【新米小屋番にききました】初めての山小屋経営「1年目と2年目」はなにが違った?!<前編>

部屋ごとのプレートを作る小屋主。プレートの杉は川根本町の道に落ちていたものを茶箱工房の大将がカットしてくれた優しい杉です(撮影:小宮山花)

2024年シーズンの営業について。

全国あちこちの山小屋から2024年の営業案内が聞こえてきましたね。毎度のことですが、営業日、宿泊料金、宿泊スタイル、予約開始日などは、静岡県のGOサインが出てからの発表となります。まだお話しできないのですよ〜。

管理人を引き継いでから、いよいよ光岳小屋は3年目の夏を迎えます。今年は小屋の修繕工事の関係で営業期間が短くなりそうですが…… 新しいサービスをもりもり計画中です!

私は管理人としては4年目となります。登山者の皆さんにとって良いことと、自分たちが気持ちよくできること、それぞれのいい塩梅を探しながら今年も張り切って進みます。

■3年目はどんな展開が待っているだろう?

初年度の小屋は、私やスタッフの「やってみたい!」や「こうしたら登山者の皆さんがゆっくり過ごせるのではないか?」という思いを詰め込んだシーズンだった。

8月の忙しい時期に入ってから、スタッフ3人全員がコロナ感染してしまって2週間の休業を余儀なくされたが、それを除けばなんとかみんなが元気に下山できた時点で上出来といえよう(小屋閉めをして「やっと登山口だ!」とホッとしたのも束の間で、停めっぱなしだった愛車のバッテリーが上がってしまい、うんともすんとも動かなかった。という最後の最後におまけもあったが)。

2年目の昨年は、小屋開け前にやってきた6月の台風で長野県側登山口までの林道が崩落してしまい、通行が禁止となるという散々なスタートだった。シーズンインまで1か月ちょっと、先が見えない中、急遽素泊まり営業に変更して、ヘリの荷上げを行った。小屋開けの準備をしている時も通行禁止の状態は変わらず。どうなるんだろう、まあ自然のことだから流れに身をまかせるしかないか、と不安と「行雲流水じゃ!」という気持ちが行ったり来たりしたっけ。

■食事提供も良し悪し?!

あれからもう2年も経ってしまったなんて、嘘のように早く日々は過ぎている。少し恐ろしいが、そんな2年間を振り返ると、食事提供をした1年目と仕方なく素泊まりに変更した2年目は、図らずもまったく別のスタイルの営業を経験する良い機会になった。

光岳小屋はまだまだプレオープン中のつもりだから、いい塩梅を探して試し続けている。前向きに言えば、別の2つを経験した結果を踏まえて、また3年目を考えることができてラッキー!

1年目は、年に1回のヘリ荷上げで準備できる食材を使い、疲れていても食べやすく、明日も元気に歩く手助けになる食事はなにかと試行を繰り返して生まれたマッサマンカレーを夕食にした。食事後は、ゴムベラでお皿を綺麗にし、残った油を拭いてから自然に優しい系洗剤で洗い物をしたが、素泊まりベースの昨年と比べると、やっぱり排水は汚れていた。疲れていても食べやすいとか体も元気になってほしいとか、もちろん目的はあるのだけど、できるだけ自然に負荷をかけないことを大事にしたいと改めて感じた。

■より山での時間をゆっくり味わってほしい

素泊まりにしてよかったこともあった。自分で食料を背負い、小屋に頼らず自炊をする自己完結型の登山者の方が増えたのだ。彼らは到着も早く、日没後に到着する方は1年目よりも格段に減った。

また、食事提供をしないため、今まで仕込みに使っていた時間を小屋周辺の環境整備に使うことができた。登山者の皆さんの過ごし方をみても、小屋の時間に合わせる必要がないので(例えば、食事の配膳の準備をするので食堂を空けてほしいとか、もう少し外にいたいのに夕食の時間だから小屋に戻らないといけないとか)、ゆったりと自分のペースで過ごせているように見えた。

小屋の時間に縛られない自由な過ごし方ができるので、素泊まりもそれはそれでいいな〜と発見があったのだった。山のいい時間と食事の時間がかぶるのは(朝日や夕日を外で見たい時間に食事だったり)、山小屋あるあるですよね。

少し話は変わるが、山で過ごしている時と街にいる私の時の流れは違う気がしている。時間も私もどこにいても変わらないはずだけど、不思議なことだ。山での時の流れはゆっくりなのかな。だから下山の時期になると、ああもう4か月も経ったのか、と恐ろしくもなる。

こうして振り返ってみると、山で過ごしている時と街にいる私の時の流れは違う気がしている。時間も私もどこにいても変わらないはずだけど、不思議なことだ。山では自然のリズムで生活しているからだろうか。時間の流れがゆっくりだ。陽が出ている間にあれこれ作業する。寝具を干していても、湿った空気が上がってくる前にさっと取り込んだりね。

また、日々の情報量も少なく(ちなみに電波も然り)、シンプルなライフラインの中で生活している。小屋を訪れる登山者の皆さんも、日々のことは麓に置いてきているような気がする。町と山の時間軸が違うと感じるのは、そういうことも理由なのかな。

久しぶりに下山すると浦島太郎が竜宮城から帰ってきたような気分だが、しばらく経つと街での生活にもすっかり慣れてしまうのだけどね。

© 株式会社双葉社