中村アン「バラエティはある意味“戦場”ですから (笑)」芸能界でも役に立ったチアリーディング強豪校でのキャプテン経験

中村アン 撮影/有坂政晴

ポジティブな印象で華やいだ笑顔で魅了する中村アン。“女性のなりたいカラダNO.1”の美ボディとして圧倒的な支持を得る一方で、トレードマークでもある“かきあげヘア”で世の多くの女性を虜にしていた。近年、俳優としての評価が上がっている中村アンにとっての“THE CHANGE”に迫る。

この日、ボーイッシュなショートヘアで現れた中村さん。時折見せる笑顔は、変わらず自然体だ。俳優として活躍する中村さんにとっての原点はチアリーディングであった。

「私は私立の中高一貫の女子校に通っていたんですが、その学校にチアリーディング部があって、私が中学に入学した時には大会で日本一になるほどの強豪校でした。その当時は高校生にならないと部に入れなかったんですが、チアの顧問の先生が私の学年の先生で、高校に上がる時に“いましか出来ないことをやりなさい”って言われたのがきっかけで入部しましたね」

部活そのものは相当ハードで厳しかったという。

「上下関係がとても厳しかったです。全国大会で日本一になることを目指して、練習は土、日も関係なく毎日あったので、日頃の生活のすべてをチアリーディングに捧げるって感じでした。中学生の時から先輩方を見ていたので、入部するには相当な覚悟が必要でした。」

大学卒業のタイミングで芸能活動を本格的にスタート

高校卒業後は大学に進み、大学を卒業するタイミングで本格的に芸能活動を始めるようになった。当初はモデル業と並行してバラエティ番組にも出演した。モデルがバラエティ番組に出ることは今日では日常的でよく見られるが、当時はそれほど多くはなく、むしろ珍しかった。

「女性誌の表紙でも知名度がある方が使われやすくなった気がします。私の場合はきっと髪の毛がひとつのポイントでもあったと思うんです。なんとなく男性に受けるかなと思っていたんですが、女性から支持してもらえることが多くなっていって嬉しかったです」

時代の流れが変わってきたタイミングでもあった。バラエティ番組ではモデルとは違った顔を見せてくれた。

「当時は思っていたことをストレートに言っていただけなんですが、やっぱり私がチアリーディングでキャプテンをやっていたことも影響していたと思います。みんなにどう思われても思ったことを言うとか、嫌われても声を大にして言うとか、キャプテンという立場に乗っかると出来ることなんです。
でも、バラエティだと自分を知ってもらうという意味では普通にひな壇に座っているだけじゃ誰も見向きもしてくれないですし、バラエティはある意味“戦場”ですから (笑)。だから、そこで、ちゃんとしっかりと思ったことを言うことは生き残るためにも必要なことだと思ったんです。もちろん、嘘はダメですよ。でも、いま思えば相当ギアを上げていましたね、私(笑)」

天性の美貌に加え、裏表無いキャラから生じたギャップが、“誰でもない中村アン”を生み出し、多くの若い男女を虜にしていった。そこから、中村さんは”俳優“という新しいステージに上がることに繋がっていった──。

中村アン(なかむら・あん)
1987年9月17日、東京都生まれ。多くの女性ファッション誌でのモデルを経て、2015年に放映されたドラマ『5→9~私に恋したお坊さん~』で本格的に俳優業を始める。近年ではドラマ『グランメゾン東京』、『DCU~手錠を持ったダイバー~』などの話題作に出演。

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