パリコレ常連モデル・KIKOが明かすリアルなモデルの世界 ロンドン・NYは変化の兆しも、パリ・ミラノはまだ…!?

オファーが絶えず、今やパリコレの常連となったモデルのKIKOさん。12歳でスカウトされ19歳で単身パリへ、26歳の現在はパリを拠点に“エシカル・モデル”として活躍。最近ではモデルとしてだけでなく、モデルの地位向上のための活動やブランドを起業するなど活動の場を広げています。

留学経験、拒食症、インターナショナル・モデルとしての活躍を経て確立した“自分”とは?ヨーロッパで人気の日本人モデルとしてのキャリアと見据えるその先、リアルな“現在地”を聞きました。

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“エシカル・モデル”を名乗る理由 パリを拠点に活動するということ

――KIKOさんがモデルになった経緯を教えてください。

12歳の時に表参道でスカウトされたのがきっかけです。今は身長が181cmありますが、その時すでに165cmくらいあったので、スカウトしてくれた方は21歳くらいだと思っていたそうです(笑)。ただ、まだ中学生1年生ということもあり、モデルの仕事をしてはいましたが部活や勉強を優先していました。もともと、「自分が何者なのか」ということについて知りたいという気持ちが強かったこともあり、高校に入ってからも友だちと一緒にキャッキャするとか、「男子にモテたい」とか、そういった周囲にフィットイン(溶け込む)するのではなく「自分らしく生きていきたい」と思うようになりました。

当時の事務所から「英語をしゃべれたらインターナショナル・モデルとして活躍できるんじゃない?」と言われたこともあり、通っていた高校にカナダへの交換留学のシステムがあったので1年間留学をしました。

――英語はすぐにマスターできたのでしょうか?

学校には日本人の生徒も結構いるので、日本人同士で固まってしまいがちなんですよね。そこでもまたフィットインしたくないという気持ちが強くなって。留学費用を親に払ってもらったからには、帰るまでに絶対に英語をマスターしたかったので、頑張って1年間で習得しました。

英語に加えてフランス語も話せるようになりたい、やはりファッションの聖地に行きたいということで18歳の時にはパリに渡りました。最初は語学学校に通い、その後にビジネススクールや大学にも通いながらモデル業をし、モデルのキャリア向上のためにアソシエーション(共通の目的や関心をもつ人々が、自発的に作る集団や組織)を立ち上げ、“エシカル・ファッション”(地球環境や人、社会にやさしいファッション)のブランドを広める活動も展開するようになりました。

――自らを“エシカル・モデル”と名乗っていますが、そう名乗るようになった理由は?

カナダに留学していた時に拒食症になってしまったんです。当時所属していた事務所から、「パリに行きたかったらこれぐらい痩せないといけない」「これぐらいの見た目じゃないとダメ、整形して」みたいなプレッシャーを毎日与えられていました。自分が受けたそういった扱いを乗り越えたからこそ、「エシカル(倫理的)」という意味を込めて“エシカル・モデル”と名乗るようになりました。

――パリを拠点にモデル活動をしていますが、苦労することはありますか?

パリでは、モデルは「マニキャン」、英語では「マネキン」と言って、オブジェクト(もの)として見られ、人間性が求められていないと感じています。モデルとしてブランド側と契約書も交わしたのに、「ちょっと見た目悪いからやめとく、帰って」と、いきなり言われたりすることもあります。

――ここ数年で、プラスサイズモデルの起用や多様性を重視するといった価値観が大きく変わってきている印象があります。モデルを取り巻く状況もアップデートしてきたという実感は?

パリやミラノはまだ全然変わっていないと言われていますが、ロンドンとニューヨークは変わってきていますね。それはもうモデルエージェンシーと話をしたら分かることで、ロンドンやニューヨークはモデルの人間性を見ていますが、パリやミラノは完全に“見た目”。

その国、クライアントによっても違いますが、大手のメゾンは歴史に誇りを持っています。私はこの前の「クリスチャン・ディオール」のクリスマスキャンペーンにも参加しましたが、そこでも感じたのはやはり“歴史”です。撮影中も緊張感があって誰もしゃべれないような雰囲気で、ダイバーシティを優先しているというよりも、「歴史に誇りを持っていいものを作る」ことが最優先されています。でも、それも変わっていかなければいけないのではと思っています。

――そんな状況でもパリに拠点をおいて活動する理由は?

それを変えたいという気持ちがあるのかもしれません。19歳からほぼパリにいていろいろ経験したうえで感じるのは、モデルというのはファッションショーの際にやっぱりデザイナーに「選ばれたい」という気持ちが強いのでどうしても立場的に弱くなってしまうということ。モデルの権利が低いという問題を変えていきたい。厳しい例を挙げると、フィッティングの時にデザイナーからいきなり体を触られたりすることもあります。昔だと、「それでも、ショーに出たいから」と、なかったことにしてしまうこともあったけれど、はっきりと「NO」と言うようになりました。

だって、「YES」と受け入れて無理やりその仕事をしても、受け入れているうちに「自分」ではなくなってしまうから。それに、お互いに人として価値観が合う中での「YES」と思える仕事は自分にも良い影響を与えると思っています。

――そういった中でモデルとして自分を表現するにはメンタルの強さが求められると思います。気持ちが折れないようにするには?

もうそういうことは通り越していて、メンタルがちょっと強すぎて「逆に大丈夫かな?」と思うこともありますが(笑)。SNSでネガティブなコメントや、家族や友だちからも否定的なことを言われたとしても、以前は気にしていましたが“自分の人生は自分のもの”なので。

もともとは私もそんなにメンタルが強くなかったんです。拒食症になった時などは本当に自分を責めてばかりいて、自分のことが嫌いで、痩せたら全てが解決すると思っていましたし、そうしてやったことで自分のことがもっと嫌いにもなりました。どこかのタイミングで「私は十分だ」と言えないと厳しいのかなと思います。

もちろん今でも「つらいな」と思う時もありますが、そういう時は本を読んだり、ジャーナル(日記)を書いて自分との対話をしたりするようにしています。自分を知ってあげるというのがメンタルにおいて1番大事なことだと思っています。

KIKOを作る毎日のルーティン、好きなもの、そしてこれから KIKOを作る毎日のルーティン、好きなもの、そしてこれから

――日々のルーティンを教えてください。

朝は6時半頃に起きてまずは水を飲んで、軽く食べてからランニングに行きます。30~40分ぐらいかけて5キロ弱を走る感じです。日々、感謝の気持ちを忘れたくないと思っていて、ランニング中には「感謝していること」を考えています。早朝のパリは人が全然いないので、健康、家族、友達…といった感謝していることを思い浮かべてたまに走りながら叫びます(笑)。

――KIKOさんがこれだけは譲れない「好きなもの・こと」は?

うーん…なんでしょう…食べ物だと日本のきゅうりが好きです(笑)。日本のきゅうりは瑞々しくておいしいですよね。帰国するたびにおいしいなと思って食べています。

――今後の目標を教えてください。

自分を大事にしないと周りも大事にできないと思っているので、「自分を大事にする」というメッセージをこうやって直接的に話すこともそうですが、非直接的にでもクリエイティビティを通して伝えていきたいです。特に日本には「自分に厳しく他人に優しく」みたいな自己犠牲が尊いという感覚がある気がしていて、でもそれって「自分を愛していない」と私には聞こえてしまうんです。自分を信じていない人ほど他人の意見を聞きたがるし、自分を信じてない人ほど 他人を否定する。

SNSでも、「どうやったら海外で活躍できますか?」「どうやったらもっと海外の仕事を取れますか?」といった相談をよくもらいます。外見は良くてもメンタルがダメになってキャリアが終わっちゃう子もすごく多い業界です。モデル業界に入りたい子に対しても、ウォーキングレッスンだけじゃなくてメンタル面でもアドバイスができるのではと思っています。この業界には10代の若い子も多いので、何も知らない子のためにちゃんとしたガイドラインがあったらいいのではと、モデルの教育や地位向上のためにワークショップやイベントを立ち上げています。

昨年には「Paris Kiko」というブランドも立ち上げて、ファッションショーも開催しました。パリからいろいろなエシカルブランドを日本に紹介していきたいし、日本とパリを繋げるような存在になっていきたいですね。

<KIKO プロフィール>

1997年、東京都出身。12歳の中学生のときスカウトされてモデルデビュー。その後カナダに留学し、インターナショナル・モデルとして活躍。深刻な拒食症を経験し、19歳の時に単身パリに渡り、エシカル・モデルとして活動開始。パリ、ロンドン、ベルリン、ニューヨークなど世界のファッションショーに出演。2023年には日本のエージェントelite Japanと専属契約し今後は母国の日本でも活躍の準備を始めている。

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