エルピーダメモリ 坂本幸雄元社長が76歳で死去…元祖“日の丸半導体”経営者の栄枯盛衰(有森隆)

エルピーダメモリの坂本幸雄元社長(C)共同通信社

【企業深層研究】エルピーダメモリ(上)

今年3月、史上初めて4万円の大台を突破した日経平均株価は年初から7000円も急騰した。AI(人工知能)ブームを追い風に、半導体関連銘柄に買いが集中した。

株式市場が“半導体バブル”に沸き立っている最中、「半導体のプロ経営者」(日本経済新聞)と評されエルピーダメモリ社長だった坂本幸雄氏が2月14日、心筋梗塞のため亡くなった。76歳だった。

“日の丸半導体”のはしり時代の経営者だった坂本氏の栄枯盛衰をたどってみよう。

群馬県前橋市出身。1970年、日本体育大学体育学部を卒業したが、高校野球の監督になるという夢が破れ、義兄の紹介で半導体メーカーの日本テキサス・インスツルメンツ(TI)社に入社した。

徹夜もヘッチャラというタフな働きぶりが認められ、副社長にまでなった同氏は、半導体事業の再建請負人に転身する。神戸製鋼所の半導体本部長、台湾の半導体メーカーの日本法人、日本ファウンドリー(のちのUMC JAPAN)社長を務めた。

手腕を買われ、2002年、DRAM(半導体を使用した記憶素子)で世界3位のエルピーダメモリの社長に招請された。09年、改正産業活力再生特別措置法(産活法)の適用第1号に認定され、300億円の公的資金が注入された。

だが、サムスン電子、SKハイニックスなど韓国勢とのシェア争いに敗れた。市況悪化も重なり、12年2月、会社更生法を申請した。負債総額は4480億円に上った。

エルピーダの倒産は、いま振り返ってみても不可解なことばかりなのだ。会社更生法を申請した12年2月時点でも、有力取引先から注文が入っており、つなぎ資金さえ調達できれば再建は可能だったはずだ。

坂本氏は「日本政策投資銀行が100億円の融資を拒否したため会社更生法を申請した」と説明している。

法的処理の過程で、坂本氏は「“計画倒産”を仕組んだのではないか」との悪評を浴びた。自ら管財人に就いて、米半導体大手マイクロン・テクノロジーにエルピーダメモリを売却したからである。13年7月、マイクロンによる買収が完了。エルピーダはマイクロンメモリジャパンに、実に見事に変身した。

連鎖倒産した中小企業の経営者が自殺し、エルピーダの株券は紙くずになった。当然、株主は激怒。「経営破綻が予見できたのに、その直前に資金調達計画を発表。会社が存続するかのようにみせかけたのは不当だ」と主張し、坂本氏ら旧経営陣を相手取り1億1500万円の損害賠償請求訴訟を起こした。

坂本氏は批判なんかどこ吹く風。「不本意な敗戦 エルピーダの戦い」(日本経済新聞出版刊)を出版。本書で「自分の経営は間違っていなかった」と自画自賛した。被害者の怒りは一層、増幅した。

16年1月4日放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)は、同番組放送開始10周年の特別番組だった。「よくも悪くもいろいろあった10年。挑戦を続けるプロたちを描く」というテーマで放送され、坂本氏が登場した。

エルピーダは経済産業省の官僚のインサイダー疑惑の舞台になった会社でもある。12年2月27日の倒産会見で坂本氏は「(メディアが)どこからか聞いてきた話をすぐに記事にしたことが、どれだけ我々の提携交渉を妨害したことか」と八つ当たりした。本来なら成功したはずの提携交渉が進展しなかったのはマスコミのせいだと言わんばかりの発言に、倒産会見の会場から失笑が漏れた。

報道によって「提携がダメになった」というのは、天に唾するようなものだったからである。マスコミをいいように使おうとして、それに失敗した中年経営者の哀れな姿が、くっきりと浮かび上がった。 =つづく

(有森隆/経済ジャーナリスト)

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