被爆医師・調さんの体験語る 孫の妻・仁美さん 長崎原爆資料館

義理の祖父である調来助さん(モニター右)の被爆体験を語る仁美さん(手前)=長崎原爆資料館

 被爆者の体験を家族らが語り継ぐ長崎県長崎市の家族・交流証言者事業の定期講話が28日、長崎市平野町の長崎原爆資料館であった。平和団体「ピースバトン・ナガサキ」代表の調(しらべ)仁美さん(62)が、義理の祖父で被爆医師の来助さん(1989年に89歳で死去)の体験を語った。
 来助さんは元長崎医科大教授。46歳の時、爆心地から約700メートルの同大付属医院で被爆した。仁美さんは講話で、来助さんが被爆後、負傷者の治療に奔走したことを紹介。原爆で長男と次男の息子2人を亡くした来助さんの無念を伝えた。
 原爆症を発症しながら克服した来助さんが、生き残った医師や学生らと力を合わせ、5千人以上の被爆者に聞き取り調査をしたことも語り「被爆者の協力を得て残った貴重な記録だ」と強調した。
 仁美さんは来助さんの孫・漸(すすむ)さん(68)の妻。親族以外の証言を語り継ぐ交流証言者としても活動している。生前の来助さんから直接、体験を聞いたことはないが、来助さんが残した手書きの「原爆被災復興日誌」を読み込んだ。
 仁美さんは「祖父の存在が平和活動を始めたきっかけ。被爆80年が迫り世界情勢が危うい状況で、核の恐ろしさを考え直すことが今私たちにできること」と話した。

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