パイロット養成が任務 「標的は佐世保海軍工廠」米軍資料

 米軍は、佐世保海軍工廠を襲った1945年4月8日の空襲の記録を残している。任務報告書の要約には「標的は佐世保海軍工廠」とあった。任意団体「空襲・戦災を記録する会」の工藤洋三事務局長(74)によると、気象観測を名目にしたパイロット養成任務だったという。
 要約には、地上約9千メートルから、約250キログラムの爆弾を12発投下とあり「濃い茶色の煙が地上約300メートルまで上がったのを確認した」と記している。当時の「佐世保海軍警備隊戦時日誌」には午後0時41分、B29爆撃機1機が海軍工廠を爆撃した記述があった。
 工藤事務局長によると任務は、目的地に向かい、士気を向上するために爆弾を投下し、基地に戻る流れ。6月の佐世保空襲とは無関係という。佐世保港内に船舶が約150隻いたとの記述もあり、偵察していたこともうかがえる。
 日本側にとっては、1機でも空襲にくると警戒態勢になる。睡眠も十分に取れないなど、精神的に疲弊させる狙いもあった。佐世保が標的になったのは「海軍工廠があったためでは」と分析した。

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