6人目のSMAP鈴木おさむが「死んだ」日「2016年の謝罪放送」と放送作家最後の日の「香取慎吾、草なぎ剛、稲垣吾郎との再会」

撮影/小島愛子

2024年3月31日、その男は筆を置いた。20年と9か月続いた国民的グループのバラエティ番組、スマスマこと『SMAP×SMAP』で放送作家をつとめ、オートーレース界に森且行が去りし後、メンバーから“6人目のSMAP”とまで言われた鈴木おさむ、その人である。
バラエティ番組『めちゃイケ』『¥マネーの虎』『お願い!ランキング』『Qさま!!』、ドラマ『人にやさしく』『M 愛すべき人がいて』『離婚しない男』など数々の大ヒット番組や、国民的な海賊マンガ「ONE PIECE」の劇場版『ONE PIECE FILM Z』の脚本などを手掛けたことで知られる彼が、SMAPの小説『もう明日が待っている』と、テレビ界への遺言ともいえる『最後のテレビ論』(共に文藝春秋)を置き土産に、放送作家を辞めるという。
なぜなのか。日本列島を笑いと感動で包み込んだ大ヒットメーカーの、断筆に至るまでの「チェンジ」と、放送作家を卒業後の「ビジョン」に迫った。(全5回 第2回)

彼らに認められたくて他の仕事もやってたんだ

――放送作家を卒業しようと思ったきっかけはなんでしょうか?

2016年のSMAP解散という大きな出来事があって、その後も、ありがたいと思える仕事をたくさんもらって、やらせていただいてはいるんですけど、自分の中で、「1個スイッチが入り切らない感じはなんだろう」と、ずっと思っていたんですね。
そのときに、自分はSMAPと20年間やってきて、彼らに負けたくないとか、彼らにとって必要な存在でいたいって、ずっと思ってやってきたんだなって。
だからこそ、自分が他の仕事を頑張ったら、他の仕事で頑張っているからこそ、彼らにとって、さらに必要とされる存在になれるんだと思って、他の仕事も頑張って来たんだということに思い至って。だから、それがなくなったときに、自分がメディアで他の仕事をしているときにスイッチが入りきらない。彼らに認められたくて、他の仕事も、やってたんだなっていうことに気づいたんです。

――張り合いがなくなってしまった?

張り合いという感じではないですね。もっと中心です。背骨みたいな感じです。張り合いじゃなくて、「そのため」に働いていたんです。自分が仕事をしている理由の一番は、それだったんだなと。

全員が傷ついて、そして今、全員が頑張っている

――放送作家を辞めるきっかけになった「チェンジ」というと、SMAPとの仕事という背骨がなくなってしまったからでしょうか?

チェンジという面からいうと、番組が終わった瞬間もそうですが、一番は、謝罪放送があった瞬間です。謝罪放送があった瞬間、小説の中にも書きましたが、「たぶん放送作家としての僕が死んだ」と。気づいてなかったですけどね、死んだことに数年。だけど、おそらく、そのときに放送作家として死んだんだと思いますね。

――小説の中にもありますが、鈴木さんがメンバーと話し合って作った本(台本)に対して、事務所のトップの1人から「強烈なダメ出し」があったことが原因でしょうか?

単純にあの放送をしてしまったことですね。あの放送をして、たくさんの人が悲しんだじゃないですか。自分も作りたくないものだったし。でも、とんでもないものが放送されて、どう考えても、あれは平成のテレビ史というか、日本の芸能テレビ史において、ある意味、歴史に残る瞬間ですよね。放送されてしまったんだから、テレビで。
だから、あの放送が流れた瞬間、放送作家としての自分が死んだんです。芸能界が変わったのは、あそこからじゃないかと思います。2016年のあの放送があって、世の中の人々の頭の中にたくさんのハテナ、疑問符がついて。「何なの、これ? おかしくない?」と思って、そのハテナがいろいろと膨らんでいって、芸能界が変わって、ついに爆発したんだと思うんですよ。
だから、あの放送って、すごいんですよね。いろんな人の“念”を背負っていると思うんだけど、あの瞬間、芸能界が変わったと思うんです。どこが変わったきっかけと言われたら、あそこじゃないですかね。

――メンバー5人も大ダメージを受けました。

メンバー全員が傷つきました。全員が傷ついて、みんな傷つき方が違うけど、全員の正義があって、全員が傷ついて、そして今、全員が頑張っていると思うんです。もちろん、スタッフも全員、傷ついたし。

慎吾クンが「SMAPを作ったうちの一人だから」

――鈴木さんが放送作家を卒業される日に、ABEMAの番組『ななにー 地下ABEMA ♯19 鈴木おさむ最後のわがまま…メンバーとの乾杯』で香取さん、稲垣さん、草なぎさんと再会して、2016年のスマスマ終了の際にできなかった「乾杯」をされていました。お酒なども飲まれていましたが、そのときの印象はどうでしたか?

自分のことを必要としてくれたんだなっていうことがわかって、うれしかったです。必要だと思ってくれていたんだなって。
「やめることがショックだった」「6人目の仲間だと思っていた」と言ってくれたことは、すごくうれしいし、「SMAPを作ったうちの一人だから」と言ってくれたのも、すごくうれしかったですね。
慎吾クンは、特に「SMAP」っていう言葉も表現しないんですが、それなのに、その言葉を口にして、僕に花を向けてくれたんですね。だから、絶対これから頑張ろうと思いました。

すずき・おさむプロフィール
1972年4月25日、千葉県生まれ。19歳のときに放送作家になり、それから32年間、さまざまなコンテンツを生み出す。2024年3月31日に、放送作家を引退。著書に『仕事の辞め方』(幻冬舎)、そして大ヒット中の『もう明日が待っている』『最後のテレビ論』(共に文藝春秋)などがある。現在は、「スタートアップファクトリー」を立ち上げ、スタートアップ企業(急成長をする組織、会社)の若者たちの応援を始めており、コンサル、講演なども行う。

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