U-23日本代表が、パリ・オリンピック出場を決めた。出場権がかかったAFC U23アジアカップでは厳しい戦いも強いられたが、見事に8大会連続で五輪行きの切符を手にした。決勝戦ではウズベキスタンを破って優勝したが、サッカージャーナリスト大住良之は、手放しでは喜べないと感じている。「日本病」とでも呼ぶべき問題とは? その解決の必要性を訴える。
■いたずらにパスを回して「時間を浪費する」
圧倒的にボールを支配してパスを回すのだが、DFラインでのパス交換からサイドに出しては、受けた選手(ウイングやサイドバック)がバックパスし、今度は逆サイドに展開して同じプレーの繰り返し…。若い世代の代表が、アジアの大会でそんなプレーをするのを初めて見たのは、もう10年以上前のことだろう。以後、日本の若い世代の代表は、たびたびそうした試合を見せてきた。
「力を持ったチームが相手のゴールに向かっていかず、いたずらにパスを回して時間を浪費している―」。こうした現象を、他国で見ることはない。力があれば相手が最も恐れるところに次々とボールを送り込み、悲鳴を上げさせるだろう。力のないチームでも、ボールを持ったら果敢に前線にボールを送り、そこをサポートして数少ないチャンスを生かそうとするのが、サッカーというものだ。
アジアの大会を見ていると、そうした思いはよりいっそう強くなる。今回のU-23アジアカップと同じカタールのドーハで開催されたAFCアジアカップ(1~2月)には、香港、インドネシア、ベトナム、マレーシアといった、これまであまり出場機会に恵まれなかった東南アジアのチームが出場した。インドネシアがラウンド16に進んだだけで、他のチームはグループ最下位に終わったが、けっして「弱者」の姿勢ではなかった。攻め込まれてもボールを奪うと果敢に攻め上がり、どの試合でもいくつもチャンスをつくったのだ。
■韓国を蹴落としたマレーシアの「勇気」
その好例が、グループリーグの最終戦で韓国と3-3で引き分け、グループ1位から蹴落としたマレーシアだ。ボール支配率22%。相手にパスを回され続けたが、6本のシュートを放ち、そのうち4本を枠内に飛ばして3点を奪った。孫興民(トットナム)や李康仁(パリSG)といった「ビッグネーム」に怖じず、90分間を果敢に戦い、後半のアディショナルタイムにPKで突き放されながら、その15分後に3-3とする同点ゴールを決めた。
彼らを見ていて浮かんだのは、「勇気」という言葉だった。相手がどんなに強豪で、ときにはどんなに大きくてもそれにひるまず、自分たちにできることを勇敢に推し進めていく。自陣で相手のプレスをかわすテンポの良いパス回しから、思い切ったランニングに合わせたカウンターアタック、ボランチやDFラインを押し上げての二次、三次の攻撃など、「勇気」あふれる攻撃は心を打った。
中央アジアのタジキスタンはこの大会初出場。若いチームだったが、ボールを持つと熱狂的な攻撃を仕掛ける勇敢そのもののプレーは感動的でさえあった。GKルスタム・ヤティモフの好セーブとともに、攻撃になると人数をかけてスピーディに相手ゴールに迫る攻撃はカタールのファンの心もつかんだ。
■日本代表を初めてアジア王者に「オフトの言葉」
1992年から1993年に日本代表を率い、アジアで勝てなかったチームをアジアカップで初優勝に導いただけでなく、ワールドカップ初出場まで「あと数十秒」まで迫らせたハンス・オフト監督が、次のような意味の表現をした記憶がある。「原典」を探そうとしたが探しきれず、うろ覚えで申し訳ないが、こんな話だったと思う。
「相手が槍を並べているところに飛び込んでいくのは愚か者だ」
守備を固め、カウンターを狙う相手に対して、むやみに攻め込むのではなく、パスを回し、相手のスキを見つけて、そこを攻める「賢さ」を求めたものだった。