横須賀の記念艦「三笠」が来艦者1千万人を突破 解体の危機直面も63年で節目 

戦前戦後とさまざまなトラブルをくぐり抜けてきた記念艦「三笠」=横須賀市稲岡町

 記念艦「三笠」(横須賀市稲岡町)が1961年5月に復元されてからの累計来艦者が1日、1千万人を突破した。現存する世界最古の鋼鉄製戦艦で、「世界三大記念艦」の一つにも数えられている同艦。ただ、戦前戦後と数々のトラブルに見舞われ、解体の危機に直面したこともあったが、復元から63年で大きな節目を迎えた。 

 三笠は1902年、英国で建造。日露戦争では連合艦隊旗艦として東郷平八郎元帥が乗り込み、05年5月の日本海海戦に勝利する原動力となったが、その後の歴史は多難だった。

 同年9月、長崎・佐世保に停泊中、火薬庫が爆発し、339人が死亡。1923年9月の関東大震災では横須賀の岸壁に衝突し、浸水が発生。沈没は逃れたものの、軍艦としては引退した。ワシントン海軍軍縮会議の廃棄艦に選ばれ、一度は解体が決まった。

 東郷らが保存運動を展開し、軍縮条約調印国の英米仏伊4カ国の同意を得て、保存が決定。護岸工事などを行い、現在地に着座させ、戦前の横須賀を代表する観光スポットとなった。

 太平洋戦争後は旧ソ連が解体を要求したが、米軍は艦体から艦橋や砲塔、煙突を撤去することで保存継続を認めた。運営を委託された民間企業は艦上にダンスホールと水族館を設け、遊興施設に。客足は遠のき、艦体はさびが目立つなど荒廃してしまった。

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