元宝塚トップ和央ようか「もう無理かも」退団前に骨折「このまま辞めてもいい」気持ちを覆した理由

和央ようか 撮影/三浦龍司

宝塚歌劇団・宙組の元トップスター、和央ようかさん。トップ在任期間は6年を超え、平成以降の最長記録だ。現在は夫で世界的作曲家のフランク・ワイルドホーンさんとハワイで暮らし、日本と行き来しながら活動の場を広げ続けている。芸能生活35周年を迎えた彼女の素顔と人生の転機、「THE CHANGE」とは。【第4回/全5回】

自分には来なかった“肩を叩く天使”

昨年芸能35周年を迎えた和央さんにとって、ファンの存在は大きいという。

「私の35周年というより、応援してきてくださった方にとっての35周年、という気持ちが強いですね。アグレッシブな性格ではないのですが、ファンの方が、応援してきてよかったと、ファンであることを自慢に思ってもらえるような、私で居続けたい。

ファンの方たちは本当に素敵な方ばかりで、大好きです。でも媚びはしませんよ。大好きっていう気持ちは伝えますけどね。舞台に立つときも、私からエネルギーを受け取ってくれる分、私もファンの方からエネルギーを奪っています(笑)」

和央さんが退団を発表したのは’05年10月25日。辞めるタイミングについて、タカラジェンヌの間では「“天使が肩を叩く”とみんな言うんです」と和央さんは語る。

「でも、自分には天使が来なかった(笑)。いつまでも、ストーンと“いまだ”という感覚がなかったんですね。でも、花のみちに桜が咲いていて一番宝塚の街がキレイで、初舞台生という新しいスターが来るときに私が去るっていうのが格好いいと、自分の中で理想を描いてたんです」

ファンからの励ましの手紙が困難を乗り越える力に

そんなファンとの絆が強まったと和央さん自身が感じる、“事件”がある。それは’05年12月のこと。退団公演『NEVER SAY GOOD BYE-ある愛の軌跡ー』を’06年3月に控えるなか、和央さんはライブコンサート公演『WーWING』でフライング装置から落下し、骨盤などを骨折する大ケガをした。

「入院することになって、お医者さんには“公演初日に舞台に立つのは無理だ”と言われました。でも私自身、長く宝塚にいさせていただいていたので、“もうこのまま辞めてもいいかな”と思ったんですよね」

トップスターとして長年走り続け、もう何ひとつ後悔はなかった。このまま退団公演をせず、退団するか——。その思いを覆したのが、ファンから届く手紙だった。

「入院中は体をまったく動かさず安静にしていたので、ファンの方から届くお手紙を読んで過ごしていたんです。退団公演をやらないことに私が後悔しなくても、ファンの方々が後悔する。そう感じました。やるしかないと決意して、そこからはとにかく必死。リハビリも、公演中もつらかったけど、何とか乗り越えられたのはファンの方々のおかげであり、あのとき同じ舞台に立っていたみんなのおかげです」

千秋楽、初めて「もう無理かも」と口に出した

最もつらかった日は、千秋楽。幕が上がった瞬間から、「もう無理かも」と初めて口に出したほど体調が悪かった。そのとき支えになったのが、同じ舞台に立つ仲間たちだった。

和央ようか 撮影/三浦龍司

「みんな優しいんですよ。口には出さないけど、様子が変だと雰囲気で分かったのでしょうね。 みんなね、肩を持ってもいいように、さりげなく出してくれるんです。支えようっていう気持ちが伝わってきて、最後まで頑張れた。本当に素晴らしい、最高な仲間に恵まれました」

本拠地・宝塚での退団公演を迎えたのは、和央さんが「宝塚の街が一番キレイに見えると思う」という桜の季節だった。一万人を超えるファンが見守るなか、’06年5月8日に和央さんは宝塚大劇場を去った。

和央ようか(わお・ようか)
大阪府出身。74期生として宝塚歌劇団に入団し、雪組に配属。1998年宙組創設メンバーとして組替えすると、’00年にはトップスターに就任。’06年『NEVER SAY GOODBYE- ある愛の軌跡-』で退団後は、舞台だけでなくモデルとしても活動する。’15年に作曲家のフランク・ワイルドホーン氏と結婚し、現在は米国と日本を行き来する生活。そのライフスタイルも注目を集める。

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