「まさか、妻が切迫早産になるとは思わなかった」離島医療に取り組む2児の父の産婦人科医

奄美大島で総合診療医・産婦人科医として働く小徳羅漢(ことくらかん)先生(32歳)。島に移住してから誕生した2人の子どもはみずからとり上げました。出産、育児の様子や、病院の外で健康相談を行う「暮らしの保健室」の活動について聞きました。
全2回のインタビューの2回目です。

「夕方になると医師が本土に帰ってしまいいなくなる」修学旅行で訪れた離島で衝撃を受け・・・。若き産婦人科医・離島医療への挑戦

長女は難産で。27時間かかりました

小徳先生は現在、家族4人で奄美大島に暮らしています。

――現在、奄美大島で医師として勤務している小徳先生ですが、移住したのはいつごろですか?

小徳先生(以下敬称略) 2020年です。2016年に鹿児島市医師会病院で自分は研修医として、妻は新人薬剤師として同期入職して出会い、2018年に結婚しました。その後、2020年に奄美大島に夫婦で移住しました。現在勤務している県立大島病院がDr.ヘリを持っていたことや、奄美大島の美しい自然に魅力を感じ、移住を決めました。
現在は、僕と妻、奄美大島で産まれた長女と、2024年3月に生まれた長男の4人家族です。

――自身の子どもたち2人とも小徳先生がとり上げたそうですね。

小徳 はい。妻が長女を妊娠したときは鹿児島にいたので妊婦健診は自宅の近くの産院にお願いしました。妊娠後期に奄美大島に移住し、産婦人科医として自分の子どもは自分でとり上げたいと思っていました。ただ、長女のときは産婦人科医になりたてのころで、自分に余裕もなく、そして27時間の陣痛で苦しむ妻の横でもうろうとしながら背中をさすっていたのを覚えています。
初産だったせいか、出産予定日の妊娠40週を過ぎても陣痛が来なかったのです。「来週になったら陣痛促進剤が必要になるかもしれない」という話になり、陣痛をうながすため、予定日を3日過ぎてから、妻と一緒にたくさん歩きました。そうしたらその日の夜中に陣痛が来たんです。「これはすぐ産まれそうだ」と思ったのですが、なんとそこから27時間も過ぎてやっと生まれてきました。2人とも、たくさん歩いたあとだったこともあって、ヘトヘトでした。それでも、わが子をとり上げたときはとても感動しました。元気いっぱいに泣いてくれたときは本当にほっとしました。

長男のとき、妻は切迫早産に。「安静にして」と言われるママ側の大変さを痛感

長男の出産時は、妊婦健診から分娩までを担当。

――2人目の長男のときはどうでしたか?

小徳 長男のときは妊婦健診からお産までの全部を行いました。長男の妊娠中、29週目くらいのときに妻が切迫早産(せっぱくそうざん)になりかかったんです。
「自分の妻が、まさか・・・」と、そのときは産婦人科医として診察しながら、父親として複雑な心境でした。「え・・・、どうしてだろう?搬送になったらどうしよう?」みたいな感じです。
妻は1週間ほど自宅で安静にしていたのですが、わが家はどちらの両親も遠方に住んでいて、長女の育児もある中、夫婦だけで頑張らないといけませんでした。

産婦人科医としては切迫早産の可能性がある妻に対し「しばらく安静にする必要がある」と伝えました。でも妻が安静にするためには、夫であり長女の父親である僕が、仕事をしながら上の子の幼稚園への送り迎えや、家事をする必要があります。
これまで切迫早産になった患者さんたちに「無理はしないで、できるだけ安静にして過ごしてください。家事も家族の方にお願いしてください」と言っていました。でも、実際自分の妻が切迫早産になってみると、安静にする患者さん自身や家族がこんなにも大変なのだと実感しました。

わが家では途中から義母に来てもらい、家事などをしてもらえてありがたかったです。切迫早産の危機を乗り越えると、あとは順調でした。分娩もスムーズで、夜中12時ごろに陣痛がきて朝5時くらいに痛みの間隔が短くなり、朝食を食べてから病院に行きました。その1~2時間後くらいに生まれました。朝ごはんを食べるくらい、今回は余裕がありました(笑)

妻を妊婦健診するときは、「父親」よりも「産婦人科医」の目線で診察する感覚のほうが大きかったです。

長女には、おなかの中で赤ちゃんがどう育つか、どんなふうに生まれるかをなるべくたくさん伝えた

長男出産の様子。

――出産時は小徳先生も育休を取得したのでしょうか?

小徳 はい。長女と長男のときで、3年の違いですが時代の変化を感じました。長女のときも出産後、育休を申請したのですが、勤務先から「男性医師の育休は前例がないので有給休暇を使ってください」のように言われました。
でも長男のときはスムーズに育休を取得できたのです。勤めている病院は同じ奄美大島の県立大島病院です。男性の育休も一般的になってきていると実感しました。

――2人目の出産の際は、上の子のお世話もあったと思います。どうでしたか?

小徳 大変でした。長女は赤ちゃんに会えるのを楽しみにしていました。妻の妊娠中から、長女には赤ちゃんがおなかの中で成長している様子や、お産をとるための練習用の人形を見せて、赤ちゃんがどのように生まれるかも教えていたのです。だから長女としては「私が赤ちゃんをとり上げる!」くらいの気持ちでいたようです。

ところが産後しばらくはママも赤ちゃんも入院したままで「どうしてママも赤ちゃんもお家にいないの?」と混乱していました。病院の面会には年齢制限があり、小さい子どもは直接会えなかったのです。

ママが家にいないのも初めての経験だったので、よけいに不安定になっていました。夜、妻と電話をしたときや、妻のいない食卓で食事を2人でとっているときもあまり食べなかったりで…。4日ほど自分1人で頑張ってたのですが、僕も娘も限界になっていて、茨城に住んでいる僕の母が急きょ奄美に来てくれました。母は長女においしいスイーツなどをたくさん食べさせたりして、思う存分甘えさせてくれて、長女も元気になったし、僕も本当に助かりました。

2人目育児は毎日バタバタ。育休を取得したことで、なんとか回った日々

長女と一緒にまだ首のすわらない長男をおふろに入れているところ。

――赤ちゃんが自宅に帰ってからの生活はいかがでしたか?

小徳 僕も1カ月育休を取得しましたが、毎日がバタバタしていました。新生児のお世話はもちろんですが、上の子のめんどうも見る必要があります。朝、幼稚園に送るのですが、昼過ぎにはもうお迎えです。元気いっぱいの長女が帰ってくると授乳中の長男にちょっかいを出したり、育児のお手伝いをしたいのでしょうけど、まだおぼつかなくてハラハラしながら見守ったり、長女が夜寝つくまでが戦争でした。長女が寝るとやっと長男をゆっくり抱っこできる感じでした。

妻は2~3時間ごとに赤ちゃんに授乳しないといけないし、それで相手をしてもらえなくて長女は不機嫌になることも少なくありません。自分が育休を取得していなかったら、さらに大変だっただろうと想像するだけで恐ろしいです。

――出産後の母親は1カ月ほど無理をしないほうがいいと聞きますが、産婦人科医から見ても、そう思いますか?

小徳 妻の様子を見ていると、産後2週間くらいはちょっと立ったり歩いたりするだけでも腹痛があったり、疲れやすくなったりする印象がありました。3~4週目くらいから、だんだん身体が楽になっているのかなという気がしました。だから、2週間の壁を超えるとだいぶ身体は元に戻ってくる気がします。とはいえホルモンの影響で、靭帯(じんたい)などがゆるくなっていたり、分娩のストレスで骨盤、筋肉などは傷ついていたりするのでやっぱり1カ月、できれば3カ月は無理しないほうがいいと思います。産婦人科の知識でわかってはいたものの2人目で育休をとったことで、妻の体の変化を日々実感することができました。

――奄美大島での子育てはどんな様子でしょうか?

小徳 奄美大島は、温かい人たちばかりです。子どもを大切にする文化が残っているから、本当に育児しやすい環境なんです。妊娠中も歩いているだけで通りがかりの人がおなかを触って「これは男の子だね」と言ったり、知らないおばあちゃんから急に1000円札を渡されたりすることもあります。赤ちゃんを連れているとみんなが「かわいいね、生まれてくれてありがとう」と言ってくれるんです。奄美大島には「子は宝」の文化があって、みんなが子どもが生まれること喜んでくれます。こうした島の雰囲気がなかったら、僕たち夫婦も、もっと孤独に子育てをしていたような気がします。

奄美大島で産まれた長女は、奄美のばあちゃん、じいちゃんに育ててもらったようなもので、本当に奄美大島が大好きです。本土に行っても「早く奄美大島に帰りたい」と言います。奄美の子どもたちが、自分の生まれ育った場所で安心して暮らせるように、医師として、父として奄美の医療が充実するよう、これからも頑張っていきたいです。

開業医が減っているため、気軽に相談できる「暮らしの保健室」を開設

奄美大島で気軽に体調の相談ができる「暮らしの保健室」を開く小徳羅漢先生。

――奄美大島での産後ケアはどんな様子でしょうか?

小徳 産後は助産師が1週間に1度程度、自宅を訪れ、授乳指導などをしてくれる訪問型の産後ケアがあります。授乳のアドバイスなどもしてくれて、とても頼りになります。一方で、赤ちゃんとママが宿泊してゆっくりできる宿泊型産後ケアは今まで奄美にはなかったんです。

2023年、ようやく宿泊型の産後ケアが隣の名瀬徳洲会病院でできるようになりました。僕はもっと産後ケアが奄美に根づいたらいいなと思います。産後うつの人、なりそうな人だけじゃなくて、すべてのママが産後ケアを普通に受けられる、それが理想ですね。これから自分もママたちが安心して妊娠、出産、産後を送れる環境を作っていきたいです。

――妊娠に限らず、女性の婦人科に関する悩みを相談する場所はありますか?

小徳 以前は産婦人科のクリニックがあったのですが、医師が高齢のため閉院してしまったのです。奄美大島は人口6万人の島ですが、産婦人科が僕の働く県立大島病院ともうひとつの名瀬徳洲会病院しかなくなってしまいました。どちらも大きい病院のため、診察を受けるには予約をして1~3週間ほど待つ必要があります。ちょっとした不調があっても、なかなか気軽に相談できる場所がなくなっている状況なのです。

定期的なピルの処方などは、内科の先生もカバーしてくれてはいるのですが、もう少し身近に相談できる場所があったらいいと思いました。そこで2022年から「暮らしの保健室」という取り組みを始めました。

ほかの医師にも離島・へき地医療に関心を持ってほしい

「暮らしの保健室」の活動を一緒にしている仲間たちと。

――「暮らしの保健室」とはどういったものでしょうか?

小徳 2011年に東京から始まった活動で、町の人たちが医療者に無料で話せる相談所のことです。僕たちもチラシや看板を作り、当日は無料でコーヒーを配って町の人の悩み相談を受けています。だんだん一緒に活動してくれる仲間も増え、島の人たちにも知ってもらえるようになりました。

相談内容は、一般的な内科についてもあれば、不妊相談もあります。「なかなか妊娠できなくて、今こんなことをしています。どうすればいいですか?」という方に対して、自宅でできるタイミングの取り方を伝えたり、生理痛がつらい方に対して受診をうながしたりしています。「暮らしの保健室」では薬を出せるわけではありません。でも、看護師や栄養士なども一緒に活動してくれるので、自宅でできるアドバイスや人と人や人と病院をつなぐこともできます。

――奄美大島は観光地としても有名なので、医療も充実しているイメージでした。病院が減っているというのが意外です。

小徳 今後、いちばん望ましいのは、若い医師が奄美大島はもちろん、その他の離島や地域医療に関心を持って地域医療を楽しむことだと思っています。だから僕は、SNSを活用し、離島医療の魅力、奄美大島のいいところを情報発信しています。そんな中で、奄美出身の医師や、奄美を好きになってくれた医師がその地域に根づいてくれたらうれしいです。

お話・写真提供/小徳羅漢先生 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部

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医師として多忙な日々を送る一方で、2児のパパとしての顔を持つ小徳先生。家事に育児に奮闘する一方で、島の医療について考え、「暮らしの保健室」など積極的に取り組んでいる様子からも、島の人たちの健康を支える使命感を抱いているのだと感じました。小徳先生の活動により、離島・へき地医療を知る人が増え、医療の充実につながることを願います。

小徳羅漢先生(ことくらかん)

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茨城県出身。 2016年東京医科歯科大学医学部卒業後、鹿児島市医師会病院にて初期臨床研修を修了。 2018年よりゲネプロが運営する「離島・へき地研修プログラム」2期生として長崎県上五島病院に所属。 2019年はオーストラリア・クイーンズランド州で研修を受ける。現在は奄美大島の鹿児島県県立大島病院で総合診療医・産婦人科医として勤務。2児の父。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年4月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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