広島育ちの“バズる”外交官 ジョージア駐日大使の思い 初めて聞いた被爆体験に母国を重ね「人生を大きく変えた」

“バズる”ことで話題の駐日ジョージア大使館のティムラズ・レジャバ大使。「広島育ち」と話すように大使と広島には深いつながりがあります。

レジャバ大使といえば…

レジャバ大使のXより 『ただいま日本に帰りました。妻の第一声が「日本のお手洗いがずっと恋しかった」だったことをご報告申し上げます』 『はっぴを着てはい!オッパピー。』 『カープ明日は勝つんじゃけえ』

Xのフォロワー数は30万人以上。その投稿は、度々“バズる“ことで話題です。3月には、レジャバ大使の初めてのエッセイ集が発売されました。その本には「広島育ち」と書かれています。

4歳のころ、広島大学へ留学していた父親と共に広島に来て、幼少期を過ごしました。当時お世話になったのは被爆者で産婦人科医院を営んでいた角谷哲司さんでした。2015年にジョージアに帰国する直前、角谷先生に再び会い、初めて被爆体験を聞いたといいます。

レジャバ大使
「初めて私は被爆された方から話を聞いた。そのことによって、突如として、自分との繋がりを強く感じた。それ以降、歴史を全く違うふうに、まるで自分のことのように見るようになりました。その背景には、2008年にジョージアがロシアによる侵略を受けたがある」

「広島とジョージアで過ごしたことがあるからこそ平和に貢献したい」

ジョージアの面積は日本のおよそ5分の1。1991年のソ連崩壊によって独立した国です。ところが、2008年、ロシアによる軍事侵攻に遭いました。日本の大学に通っていたレジャバ大使が、夏休みを利用しジョージアに帰っていた、まさにそのときでした。

レジャバ大使
「そのときに戦争だったり、そういう惨事の恐怖、脅威に関して知ることになった。その経験と角谷先生の話が、重なったことによって、自分の人生を大きく変えた」

ジョージアは今でも国土のおよそ20%はロシアの占領下に置かれています。2年前、隣国ウクライナへのロシア侵攻の際は、自ら先頭に立って各国大使に抗議活動を呼びかけました。

広島と、ジョージアで過ごした自らの経験があるからこそ、平和を推進する使命があると力を込めます。

レジャバ大使
「だからこそ私は、しっかりと両方のバックグラウンドを生かして、平和活動に貢献したい。日頃から私はよく文化のアピールをしている。あるいは国同士のが親しい関係を作ると意識している。その根底には、やはり平和に繋げたいという思いがある」

「広島育ち」のジョージア大使。その“つぶやき“にはこれからも目が離せません。

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