「ついに終わりか……」『進撃の巨人』『呪術廻戦』に通ずる“果てしない転落”の物語『宝石の国』完結

2012年から連載開始の人気作が完結へ

TVアニメ化もされた市川春子の人気漫画『宝石の国』が、4月25日発売の『月刊アフタヌーン』6月号(講談社)にてついに完結。『コミックDAYS』では4月29日までの期間限定で、最終話を除く全エピソードの無料公開も実施されているため、新たに読み始めるには絶好のタイミングと言えるだろう。

そこで今回は、果てしないスケールで紡ぎ出される同作の魅力について、いくつかの角度から掘り下げていきたい。

作者の市川は元々『虫と歌』や『25時のバカンス』といった短編集で異彩を放っていた漫画家だが、『月刊アフタヌーン』2012年12月号から初の長編である『宝石の国』の執筆をスタート。それから約12年にわたって連載を続けてきた。

市川の作品といえば、まるで絵画のように繊細で美しい線と、オリジナリティあふれる世界観、そして「人間とは何か」を読者に問いかけてくるような哲学的なテーマで知られる。『宝石の国』はそんな作家性がこの上なく生き生きと発揮されたファンタジー漫画だ。

物語の舞台は、はるか昔に「にんげん」がいなくなった星。そこでは色とりどりの「宝石」が、空から押し寄せる「月人」と日々戦いを繰り広げながら生活を送っている。この宝石はほとんど不老不死に近く、性別も持たないという未知数の生き物だ。さらに作中では数百年、数千年の単位で時間が流れていき、読者を想像力の極北へと連れ去ってくれる。

こうしてまとめると、のめり込みにくい物語に見えるかもしれないが、実際には読者の感情移入を誘う要素に満ちている。その要となるのが、主人公・フォスフォフィライト(フォス)の存在だ。

フォスは宝石たちの末っ子として登場するのだが、硬度が低い身体であることから、月人との戦闘では役に立たない。そして何の仕事をするにしても、やる気ばかりが先走って空回りしてしまう。その代償として、足を失って貝殻とアゲートで補ったり、腕を失って金と白金の合金で補ったり、頭を別の宝石のものと挿げ替えたりと、徐々に元の身体を失っていく。そしてそれによって、元々持っていた記憶を失い、人格にも変化が生じていくのだった。

よかれと思って行動した結果がつねに裏目に出て、状況が複雑になっていく……。まるで悪夢のような展開だが、どこまでも救いがない境遇に追い詰められていく主人公という意味では、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジや『進撃の巨人』のエレン・イェーガー、『呪術廻戦』の虎杖悠仁などに通底するところがあるだろう。

ただ他の主人公と比べて特殊なのは、“誰からも愛されない”という深い絶望の淵に置かれていることだ。

絶望を乗り越えた先にあるものは?

宝石は通常、2人組みで行動することが定められており、たんなる仕事仲間の関係を超えた“パートナー”としての絆を結んでいるのが特徴だ。そこにあるのは愛情だけではなく、いろいろな負の感情が含まれている。ボルツに対する鬱屈としたコンプレックスを秘めたダイヤモンド、パパラチアの治療に依存しているルチルなど、宝石たちの関係は複雑に入り組んでいて、だからこそ美しい。

そんななかで、フォスはどこまでいっても本質的には1人だ。次々とパートナー候補が現れるのだが、誰もが何らかの形でフォスのもとを去っていく。同じく孤独に生きざるを得ない特殊体質のシンシャとは、通じ合いそうになるのだが、そのたびにすれ違いが巻き起こる。

もちろん周囲からある程度のやさしさを向けられることはあるが、誰も本気でフォスと向き合い、フォスを求めようとはしていない。魂のパートナーが存在せず、強烈な愛情や負の感情を向けられることがないのだ。

そしてそれにもかかわらず、同作の世界においてはフォスこそがもっとも特別で、誰にも替えが効かない存在となっていく。誰の特別でもないが、みんなの特別になる……という展開は、あまりにも皮肉に満ちている。非業の運命を背負った主人公が出てくる作品のなかでも、ここまで徹底的な孤独が描写されたのは『宝石の国』くらいではないだろうか。

なぜ作者はそのような境遇にフォスを追い込んでいったのか。そして絶望的な展開の果てには、救済が待っているのか……。物語は宇宙規模のスケールで進み、誰にも予想できない領域に突入していく。実際に作品を読んで、その驚くべき世界観を味わってみてほしい。

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