「俺は彼に嫉妬していた」シャックがレブロンと共闘した1年間を回想「2年早く出会っていたら、間違いなく優勝していただろう」<DUNKSHOOT>

殿堂入りセンターのシャックことシャキール・オニールは、19年間のNBAキャリアで数々のスター選手と共闘した。そのなかでも、クリーブランド・キャバリアーズでチームメイトだったレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)は特別な存在だったと振り返っている。

1992年のドラフト全体1位指名でNBA入りしたシャックは、オーランド・マジック、レイカーズ、マイアミ・ヒート、フェニックス・サンズ、キャブズ、ボストン・セルティックスと6球団でプレー。

216㎝・147㎏のシャックは1207試合に出場し、リーグ優勝4回、ファイナルMVP3回、オールスターMVP2回、得点王2回、歴代9位の通算2万8596得点、同13位の1万3099リバウンド、同8位の2732ブロック、オールNBA1stチームに8回選出。さらにNBA50周年記念オールタイムチームと75周年記念チームにも選ばれている。

そんなシャックはマジック時代にアンファニー・ハーダウェイ、レイカーズ時代にコビー・ブライアント、ヒート時代にドゥエイン・ウェイド、サンズ時代にスティーブ・ナッシュ、キャブズ時代にレブロン、セルティックス時代にポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレンと、各チームでスーパースターたちとチームメイトだった経験を持つ。

そのなかで、2009―10シーズンにキャブズで一緒にプレーしたレブロンは、特に印象が強いようだ。自身のポッドキャスト『The Big Podcast with Shaq』で「レブロンは最高のリーダーで、今まで見た中で最高の若きリーダーだった。俺は彼に嫉妬していたよ。俺が決してできないようなことをやっていたからね」と語っている。
当時37歳だったシャックは53試合の出場で平均12.0点、6.7リバウンド、1.5アシスト、フィールドゴール成功率56.6%をマーク。25歳のレブロンは76試合で平均29.7点、7.3リバウンド、8.6アシスト、1.6スティール、1.0ブロックの成績を残し、2年連続MVPのほか、オールNBA1stチームとオールディフェンシブ1stチームにも選出された。

シャック曰く、レブロンのコート内外での影響力には驚かされたという。

「コーチが『10時から練習だ』と言う。でも、レブロンが『いや、12時からだ』と言うと、『分かった、12時からにしよう』となった。マジかよと思ったね。彼は家族を(移動用の)飛行機に連れて乗せることもできた。長い間現役を続けてきたけど、これほどの権力を持ったことはないと感じたよ」

同年のキャブズはレギュラーシーズン61勝21敗でイースタン・カンファレンスの第1シードを獲得。プレーオフでは1回戦でシカゴ・ブルズに快勝したが、カンファレンス準決勝でピアース、ガーネット、アレンのビッグ3を擁するセルティックスに2勝4敗で敗れ、シャックはシーズン終了後に退団した。

「俺はロールプレーヤーだったけど、(2010年2月のセルティックス戦で)ビッグ・ベイビー(グレン・デイビス)に手を痛めつけられ(親指の靭帯断裂)、6週間の離脱を余儀なくされた。リズムやコンディションを失い、ボストンに敗れた。レブロンと2年早く出会っていたら、間違いなく優勝していただろうね。俺たちはイーストのナンバー1、誰も俺たちを負かすことはできないと思っていた」

シャックの中では晩年よりも前にレブロンと共闘したかった思いが少なからずあるようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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