スーパー戦隊シリーズでデビューした俳優・奥山かずさ。第1子の出産は自然分娩を選択するも、30時間の陣痛は痛みで記憶がない!?

俳優として活躍する、奥山かずささん。2023年に結婚し、2023年8月に第1子となる男の子を出産。現在は夫婦で力を合わせながら、初めての子育てに奮闘しています。切迫早産で入院を経験した妊娠時期から、想像以上に壮絶だった出産のエピソードを聞きました。
全2回のインタビューの1回目です。

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長かったつわり時期や切迫早産など、試練続きの妊娠生活

野球観戦が趣味の奥山さん。妊娠中に訪れた球場にて。

――第1子の出産を経て、今はどんな毎日を送っていますか?

奥山さん(以下、敬称略) 息子は8カ月になりました。まだ保育園に通っていないので、日中はずっと一緒です。いずれ保育園に入れたいなと思っているのですが、保育園の空き次第という感じですね。お仕事はできることから少しずつ始めていて、仕事のときは、夫が息子のことを見てくれています。

日中は、週4ぐらいのペースで、家の近くの子育て支援センターに通っています。何かイベントがあるわけではないのですが、息子も、同じ月齢のお友だちと一緒に遊べるし、私もママたちとたくさんおしゃべりができるので、本当に癒やされています。子育ての情報交換をしたり、悩みを共有し合ったりと、私にとって本当に貴重な場所です。

――妊娠時期はどのように過ごしていましたか?

奥山 妊娠初期の2〜3カ月間は、つわりがかなりキツかったんです。事務所スタッフが気をつかってくれて、仕事はセーブさせてもらっていました。ただ、どうしてもこなさないといけないお仕事は、なんとか気合で乗りきっていましたね。常に吐きけがあって、何を食べても吐いてしまう状態で、当時は体重もかなり減ってしまいました。でも、意外と体が頑丈なのか、「つらすぎて、無理!」と思って病院に行っても、数値を測ると大丈夫な範囲なことも多くて…。入院する数値ではないものの、自分の中の感覚ではかなりキツかったですね。

「つわりには終わりがある」とネットには書いてあるけど、自分の中では、「明日も終わらなかったら、明日も地獄だ」と毎晩思っていた記憶があります。私は、スケジュール帳に毎日、ひと言ずつ日記をつけているんですけど、その数カ月間だけ空白のままです。

つわりの間は、精神的にもとにかく不安な日々でした。自分の体なのに、なんだか自分の体じゃないような感覚で…。おなかの中に命があるということで、何に対しても敏感になっているようでした。

実はつわり中は、夫に弱音を吐いたり、つらいところを見せないようにしていたんです。自分のことで一杯一杯だったから、感情を出すと攻撃的になって夫に八つ当たりをしてしまうと思ったんですね。夫も、私がつわりで苦しんでいることはわかっていたと思うんですが、私の気持ちをくんで、そっと寄り添ってくれました。それが、私にとってはちょうどいい距離感だったと思います。

――つわりを乗りきって、その後出産まではどうでしたか?

奥山 それが、妊娠8カ月のころに、切迫早産で一度入院したんです。つわりがやっと終わって、安定期といわれる時期に入ってから、私もちょっと油断していたんですね。もう歩いてもいいかなと思って、ウォーキングなどの軽い運動をしていたら、おなかが痛くなってしまって。当時はこの痛みが何なのかわからず、おなかをくだした痛みだと思っていました。ただ、痛みがどんどん強くなっていったので病院へ行ったら、「切迫早産だから、このまま緊急入院してください!」と言われてしまったんです。

結局、3日ほどで退院できたので、そこまで大事にはならなかったのですが、あのとき、病院に行って本当によかったなと。その後は、張り止めを飲みながら自宅で安静に過ごしていました。次の健診はもう臨月に入るころだったので、それを乗り越えればもう大丈夫という感じでしたね。

そんなことがあったので、臨月に入るまでは「絶対に運動はしちゃいけない!」と厳しく言われていましたが、いざ臨月に入ったら、今度は「たくさん運動して!」と急に言われたんです。

そのころには、おなかの赤ちゃんも3000g超えと言われていたので、かなりずっしりと重かったし、さらに去年の夏といえば、あの猛暑…。「この真夏の中、運動しろってどういうこと?」と言う感じでした(笑)。臨月にできるストレッチやスクワットもひと通り調べてみましたが、どれもできずに終わりました。

3日間の前駆陣痛でヘロヘロになり、30時間の陣痛に耐えた!

お宮参りで、息子さんに優しくほほ笑む奥山さん。

――出産はどのように始まったのでしょうか。

奥山 予定日よりも1週間前におしるしがきて、それから前駆陣痛(ぜんくじんつう)がありましたが、間隔がバラバラだったんです。これが陣痛の痛みかもわからないし、病院にいつ電話していいのかもわからないし、初めてなのでわからないことだらけでした。意を決して病院に行ってみましたが、「まだ子宮口が開いていないから、一度家に帰って、とにかく運動してください」と言われてしまい…。家に帰ってからも痛みは続いて、あまりの痛さに気絶してしまうほどでした。

その後微弱陣痛になりましたが、それでも、痛みで夜も眠れないし、精神的にも肉体的にも疲れ果てて、もうヘロヘロでした。そんな状態が3日間続き、先生に相談したところ、「陣痛促進剤を使いましょう」ということになって、やっと入院することになったんです。

私、自然分娩を希望したんです。みなさんがよく言う、「陣痛はとにかく痛い」というのが、果たしてどれぐらいの痛みなのかな…という好奇心があって。これから先、もしかしたら妊婦さんの役もあるかもしれないし、そのためにも経験しておくべきかなと。俳優としても、この経験がいろいろな引き出しになるかなと思ったのですが、実際には痛すぎて、もうほとんど覚えていないです(笑)

そんな感じで、軽い気持ちで自然分娩を選んでしまったのですが、これが想像以上につらすぎました。前駆陣痛が3日間ぐらいあった後に、いよいよ本陣痛がきてからも、出産まで30時間ぐらいかかって、やっと息子に会うことができました。

――パパは立ち会いされたのでしょうか?

奥山 夫は休みを取ってくれて、立ち会いがかないました。私は最後のいきみ方もよくわからず、もう疲労困ぱいでボロボロの醜態を見られてしまいましたが、夫がとにかく寄り添ってくれてありがたかったですね。今はいろいろな出産のスタイルがあると思いますが、自分の出産の場面だけを切り取ってみると、私がイメージしていた「ザ!出産」という感じでした。

切迫早産のときは、夫もすごく不安だったと思うんですが、親にすぐ連絡したりとテキパキ動いてくれたんです。そういう姿を見ていたから、出産のときもきっと、全部まかせても大丈夫だし安心できるなと感じました。

実際に陣痛が来た時も、すぐにタクシーを手配してくれました。事前にいろいろと下調べをしておいてくれたみたいで、とても心強かったです。

この妊娠と出産を経験して、夫は一気に父親らしくなり、頼れる存在になったと思います。今までは、私の中で夫はとにかく、“大好きな存在”だったんです。でも、この出産に伴ういろいろなことを2人で経験して、それだけではなく、すごく頼れる存在に変わったんだなと。これから、息子や私にどんなことがあっても、この人がパパであり夫なら大丈夫だと思っています。

お話・写真提供/奥山かずささん 取材・文/内田あり、たまひよONLINE編集部

つわりの時期、切迫早産、そして痛みに耐え抜いた出産を経て、奥山さん夫婦の関係性にも変化があったようです。次回は、産後の話と現在の子育てに聞きます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年4月の情報で、現在と異なる場合があります。

奥山かずささん

PROFILE
1994年生まれ、青森県出身。2016年に第1回「ミス美しい20代コンテスト」で準グランプリを受賞。2018年にはスーパー戦隊シリーズ「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」にて明神つかさ/パトレン3号を演じ、俳優デビュー。その後「キワドい2人-K2- 池袋署刑事課神崎・黒木」「ケイジとケンジ~所轄と地検の24時~」「となりのチカラ」などのドラマに出演。2023年8月に第1子となる男の子を出産。

2024年5月1日(水)から5月5日(日)まで下北沢 駅前劇場にて上演される、劇団マカリスター第十回公演『なんでそこまで』では出演を務める。

『なんでそこまで』公演情報

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