元光GENJI・大沢樹生がSNSを突然休止した理由「復帰ライブが終わった途端、体が動かなくなってしまったんです」

大沢樹生 撮影/佐賀章広

光GENJIのメンバーとして一世を風靡した大沢樹生さん。現在は俳優や歌手として活躍中だが、ここ数年、突如、東京・北区区長選に出馬するなど世間を賑わせた。出馬の真相や、その後に訪れた心身の変化、そして、55歳のいま、大沢さんが語るTHE CHANGEとは。

「よろしくお願いします!」

取材部屋に入るや、まっすぐに右手を差し出すのは、大沢樹生さん。部屋にいるひとりひとりと、目を見て丁寧に挨拶を交わす。一瞬にして、誠実な人柄が伝わる。無造作なヘアスタイルが切れ長の美しい目元をいっそう引き立てるが、本人は「髪の毛を切る暇がなくて、伸ばしっぱなしなだけなんです。どこまで伸ばせるか、ひとりでチャレンジしています」と、茶目っ気たっぷりに話す。

今年1月1日、船上から撮影した、太陽の道が伸びる水平線を映した動画を投稿したのを最後に、音沙汰がなくなってしまった大沢樹生さんのインスタグラム。コメント欄には、「お元気ですか?」「何かありましたか?」「更新ないけど、だいじょうぶ?」「SNSの更新がないので少し心配しています」といったファンからのコメントが並んだ。

2022年12月から2023年4月にかけて、東京・北区区長選への出馬&不出馬表明など、これまでとはちがった活動を見せていただけに、ファンはよりいっそう気にかけていたにちがいない。

そのときのことについて、大沢さんは言葉を選びながら明かしてくれた。

「選挙のことがあったあと、自分が宙ぶらりんになったような、居場所がないように感じて。仕事で外出する以外は、家で静養することにしたんです。人間、どうしても不安があると悪い方向へ考えてしまいがちじゃないですか。とにかくそういったことを頭の中から消し去ろうと努力して、ちょっとでも休もうと努めたんです」

大切な人を振り回したことへの申し訳なさ

ーー芸歴40年以上で、数々の修羅場をくぐってきていると思いますが、これまでの修羅場の比ではなかった?

「そうですね。家族や事務所のスタッフにも、いろいろなことが事後報告だったりして、振り回して迷惑や心配をかけてしまって。そういった、大切な人を振り回したことへの申し訳なさもありましたしね。政治の世界は、ある意味怖いというか、戦国時代といいますか、常に自分のわきをぐっと締めておかないといけない、という緊張感も持っていましたしね」

特に家族について「妻は、いろいろと思うところがあったと思う」と、言葉少なめに振り返る。

「ただありがたいことに、その時期も地方の仕事のオファーはいただけていたので、家族も会社スタッフもいるし、いままでずっとひとりで回してきたように、そこはやりきろうと仕事をしていました」

そして昨年の夏、「とりあえず、はじめの一歩を踏み出さなければなにも動かない」と奮起した。

「ライブをやろうと決意して、準備を始めたんです。改めて芸能活動をしていくという所信表明的な気持ちを込めて。なかなか踏み出しづらかったのですが、こういうときは焦ってもしょうがないし、静かに、なにかが変わるのを待つしかない、と日々考えていました」

そして昨年12月2日に東京、そして12月22日に名古屋で、ライブを開催した。ステージで輝く大沢さんの姿にファンは安堵し、おおいに興奮し、「ミッキーにはステージが似合う!」というポジティブな声があふれた。が、誰も知らぬ水面下で、大沢さんの精神状態は悪化の一途をたどっていたのである。

「ライブに向かうときから、つらかったんです。“ライブ、できるのかな”と、正直かなりつらい状態でした。でも決まっていることだし、集まってくれているファンのためにやりたかった。いざステージに立つと、全力で走り抜くことができましたが、終わった途端、ドーンときてしまったんです」

諦めずに自分と向き合い、静かに心身を回復

ライブ中、昔から応援してくれていたファンに「なんで、政界に挑戦したの?」と素朴な疑問を投げかけられたことも、一因だった。

「そのときに、ハッとしたんです。ずっと応援してくれているファンがいるのに、今回のことで、自分のキャリアに傷をつけてしまったのかもしれない……と」

そして今年に入り、前述のとおりSNSの更新が途絶えることとなった。再開したのは3月3日。《ただいま! 長いこと留守にしてしまい大変申し訳なかったです(中略)昨年末辺りから調子を崩してしまい,仕事以外はほぼ自宅で静養をしていたものの,かなり長引いてしまいました》と、休止していた理由を綴り、回復してきたことをアピールした。

ーー静養中はどんな生活をしていましたか?

「家で動けませんでした。文字通り、体が動かない状態で、ネガティブな事ばかり考えて、ずっと暗く淀んでいて。そのせいで家も暗い雰囲気になったと思いますし、迷惑をかけてしまいました。ただ、病院にも行きましたし、ひとりでずっとベッドにいるとおかしくなってしまうので、朝7時に起きて、ウォーキングやストレッチをしたり。余計な情報は極力入れないように、テレビやSNSは控えていましたね」

ーー起きているとき、どんなことを考えていましたか?

「悪いことって、ほんとうにキリがないものなんですよね。人間だからどうしても考えてしまう。そんなときは、頭を振って、バーン! と消していました。自分自身のことにも、そこで改めて気づくわけです。これまで自分のことを二の次・三の次にしていたなあと。これからはもっと、自分を大切にしなきゃいけないと、ケアすることを意識しました」

出口の見えない底で、大沢さんは諦めずに自分と向き合い、静かに心身を回復させた。

「昔から何があっても、”諦めたらここで終わってしまう、それはちがう”と思っていました。“諦め”が見えそうになったときは、あとはもう、上がっていくだけというタイミングなんです」

その原動力は「諦めたくない」という、デビューしたときから変わらず備わり、大沢さん自身を奮い立たせてきた気力だったのだ。

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