山下敦弘×枝優花『水深ゼロメートルから』対談 “キラキラ映画”ではない物語が捉えたもの

高校演劇をリブートする企画として展開された城定秀夫監督作『アルプススタンドのはしの方』(2020年)。「共感できる」と話題になり、口コミがじわじわと広がっていった前作にまた続きそうなのが、高校演劇リブート企画第2弾となる『水深ゼロメートルから』だ。

本作の舞台となるのは、“水がない”プール。普段から特別に仲がいいわけでもなく、かといって他人でもない女子高生4人が、他愛のない会話を繰り広げていくうちに、それぞれの心の本音と向き合っていく。

そんな青春のきらめきを切り取ったのは山下敦弘。日本映画史に語り継がれている『リンダ リンダ リンダ』(2005年)から約20年のときを経て、山下監督は高校生たちをどう捉えたのか。山下監督作品の大ファンを公言する枝優花監督を招き、本作の魅力を語り合ってもらった。(編集部)

●山下敦弘監督だからこそできた女子高生との“距離感”

――まずは、本作を山下監督が撮ることになったいきさつから教えていただけますか?

山下敦弘(以下、山下):まず、プロデューサーの直井(卓俊)さんから、今回のお話をいただいたんですけど、最初に印象に残ったのは「城定(秀夫)監督の『アルプススタンドのはしの方』の次です」という話で。「なるほど、城定さんの次か……」みたいなところで、まず興味が湧いたというか、「あれ、シリーズものだったのね」っていうのもあって(笑)。

――確かに。

山下:ちょっと『オーバー・フェンス』(2016年)のときに近い感じがしたんですよね。あの映画も、熊切(和嘉)監督の『海炭市叙景』(2010年)があって、呉美保監督の『そこのみにて光輝く』(2014年)があって、俺、みたいな感じだったので。そっちにまず、興味を惹かれました。

――ということは、高校演劇の映画化みたいな話は……。

山下:一応、聞いていましたけど、実は俺、舞台版のほうも観てないし、それを撮った映像も結局観ずに、舞台版の脚本だけを読んで、やることを決めて。なんか久々にやりたかったんですかね、女子高生ものを(笑)。

――女子高生もの(笑)。

山下:あと、台本を読んで、中原俊監督の『櫻の園』(1990年)を思い出したんですよね。『櫻の園』はすごい大好きなんですけど、あの映画もワンシチュエーションというか、女子高生たちの一日の話じゃないですか。ああいった感覚で作れたらいいなと思って。実際に出来上がったものはちょっと違うんですけど(笑)。最初のきっかけはそんな感じでした。

――ちなみに枝さんは、舞台版のほうを最初に観ていたんですよね?

枝優花(以下、枝):そうなんです。今回の映画版とほとんど同じキャストが演じた舞台版のほうを先に拝見していて。それを観て、グッときたんです。今回の映画版の脚本も書いている中田(夢花)さんが、実際に高校生だった頃に書いた戯曲だというのもあって、その描写が相当リアルというか、自分も少し忘れかけていた、あの頃の感覚みたいなものを思い出させるようなところがあって。だから、それを今回映画化する……しかも山下監督が映画化すると聞いて、すごく驚きました。

――驚きますよね。実際、山下監督はどのようなアプローチで本作の映画化に臨んだのでしょう?

山下:今、枝さんが言ったように、もともとの原作というか、脚本を書いている中田さんも若いし、演じている彼女たちも若いので……そのへんの等身大っていうのは、正直わからないじゃないですか。なので、細かいニュアンスは、もう彼女たちに任せたというか、彼女たちがしっくり来るようなものが、いちばんいいんだろうなって思って。正解はそこにあるというか、「俺は正解を持ってないよ?」みたいな感じでやっていました(笑)。

――(笑)。もともと高校演劇の作品で、すでに舞台版があり、それと出演者がほぼ同じというのは、なかなか難しいところもあったんじゃないですか?

山下:そうですね。だから、ぶっちゃけ、彼女たちに会うまで、全然イメージできてなかったんですよね。というか、どうするかは、実際に彼女たちと会ってから考えようと思っていて。メインの4人のうち3人は、舞台版から継続してやっている子たちなので、ある意味一回、「正解」をやっちゃっているんです。そういう子たちに、あんまり俺が「こういうの作るぞ!」って言うのも、違うのかなって思って。そうではなくて、目線を彼女たちと同じぐらいにして、「どうやって映画にしていこうか?」みたいな感じで、一緒に作っていったようなところはあったと思います。

――それは結構、珍しいパターンだったんじゃないですか?

山下:そうですね。それこそ、同じ「女子高生もの」で言ったら、『リンダ リンダ リンダ』)のときとかは……まあ、あのときは、俺もまだ若かったというか、20代だったので、もう少しカッコつけている感じがあったというか、「俺は考えてるぜ」みたいなところがあったと思うんですけど。今はもう、「若干ノープランなんだけど、どうしようか?」みたいなことを、平気で言えるようになったというか(笑)。あと今回は、時間が結構あったのも良かったんですよね。撮影日数自体はそんなになかったんですけど、一カ所でずっと撮っていたので、かなりじっくり撮れたというか、延々彼女たちとリハーサルをやっていて。

――なるほど。本作の場合、そのアプローチがすごく良かったんじゃないですか?

枝:そうなんですよね。舞台版のほうが、もう少し生々しい感覚があったような気が私はしていて。たとえば、彼女たちの会話の中で、サラッと生理の話が出てくるところがあるんです。あのくだりとかも、舞台版のほうが生々しかったというか、仮に私とかが撮ったら、多分「わかる!」みたいな感じのものになると思うんですけど、その分、男の人たちは、入り込みづらい感じになるかもなと思って。そのあたりが、今回の映画版は割とフラットだったというか、男の人が観ても「これは入れない話題だな」とならずに、「あ、そういうものなのか」と普通に観られる感じの距離感があって。だから、不思議だなって思ったんですよね。話の内容自体は、ほとんど舞台版と同じなのに、こんなに変わるものなのかと。しかも、それがちゃんと山下さんのカラーになっているところに、すごく驚きました。

山下:まあ、それは、俺が男だからっていうのもあるとは思うんですけど(笑)。これは、昔からそうなんですけど、女子をちょっとシリアスに捉えているようなところがあって。一個一個をシリアスに捉えてしまうというか、真面目に捉えちゃうところは、絶対あるだろうなって思っていて。

――必要以上に入れ込むことなく、一定の距離感を持って観察するみたいな。

山下:そう。それこそ、『天然コケッコー』(2007年)のときとかも、脚本の渡辺あやさんに、「山下さんって、結構少女を真面目に捉えているよね?」みたいなことを言われたんですよね。それが良いところでもあるんだけど、「女子って、もっと適当だよ」みたいなことを言われて、「あ、そうなんだ?」って思ったことがあって。

枝:確かに、適当なところは、結構適当かもしれない(笑)。

山下:だから、今回の映画でも、メインの彼女たちはもちろん、さとうほなみさんが演じた「山本先生」のことも、すごくシリアスに捉えたところがあって。僕からすると、先生のほうが、いろいろグッと来るところがあったんですよね。「先生、頑張ってるよな……」っていう。女子高生たちよりも、むしろ先生のほうが、なんか俺、切なくなっちゃって。

――(笑)。まあ、いちばん空回りしている役どころと言えば、そういう役どころなわけで。

山下:そう。だから、彼女たちに聞いたんですよ。「舞台版のときは、先生とのシーン、どうだった?」って。そしたら「めちゃくちゃ笑えるシーンでしたよ!」って言われて、「あ、そうだったの?」みたいな(笑)。だから、そういう若干のズレみたいなものは、きっとあると思うんですよね。まあ、それが俺のクセなのかなっていう気もしますけど。

枝:ただ、今回の映画版を観ていて私はちょうど良かったんですよね。彼女たちのことを、多少わからない生き物として捉えている感じがあるじゃないですか。そこが良かったというか、同性の場合は、わかり切っているがゆえに、彼女たちにもっと入り込んで撮ってしまうと思うんですけど、「そこはわからないから任せる」みたいな距離感が、この映画の場合、すごく良かったと思います。もちろん、山下さんが演出する中学生の男の子たちも、私は大好きなんですけど(笑)。

――『カラオケ行こ!』(2024年)も、最高でしたよね。

枝:そう! 「合唱部の和田くん」は最高でした。山下さんの「愛」を感じました(笑)。

山下:まあ、中学生男子は、俺も好きですね(笑)。ただ、『カラオケ行こ!』のときも、原作が和山やまさんで、脚本が野木(亜紀子)さんで……ちょっと中性的な感じがあったんですよね。ただ、その分、「合唱部の和田くん」って男の子に関しては、俺の知っている中学生男子というか、自分でも、あそこの部分だけ、すごい丁寧だったなっていうのはあるんですけど(笑)。

枝:明らかに丁寧でした(笑)。

山下:あれも、野木さんに言われたんですよね。「丁寧にやり過ぎじゃない?」って。「あ、バレました?」っていう(笑)。だから、ああいうときは、活き活きというか、距離を詰めて演出できるんですけど、女子高生の場合は、やっぱりそうはいかない。

●“おじさん”が観ても楽しめる『水深ゼロメートルから』

――「シンパシー」と「エンパシー」みたいな話ってあるじゃないですか。「同じだからわかる」のが「シンパシー」で、「違うけどわかる」のが「エンパシー」であるという。この映画は、間違いなく後者の映画になっているように思いました。

枝:なるほど。それは、そうかもしれない。多分、私とかが撮ったら、きっと「シンパシー」のほうが強くなっちゃう気がするんですよね。でも、この映画は、「エンパシー」のほうが強いから、排除される人が少ないような気がしていて。「シンパシー」って、もちろん大事なものだと思うんですけど、それを前面に出し過ぎると、断絶が生まれるなっていうのは、最近思っていて。

――なんとなくわかります。

枝:言い方が難しいんですけど、「当事者性」みたいなものが強過ぎると、そうじゃない人が逆に入れなくなってしまうというか、安易に共感してはいけないのかもって思ってしまうようなところがあって。だから私も、「女性ならでは」みたいなものを求められるときは、身構えてしまうんですよね。「大丈夫かな? シンパシーが強くなり過ぎて、男性の観客を排除しないだろうか?」と。自分としては、なるべくみんなに観てもらいたいというか、わかる人にだけわかってほしいと思って撮っているわけじゃないのに、「ひょっとして、そういうものを求められているのかな?」って思うようなときもあって。そういう意味で、この映画は、「エンパシー」のほうが強いから、あんまり排除されないし、それこそ女子高生からはいちばん遠いところにいる「おじさん」が観ても、普通に楽しめるようなところがあると思うんですよね。

山下:まあ、そこは、女子高生とは何も接点がない自分というか、紛れもない「おっさん」が撮った映画ではあるので、おっさんにも伝わる部分は、きっとあるだろうなとは思っていて(笑)。あと、この話って、実は主人公がいないじゃないですか。それがいいなって俺は思っていて。この子を描くために、他の子がいるみたいな構図ではないんですよね。

枝:確かに。「スクール・カースト」みたいなものを描いた話って、最近結構多いじゃないですか。この話も、最初「そういう感じなのかな?」って思って観ていたんですけど、案外そうでもないというか、意外とみんな一緒で、みんなそれぞれ、ちょっとずつ悩んでいて……。もしこれが、教室の中とかだったら、その「違い」が際立つのかもしれないけど、この話は、夏休み中の特別補習として、先生からプール掃除を指示されたっていう話じゃないですか。ってなったときに、いつも一緒にいる友達とか、部活の同期とか、自分を大きく見せるための仲間がいない分、それぞれが「個」でいるような感じがあって。そういうフラットな感じって、今まで観てきた「女子高生もの」とかでは、あんまりなかったなって思ったんです。みんなそれぞれ、タイプが違うというか、興味を持っていることも悩んでいることも違うんだけど、意外とみんな、普通にしゃべるというか。普段の教室とかだったら、そうはいかないかもしれないけど、まわりの目を気にしてなくていい分、フラットな感じの会話が、ずーっと続くっていう。そういうのって、あんまり舞台とか映画で観たことないなって思ったんです。

――観たことはないないけど、実感値としてはわかりますよね。「個」として向き合ったら、意外と普通に話せるというか。

枝:そう。グループが違うから、普段はあんまりしゃべらなかったけど、何かの機会で一対一で話してみたら、意外と話せる子だったみたいな。そういうのって、あったなって思って。そこがすごくリアルだったというか、「そうだよね。こんなもんだよね、私たち」っていう。

――そういう意味では、やっぱり中田さんの脚本が面白いんですかね。基本的に彼女たちが会話しているだけなんですけど、相手に対して決定的なことは言わないにせよ、ちょこちょこ言葉のジャブみたいなものを打っているようなところがあって。

山下:そうですね。基本的にずっとフランクな感じでしゃべっているんだけど、ちょこちょこストレートなことをお互い言い合っているというか、前半で打った軽いジャブが、ちゃんと後半、効いてきたりとかして。そのへんは俺も編集していて「あ、なるほどな」って思いました。無駄なようで無駄じゃない台詞が、実はいっぱいある。まあ、そこは中田さんの脚本が素晴らしいというか、俺は現場で、そこまで考えてなかったんですけど(笑)。

――(笑)。とはいえ、「戯曲」として書かれたものを「映画」にするために、いろいろ悩まれたところもあったんじゃないですか?

枝:映画化の話を聞いたときに、そこがいちばん大変だろうなって思いました。。

山下:そうなんですよね。やっぱり、場所が変わらないじゃないですか。メインの子たちが、水の張ってないプールの中にずっといる。正直、その画が想像できなかったんですよね。なので、クランクインの前から、現地に行ってプールの水を抜いて、そこに砂を撒いて、実際にその場所で、彼女たちと延々リハーサルをやって。ただ、そのときに、「あれ? プールって意外と面白いぞ」というか、この空間の特殊な感じに気づいたところがあったんです。もちろん、ビジュアル的には、そんなに変わり映えはしないんですけど、一個下の世界で、彼女たちがしゃべっているだけで、意外と成立するような気がして。

――引きで撮ると、ちょっと舞台的な感じもあって、結構面白い画になっていますよね。

山下:舞台っぽいと言えば舞台っぽいんですけど、この場所だから成立しているというか、さっきの枝さんの話じゃないけど、これが教室とかだったら、また違うんだろうなっていう感じがあって。野外のプールという開放感も含めて、良い感じでできたなって思っているんですよね。

枝:地面から一個下がったところにある箱型の空間に、彼女たちが押し込められているような感じが、面白いなって思いました。あと、水を抜いたプールって、意外と深いんですよね。彼女たちが、そこをいちいちよじ登って出たり入ったりするのも面白いなって思って(笑)。

山下:絶妙な深さなんだよね。深過ぎず、浅過ぎず。あと、プールに引かれたラインが、ときどき十字架っぽく見えたりして(笑)。たまに入ってくるこの十字架が、結構効いているんですよね。

枝:すごく映画的な場所になっています。やっぱり、「同じような画になっちゃうのかな?」って思っていたんですけど、そういう印象も特になくて。でも、だからと言って、めちゃくちゃ撮り方を工夫して、飽きないようにしている感じでもなく、基本的には、彼女たちの芝居をずっと撮っている。

山下:今回は、撮影も良かったなって思っているんですよね。『ハード・コア』(2018年)をやってくれた高木風太が、今回撮影をやっているんですけど、「あのときは、カメラを動かし過ぎたから、今回は俺、そういうのやんないです」って言っていて。「お、なんかカッコいいな」って思って(笑)。

――あまりカメラを動かすと、彼女たちの「空気感」や「間」が失われてしまいそうですよね。

山下:そうなんですよね。あと、予算的なところで、毎日レールを引けるとか、自由に特機を使えるような現場でもなかったので。そういうものがあると、逆にそれを使いたくなっちゃうんですけど、今回はそれもなかったから、あくまでも芝居を中心に考えていくことができて。そうやって、すごくシンプルにできたのが、良かったかなって思います。ホント、必要最低限のもので組めたというか。

――そんな本作を、枝さんとしては、どんな人たちにお勧めしたいですか?

枝:今の高校生たちというか、この映画に出てくる子たちと同世代の子が観て、どう感じるのかも気になりますけど、さっき言ったように「おじさん」じゃないですけど、「自分には、わからないだろうな」と思っている人たちこそ、観てもらいたいです。そういう人たちが観て、思わぬところで、食らうというか。私が撮った『少女邂逅』(2017年)も、そういう感じだったんですよね。まあ、最初はそういうつもりじゃなかったのかもしれないですけど、観たら結構ハマってしまって、「あの頃の痛みを思い出しました」と言ってくれる方々が結構いて……。

山下:そうなんだよね。おじさんって、意外と繊細だから(笑)。

枝:おじさんのほうが意外と少女だったというか、「おじさんの少女性を引き出したのか……」って思ったら、なんか「それもいいな」って思って(笑)。この映画も、そんなつもりじゃなかったけど、意外と刺さっちゃったみたいな感じに、きっとなるような気がするんですよね。女子にしかわからない感覚ではなく、「これは自分の話かもしれない」って、いろいろな人が思えるような映画になっている。

――そうですね(笑)。山下監督は、いかがですか?

山下:おじさんマインドに、きっと響くんじゃないかっていうのは思っています。最初に言った『櫻の園』じゃないですけど、あの映画を観ていた16、7歳の自分に観せたいなっていうのがあって。まあ、今思えば、俺はそのぐらいの歳にして、おじさんマインドを持っていたのかもしれないけど(笑)。

――(笑)。それはもはや、年齢や性別の話ではないのかもしれないですよね。概念としての「おじさんマインド」というか。

山下:そう、概念としての「おじさんマインド」(笑)。

――そういう意味では、中学生の頃に、山下監督の『リンダ リンダ リンダ』を観て衝撃を受けたという枝さんも……。

枝:そうかもしれない(笑)。

山下:そういう10代の女の子も、きっといるはずなんですよね。というか、男でも女でも、おじさんでもおばさんでも、そういうものが響く人っていうのは、きっと全国にいて。そういう人たちに、届けばいいんですけど。

枝:10代の頃の私じゃないですけど、いわゆる「キラキラ映画」に共感できなくて、ちょっと途方に暮れてしまっているような子たち。

山下:絶対いるじゃないですか。そういう人たちに刺さったら、どうなるのかなっていう。あと、10代の子たちって、やっぱりちょっと尖っているじゃないですか。

――まあ、この映画も、最終的には彼女たちが「世界」に対して「宣戦布告」するようなところがあって。

山下:そうそう。それを見て「何、言ってんだよ」って思う10代も、きっといるとは思うんですけど、その中の何人かは「そこがいちばんグッと来た」って思うかもしれないじゃないですか。そういうところまで届いたら、すごく嬉しいですよね(笑)。

(文=麦倉正樹)

© 株式会社blueprint