ナンバーワンの屋上遊園地 長崎浜屋に通った東京のカメラマン・木藤さん 「世界遺産級の価値」閉鎖惜しむ

「全国でもまれな空間。せめて遊具はどこかで継承されてほしい」と言う木藤さん=長崎市、浜屋百貨店

 長崎県長崎市中心街で約半世紀、子どもたちに夢を与えてきた浜屋百貨店プレイランド。もうすぐ幕を引くと知って2日、慌てて東京から駆けつけた男性がいた。彼は全国100カ所近い屋上遊園地を巡ったカメラマン。「ここがナンバーワン」。そう言い切ってシャッターを無心に切った。
 杉並区に住む木藤富士夫さん(47)。会員制交流サイト(SNS)で「閉園」と知り、仕事を放り投げてきた。ここを訪れるのは10度目くらい。そこまで思い入れるのは-。記者から尋ねられると間髪入れずまくしたてた。
 「レトロ。食堂。赤い鳥居。ステージ。ペット(動物)コーナー。これらを兼ねそろえていた。さらに眺望もいい。サラリーマンが無料でサボれる場所って都会じゃ希少ですよ」
 屋上遊園地に興味を持ったのは大人になってから。「いろんな人が来る」と惹(ひ)かれた。家族、カップル、管理業者のおじさん。居心地良さそうな彼らに声をかけカメラを向けるのをライフワークとし、そのうち写真集も自費出版した。
 独自の分析によると、東日本の屋上遊園地の多くは大手企業が運営。西日本は個人経営者が百貨店やスーパーから場所を借りるケースが目立ち、“昭和”が色濃く残りやすい。
 中でも浜屋は富山市の大和(だいわ)と並び双璧だったという。アラレちゃん、ガンダムの乗り物が乾いた電子音を響かせ揺れ動く。第1次世界大戦で「レッドバロン」と恐れられたドイツ撃墜王の赤い戦闘機。それを模した遊具の機銃を幼子が喜々と握る。見守る親の手には両替した100円玉と10円玉。シュールで寛容な風景が現代に残る。
 富山大和をはじめ、全国の屋上遊園地が建て替えや屋根の張り替えなどを機に閉鎖され、木藤さんが知る限り10カ所を切った。浜屋も多くの遊具がとっくに部品が底をつき、ガムテープで延命してきたが、管理業者が倒れ、続けられなくなった。
 木藤さんは遊具の行き先に気をもむ。雨風にさらされスクラップ同然の物もあるが、古くてアナログな仕組みほど息長く動いた。浜屋には10件ほど引き取り希望が寄せられている。屋上の一般利用は、再整備にコストがかかることもあり終了する方針。
 木藤さんはクラウドに記録した浜屋の画像を見返して言った。「惜しい。世界遺産級の価値があった。長崎の人は思い出の中でそう誇っていい」

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