「編成短くします」でもサービスアップ 国鉄末期の逆転の発想とは

東海道本線の静岡エリアを走る3両編成の列車。編成は短い一方、列車本数は多めです

近年、JRの地方線区で新型車両が導入される際、それまでの車両よりも編成が短くなり、混雑が悪化してしまう、ということが時折起こります。中長期的に見れば少子高齢化などで利用者は減少しているため、車両を減らすこと自体が決して間違っているわけではないのですが、中長期的な「線」ではなく、車両置き換え前後という「点」の視点では、やはりサービスダウンと思われても仕方がありません。

現在でも時々問題視される編成短縮ですが、40年ほど前、1980年代の国鉄時代にも、同じように地方線区で編成短縮が進められたことがありました。しかし当時の場合、サービスダウンではなく、むしろサービスアップのための方策として進められていました。

1970年代までの仙台や新潟、金沢、広島といった地方都市近郊では、長い距離を走る長編成の普通列車が1時間~数時間に1本程度走る、というダイヤでした。地方都市どころか、三大都市圏に含まれる名古屋エリアの東海道本線や関西本線も例外ではなく、普通列車は1時間以上来ないこともありました。これでは、利用者目線に立ったダイヤとは言えません。

国鉄改革が叫ばれる中、国鉄は地方都市圏のダイヤ改善を試みます。東京・大阪の「国電」のように、長くとも数十分待てば列車に乗れるよう、普通列車を大増発したのです。これを可能とした背景には、国鉄の意識改革はもちろんですが、新幹線の開通や、道路網整備による貨物列車需要の減少によって優等列車や貨物列車が減り、普通列車増発の余地が生まれたこともありました。

列車を増発するには、車両を増やさなければなりません。そこで国鉄は、それまで使用していた車両を分割して短くし、増発用に充てたのです。それまで8両や10両編成の列車が1時間に1本走っていた路線が、編成は3両や4両に短縮された一方、列車は15分や20分に1本走るようになった、というわけです。

しかし、ただ単に従来の編成を短縮するだけでは、中間車が大量に余る一方で先頭車が足りず、増発用車両が不足してしまいます。国鉄は一部の中間車を先頭車に改造し、これに対応。それでも不足する車両は、急行型電車をそのまま普通列車に充当したり、さらには余剰が発生していた特急型電車の583系を改造(419系・715系)までして、増発分に充てました。なお、一部地域では新車も投入されています。

「シティ電車」と名付けられたこの方策は、1982年の名古屋エリア(関西本線)、広島エリア(山陽本線)を皮切りに各地方都市に広まっていきました。「くる来る電車ポプラ号」などのような愛称も設定され、国鉄の力の入れようが伝わってきます。国鉄分割民営化後もこの方針はJRに受け継がれ、一部では利用動向の変化による後退もあったものの、大部分は今も高頻度の運転が続けられています。

© 朝日インタラクティブ株式会社