【追悼】フジコ・ヘミングさん「今日は完璧に弾けたからすごく嬉しい」2023年、終演後にほほ笑んだ【魂のピアニスト】

「魂のピアニスト」と世界中で賞賛されるフジコ・ヘミングさんが、4月21日未明、92歳で亡くなったことが、5月2日、公式サイトで発表されました。

一般財団法人フジコ・ヘミング財団によりますと、2023年11月に自宅で転倒したあと、治療とリハビリに励み順調な経過をたどっていたところ、2024年3月に行った検査の結果、すい臓がんと診断されました。療養していましたが、4月21日に容体が急変し亡くなったということです。

フジコ・ヘミングさんは、2023年6月、岡山でコンサートを開きました。終演後、取材のために控室を訪ねると笑顔で迎えてくれました。

フジコさんは「ちょっといいかしら」とタバコを1本吸い、その日の演奏を振り返っての感想や、かつて暮らしたことのある岡山について語りました。

フジコさんが室内を歩くとき、「私は転ぶのが一番怖いの」と、とても慎重に足を運んでいたことが印象的でした。

世界中に素晴らしい音楽を届けてくれたフジコさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

その他の記事は下記のリンク、または関連リンクからご覧になれます。


(2023年の記事を再掲)
「魂のピアニスト」として世界的に知られるフジコ・ヘミングさんのコンサートが、2023年6月23日に岡山市北区の岡山シンフォニーホールで開かれました。心に染み入るようなフジコさんの演奏とインタビューです。

【動画】では「モーツァルト ピアノ協奏曲第21番」第3楽章を観ることが出来ます。

ピアノ:フジコ・ヘミング
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
オーケストラ:ベルリン交響楽団

(「RSK70周年記念ベルリン交響楽団withフジコ・ヘミング」より)

フジコ・ヘミングさんにとって、岡山は思い出の地。太平洋戦争末期、岡山県総社市に疎開していたのです。

フジコさんは、ピアニストの母・大月投網子とスウェーデン人の画家で建築家の父の間にベルリンで生まれました。幼い頃、一家で東京に移り住み、母の手ほどきでピアノを始め、その才能を開花させました。

岡山に疎開したのは、戦火が激しくなった1945年4月。疎開先の小学校のピアノで毎日練習していたといいます。

2023年6月、思い出の地、岡山で久しぶりの演奏を終えて、その手ごたえを語りました。

(フジコ・ヘミングさん)
「きょうはよく出来て嬉しいです。私、岡山は戦争中に疎開していたので、とっても懐かしい。お祖母さんの生まれた土地でもありますから、懐かしくて」

「きょうの私のモーツァルトの協奏曲は、本当にいつもどこかでミスをしていたんだけど、今日は完璧に弾けたからすごく嬉しい」

「指揮者もすごく嬉しそうに私にほほ笑んでいたから。うまくいったねって」

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