人生の後半を豊かにしたいなら…哲学者ラッセルが「幸福になる方法として“趣味を持つこと”が大切である」と諭すワケ

(※写真はイメージです/PIXTA)

仕事を引退して自由な時間を手に入れたシニアの中には、暇を持て余している方もいるかもしれません。新しい趣味を始めたいけれど、体力面や経済面でなかなか踏み出せない方もいると思います。それでも何かしら趣味を持ったほうがよいのでしょうか? 今回は、小川仁志氏の著書『60歳からの哲学 いつまでも楽しく生きるための教養』(彩図社)より、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872~1970)が著書『幸福論』の中で「幸福になる方法として趣味を持つことが大切である」と語った理由について解説します。

趣味が多いほど人生は豊かになる

人生を豊かにするものは何か? ラッセルにいわせると、それは趣味を持つことです。趣味を持つことで幸福な人生が送れるというわけです。ちなみにラッセルの趣味は、川を収集することだそうです。世界のさまざまな川を下ることに喜びを感じるといいます。つまり川下りの経験を収集しているということですね。そのように捉えると、川下りがいかにも切手収集のような趣味に聞こえてきます。

切手収集は趣味の王道ですが、ラッセルはまさにその切手収集を趣味にしている数学者の例を挙げています。その数学者は、研究に行き詰まるたび、切手収集に時間を費やすそうです。あたかも人生の時間を数学と切手収集とに二等分するかのごとく……。

このように人は、仕事や人生の行き詰まり、苦しみを趣味によって紛らわせているということです。何かに熱中し、たくさんの趣味を持てると人生は豊かになり、幸福になる度合いを増すのです。

そんな趣味のことを、ラッセルは「私心のない興味」と表現します。あるいは、こんなふうにも説明しています。

私が本章で話題にしたいのは、そういう、ある人の生活の主要な活動の範囲外にある興味である。(『幸福論』岩波文庫、P243)

たとえば、専門家が自分の仕事に関係のない分野の本を読むことは、私心のない興味の典型だそうです。自分の利益や損得に関係なく純粋に楽しめるものだからです。私も哲学以外の本は割と純粋に楽しんでいるので、よくわかります。

ラッセルのいう私心とは、やましい心ということなのでしょう。これをやっておけば仕事に役立つとか、一石二鳥だとか。いわば趣味に対して下心があるということです。それでは趣味を純粋に楽しむことができません。

趣味は心を満たしてくれる

ラッセルはほかにスポーツ観戦、観劇、ゴルフなどを挙げていますが、いずれもその道のプロでない限りは、仕事とは関係のないことだと思います。こうした仕事と関係のない趣味を持つことで初めて、様々な効用が生まれてくるのです。ラッセルはそれを三つに分類しています。順番に見ていきましょう。

一つ目は気晴らしになるということです。日頃緊張を強いられる仕事と関係ないことをすると、気晴らしになるのです。それは一晩寝るのと同じ効果があるといいます。

二つ目の効用は、釣り合いの感覚を保つということです。これは主に、仕事とのバランスを取ることに関係しています。ラッセルから見ると、どうしても私たちは仕事がすべてであるかのように思ってしまう傾向があるようです。特にワーカホリックになりがちでまじめな日本人にはよくある話です。そして気づけば過労状態になっているのです。

世界は楽しいことに満ちているにもかかわらず、仕事だけに心血を注ぐのはとてももったいないことです。だからラッセルは、こう主張するのです。

この世界は、あるいは悲劇的、あるいは喜劇的、あるいは英雄的、あるいは奇怪または不思議な事物にみちあふれている。そこで、世界の提供するこの壮大なスペクタクルに興味を持てない人びとは、人生の差し出す特典の一つを失っていることになる。(前掲書、P246~247)

今は70歳くらいまで仕事をするのが当たり前になりつつありますが、同時に趣味を楽しむべきです。そうでないと、せっかくの面白い世界を見逃してしまいかねません。世界の大きさ、人生の面白さは自分がそれをどう見るかにかかっているのです。そしてその視野を広げてくれるのは、ほかでもない趣味なのです。

苦しみから抜け出すために趣味を持つ

三つ目の効用は、なんと悲しみを紛らわせるということです。私にとってこれは一番意外で、それでいて一番納得のいくものでした。例えば、愛する人が亡くなると、人は悲しみに打ちひしがれます。しかし、いつまでも悲しんでいると余計に苦しくなります。そんな時、何か自分の気持ちを外に向ける趣味があれば、心のバランスを取ることができるというのです。

つまり、悲しみから目をそらす契機が必要なのです。ラッセルは、趣味を持つことを生きる知恵として捉えているのでしょう。人間は弱い生き物ですから、苦しみから抜け出すためには、趣味に限らず何かのきっかけが必要です。

何もないと私たちは主観の穴に閉じこもってしまって、そこから抜け出せなくなるのです。まったく外に目を向けることなく、自分の思い込みだけにとらわれてしまう状況です。ラッセルはその状態を自己没頭と呼んで非難しました。

彼のいう自己没頭は、不幸の原因なのです。幸福になるためには、主観の反対で客観的な生き方が求められるというわけです。それを可能にするのが、趣味にほかなりません。しかもラッセルは、その趣味は「本物の客観的な興味」でなければならないといいます。いったいそれはどうすれば得られるのか? ラッセルはこう答えています。

あなたが自己没頭の病気に打ち勝ったあかつきに、心の中にどんな客観的な興味がわいてくるかは、あなたの性質と外部の事情の自然な働きにまかせるよりほかはない。(前掲書、P270)

つまり「客観的な興味」というのは、他人の興味に自分を合わせるのではなく、自分の中に自然に湧き上がってきた本当にやりたいことや、本当に知りたいことについての興味です。その興味に従って生きるというのが、客観的な生き方ということです。

その意味では、趣味は探すものではないのかもしれません。私たちはつい趣味を探そうと躍起になりますが、それでは本物とはいえないのです。むしろ好きなことが高じて初めて、結果として趣味になるのでしょう。そうでないと、気持ちを外に向けることは困難です。打ち込めるものは、やはり自分の好きなことであるはずですから。これこそが本物の客観的な興味にほかなりません。

趣味の目的は常に「幸福」であることを忘れない

人生のどの段階においても、趣味が大事だということには変わりありません。ラッセルの説く理屈は、若い人にも当てはまることです。でも、老年期を迎えようとしている人、そして今まさに老年期にある人にとってはより重要なことだといえるのではないでしょうか。なぜなら、老年期はおのずと仕事よりも趣味の比重が大きくなるからです。

生涯現役とはいえ、仕事にかける時間やエネルギーの割合は、一般に少なくなっていくはずです。それよりも、健康や人生のバランスを考えることが多くなると思います。そうすると、趣味に費やす時間やエネルギーは必然的に増えていきます。仕事を引退すればなおさらでしょう。

そんな時、いきなり趣味を持つというのではリスクが高いといえます。仕事を引退する少し前から準備しておくのに越したことはありません。それになんでも早く始めた方が、楽なのは間違いないでしょう。

ラッセルの理論に基づけば、その趣味も多ければ多いほどいいわけです。一つのことに集中するのもいいですが、なんらかの理由でその趣味が継続できなくなるリスクも考慮する必要があります。趣味は人生の一部ですから、人生のほかの要素と同じく、リスクヘッジが求められます。

リスクといえば、ラッセルはもう一つ大事なことをいっています。趣味に熱中するのは大事なことだけれども、同時に中庸を心がけなければならないというのです。なんでもそうですが、熱中しすぎてバランスを崩してしまっては元も子もありません。だから彼は、趣味は枠の中に収まらなければならないと釘をさします。

具体的には、四つの枠を挙げています。一つ目は健康、二つ目は人並みの能力があること、三つ目は必需品が買えるだけの収入、四つ目は妻子への義務といった最も基本的な社会的な義務です。たしかに、趣味に熱中しすぎて健康を損なったり、本来の能力を発揮できなくなったり、お金を使いすぎたり、家族に迷惑をかけたりするようなことがあってはいけません。

あくまで幸福になるための手段ですから、趣味のせいで不幸になってしまっては笑うに笑えません。常に目的は幸福であることを忘れないように楽しむのが一番だと思います。老年期を幸福に過ごすためにも、中庸を意識しつつ、どんどん趣味を広げていきましょう!

小川仁志

山口大学国際総合科学部教授

哲学者

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