『くるり』第4話 「考えるな、感じろ」という思想とキュンなラブコメミステリーの同時進行

なんだか記憶喪失を扱ったドラマが乱立している今クールですが、めるること生見愛瑠が記憶を失った主人公を演じる『くるり~誰が私と恋をした?~』(TBS系)も第4話。

毎度イケメン3人とのキュンなラブコメを装いながら、それぞれの男子に気づきを与えられ、ひとりの人間が“本当の自分”を再発見していく過程を描いていくガチ目の作品ですが、今回はテーマより展開に重きを置いた回となりました。キュンも多め。振り返りましょう。

■Don’t think.FEEL!

「考えるな、感じろ」

32歳の若さでこの世を去ったジークンドーの大師匠であるブルース・リーが1973年の映画『燃えよドラゴン』でおっしゃっていた言葉です。ちなみにリーは同作を全編アフレコで制作しており、アクションだけでなくセリフの聞こえ方にもこだわっていたことがうかがえます。「フィイイイイイイゥ(FEEL)」のところのリーの声、初めてこの映画を見たときからずっと耳に残っているんです。

さて、『くる恋』(と略すんだね)の話。

前回まで、記憶を失ったまこちゃん(めるる)は考えることに執心してきました。手元に残ったメンズ用の指輪を渡すはずだった人は誰だったのか、自分が働くべき職場はどんなところなのか、自分はどんな人間だったのか。本来、美しさを求めるだけの仕事であるはずのアクセサリーショップに身を置いたあとでさえ、指輪そのものの美しさよりも、その意味について語られてきました。

大人として生き直すことになったまこちゃんが、社会人として意味から考え始めることはごく自然ですし、生きていくために意味は絶対に必要なものです。もとより、過去のまこちゃんも自分の部屋には意味のないものを置かないし、着る服も「地味目」とか「デート用」とかの意味で選んでいたし、花屋の男(瀬戸康史)と付き合っていたのに花も全然好きじゃなかった。その花屋の元カレの言葉を借りて、ドラマは過去のまこちゃんを「色鉛筆の12色しかないと思っている人」と定義付けます。

今回はそんなまこちゃんが、自分が美しいと感じるものを探したいという思いに至るお話でした。

人生には意味が必要だけど、意味だけじゃ生きていけないものです。美しい、快い、落ち着く、高ぶる、エモい、アガる。意味を通り越して訴えかけてくるものを受け止めるのが人間の心であって、自分の心がどんなものを美しいと感じるかを確かめることもまた、“本当の自分”を再発見するためには必要なことなのです。

人の生涯は基本的に、痛みを避け続け、心地よいものを求め続けるようにできています。先にあるのは「感じること」であって、「感じたこと」に基づいて意味を考えていくのが本来の順序だったはずです。

『くる恋』はそうして、記憶を失った人が再び人になっていく過程を、ひとつずつ順序だてて丁寧に描いています。

■同時並行で展開を作っていく手練手管

まこちゃんが成り行きで行くことになったITイケメン・律(宮世瑠弥)とのデートで、自分なりの美しさ、楽しさを再発見していく傍ら、ドラマはラブコメ然としたキュンを散りばめていきます。夜の東京タワーの前で律にシングルアームハグされたり、花屋イケメンの元カレに花のケーキを贈られたり、ケーキに息を吹きかけたら偶然、東京タワーの消灯のタイミングだったり(アレは午前0時に消えるのだ)、自称友だちの元同僚イケメン(神尾楓珠)はまこちゃんへの好きの気持ちが抑えられなくなってしまったり。

東京タワーの下で、そんな3人のイケメンがまこちゃんの前でばったり会ってしまったり。

ラブなコメディの要素をこれでもかと詰め込みながら、さらに律とまこちゃんの過去や、まこちゃんの家族の謎というミステリー部分の情報も小出しにしていく。

マジなテーマとラブコメとミステリーを同時並行で作っていく。昨日、月曜に放送されている『366日』について「伝えたいことがないから同じシーンばっかり繰り返し使うんだ。それがあったら1分1秒だって無駄にしたくないはずなんだ」みたいなことをここのレビューで書きましたが、こういうことなんだと思いました。『くる恋』は1分1秒、まるで無駄にしてない。そういうドラマを見続けていきたいと思うし、ここまで書いてきたことがどうでもよくなるくらい、『くる恋』はおもしろい作品だと感じます。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

© 株式会社サイゾー