清田育宏を見て「考えを改めました」 育成24歳が果たす約束…覚悟決めた1年

オリックス・芦田丈飛【写真:北野正樹】

オリックス・芦田丈飛、覚悟の「この1年で最後」から入団の真相

プロの厳しさと、先入観で判断しないことを教わった。オリックスに育成ドラフト4位で入団した芦田丈飛投手は、元ロッテで活躍した清田育宏氏から大きな教訓を得た。清田氏とは1年間、独立リーグのルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズで同じユニホームを着た。

「はじめは、自分(清田氏)の最後の野球生活を過ごすためにヒートベアーズへ来られたと思っていたのですが、野球に取り組む姿勢を見て考えを改めました」。芦田は清田氏本人に詫びるかのように、反省の言葉を口にした。

千葉英和高-国士舘大-社会人・オールフロンティアを経てBC埼玉に入団した芦田が、そう思っても仕方がない部分もあった。清田氏は東洋大-NTT東日本を経て、2009年にドラフト4位でロッテに入団。2015年には主に「1番・右翼」で130試合に出場し、打率.317(リーグ4位)、15本塁打、67打点、15盗塁でベストナイン、ゴールデン・グラブ賞に輝き、2016年には侍ジャパンに選出された巧打の外野手だった。

しかし、コロナ禍に球団内規違反を行い、2021年にロッテから契約解除となった。2年ぶり現役復帰となった2023年3月のBC埼玉への入団会見では「もう1度、僕を応援してくださった方々にユニホーム姿を見せたいと思い、最後やらせてくださいとお願いしました」と語っていた。

清田氏は「1年間全力でやって、若い子の見本になれるように、そして若い子たちが今後プロに行けるように、僕も技術を教えたりしていきたいと思います」と続けたのだが、社会人野球を1年で辞め、プロ入りの夢を叶えるために1年限定で独立リーグに飛び込んできた芦田には、当時37歳の清田の後半の言葉は心に届かなかった。

新人投手5人が同学年、清田氏は古巣の野手コーチ就任で「僕も頑張らなくては」

ところが、練習に合流した清田氏は芦田らに「僕は1年間、君たちに野球を教えるためにやってきた」と宣言。練習では常に先頭に立ち、若い選手らがアドバイスを求めると、自らプレーを見せて打球の処理などを示してくれた。大学途中で外野手に転向するまで投手だった清田氏は、投手陣にもアドバイス。ブルペンでは打席に立って球筋や球種を確認したうえで、打者心理も含めた助言は芦田らにとって貴重なものだったという。

当時23歳でチームの年長者だった芦田が、若手選手の模範になろうと守備練習の先頭に立ちベンチの最前列で声を出し続けたのは「この1年で最後」という覚悟の思いと、清田氏の姿勢に刺激を受けたからだった。

芦田は、2023年に38試合に登板。鋭く落ちるフォークを武器に39回1/3で38奪三振、防御率3.20。清田氏も41試合に出場し、打率.315、3本塁打、23打点でチームの南地区リーグ優勝に貢献した。

オリックスに育成指名され「プロに入れるなら育成でもいいと思っていた」という芦田に、清田氏は「育成で頑張ろうと思って入っても、支配下選手と一緒にプレーしていくことに満足してしまう選手が多い。周囲に流されず、自分を見失わないことが大切だよ」と、現状に満足することなく継続することの大切さを説いてくれた。

今年のオリックス新人12選手のうち、6人は社会人出身で投手5人はいずれも同学年。5位の高島泰都投手、6位の古田島成龍投手は開幕1軍入りを果たし、7位の権田琉成投手もオープン戦に登板している。芦田は「キャンプを一緒に過ごしたのでみんなの力はわかっていますから、3人が活躍すれば希望は見えます」。清田氏は今年3月20日、BC埼玉の野手コーチに就任した。「僕も頑張らなくては……とめちゃくちゃ思います」。恩返しをするためにも、支配下選手登録を目指す。(北野正樹 / Masaki Kitano)

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