いは日に日に募ります。

「ホテルライセンスはそのまま維持していますし、ライセンスに必要なものは全て維持してあります」

関野さんはホテルの復活を信じて、東伊豆を盛り上げる活動を続けています。

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