佐藤凛太郎インタビュー:「父と同じ道を進みたい」琢磨の息子がPONOS RACINGからFIA-F4デビュー

 5月3〜4日、静岡県の富士スピードウェイで2024年のシーズンが開幕したFIA-F4。若手登竜門カテゴリーとして今季も多くのエントリーを集めており、新シャシーMCS4-24が導入された今季も合計37台が開幕戦に参戦する中、今季デビューながら開幕戦を7位でチェッカードフラッグを受けるも(正式リザルトはペナルティにより14位)という結果を残したのが、PONOS RACINGの佐藤凛太郎だ。成績はもちろん、そのルーツも注目される佐藤凛太郎にこれまでのキャリア、そして将来について聞いた。

 佐藤凛太郎は2005年モナコ生まれ。レーシングカートを戦い、2023年から四輪で活動。2024年からPONOS RACINGに加わり、FIA-F4を戦うことになった。その名前、またSNSでもすでに明らかにされたことがあるが、誰あろう2002〜08年にF1で戦いファンを熱狂させ、二度のインディ500優勝を飾ったあの佐藤琢磨の息子だ。

「僕は2005年生まれで、その頃の父はF1に乗っていましたが、物心ついてからはずっとインディカーで戦っていたので、レースをずっと観ていてカッコいいな、面白そうだな、という気持ちがすごくありました」と凛太郎はモータースポーツに挑戦するきっかけを語った。

 他の多くのレーシングドライバーがそうであるとおり、凛太郎は父にドライバーとして「レースをやりたい」と伝えていたという。そこで、父である琢磨が凛太郎に課したのは、琢磨が東日本大震災以降、復興支援活動の一貫として開催してきた『TAKUMA KIDS KART CHALLENGE』で「表彰台に上がれたら考えてあげる」という条件だった。

 凛太郎はレンタルカートなどで走ったことはあったというが、本格的に挑戦を開始することができたのは、9歳で『TAKUMA KIDS KART CHALLENGE』で3位表彰台を獲得して父の課したミッションをクリアしてから。父の承認を得て、関東近郊のカート場で練習を重ね、東日本でのカート選手権を中心に戦ってきた。

 その後、2020年に凛太郎はヨーロッパに渡るが、世界はコロナ禍の真っ最中。渡欧後はレースすらできない状態だったというが、2020年終盤からようやく戦うことができたという。2020年はOKジュニア、2021〜2022年は世界選手権のOKクラス(カートの最上位カテゴリー)で戦った。

 そして、2023年からホンダ・レーシング・スクール鈴鹿(HRS)を受講。四輪デビューに向けてフォーミュラに乗り始めた。残念ながら参加初年度の昨年はスカラシップを得ることができなかったが、今季もスクールを受講するとともに、PONOS RACINGから声がかかり、FIA-F4への参戦が決まった。

2024年からFIA-F4に参戦する佐藤凛太郎(PONOS RACING)

■「父と同じ道を進みたい」FIA-F4とともにHRSスカラシップ獲得を目指す

 凛太郎は今シーズンもホンダレーシングスクール鈴鹿を受講しているが、気になるのは父である琢磨がホンダレーシングスクール鈴鹿のプリンシパル/校長であることだ。極端な例えかもしれないが、父が監督を務めるスポーツチームの選手のようなものと言っていいかもしれない。そんな環境で緊張や気を遣うことなどはないのだろうか?

 しかし凛太郎は「それはないですね」とキッパリと語った。「父は僕が質問をすれば校長として教えてくれますし、他の人が質問すれば、きちんとそちらにも目を向けてくれています。父がプロドライバーだから……というのは僕もあまり好きではないですし、フェアにやってくれていると思います」

 実際、昨年の凛太郎はHRSでフォーミュラのアドバンスクラスまで進むが、最終段階のスカラシップ選考会に臨むことはできず、悔しい思いを経験することになった。

「最終選考会でコースアウトして止まってしまったりしてボロボロだったので、本当に悔しかったです。それをバネに、今年再挑戦するつもりです」

 父の琢磨がプリンシパル/校長、そしてHRC(ホンダ・レーシング)のエグゼクティブ・アドバイザーという立場とはいえ、凛太郎のスカラシップ落選という事実からも、HRS、HRCがスクール生のパフォーマンスをフェアに評価していることが伺える。

 とはいえ、プライベートでは父も完全に“プリンシパルと生徒”というわけではないようだ。「今日(FIA-F4デビュー戦の練習走行日)もですが、毎日レポートを送っています。現役ドライバーなので今のクルマのこともドライビングのことも分かっていますからね」と凛太郎は言う。HRSのプリンシパルとして、そして父として、琢磨はきっちりと立場を分けながら成長を見守っているようだ。

 迎える2024年、FIA-F4に挑む凛太郎は合同テストから上位に食い込むタイムを記録してきたものの、まだ難しさも感じているという。

「スクールカーとは異なりデフがないので、その分ブレーキングも加速も、ペダルの踏み方で、(クルマの動き方が)全然変わってきてしまいます。あと、スクールカーはウイングが(前後)2枚あって、ダウンフォースも(前後ウイング1枚の)FIA-F4とは全然違うので、そこは少し難しいところです」

「チームメイトの大宮賢人選手がいるので、うまく協力しながらセットアップを出していきたいですし、大宮選手は2年目で落ち着いています。僕はまだ焦ってしまうところもあるのですが、今後は自分の走りを磨きながら、もっと上の順位を目指したいです」

2024年からFIA-F4に参戦する佐藤凛太郎(PONOS RACING)

■将来の目標は「世界で活躍するドライバー

 そして凛太郎が目指すのは、父と同じく“世界”だ。「HRSに入りたいと思ったのは、父が(前身の鈴鹿サーキットレーシングスクールで第3期生として)卒業していたからです。僕も同じ道を進みたいという思いがありました」と凛太郎は語った。

「角田裕毅さん(2016年卒/22期生)が活躍されていますが、僕も世界で活躍するドライバーになりたいです。もちろん目標はF1ですが、世界で活躍するという希望が大きいです。英語も勉強していますが、まだまだ足りないところがあるので、引き続き頑張っていきたいです」

 今季FIA-F4で光る戦いをみせ、HRSでスカラシップを得ることができれば、日本のみならず、凛太郎が望む世界へのステップアップへの道も広がってくる。

「今年はFIA-F4の参戦1年目なので、確実に完走してポイントを獲っていきたいです。鈴鹿と富士以外はまだ走ったことがないので、チームメイトからたくさん学びながら、協力して毎戦順位を上げて他のチームに負けないようにしていきたいと思っています」と凛太郎は今季への意気込みを語った。

 インタビュー前には「きちんと答えられるかな(苦笑)」と、不安も覗かせていた凛太郎。当然、父のような豊かな表現力を身につけるのはこれからとはいえ、レースやクルマについて楽しそうに話し、ハキハキと明るく質問に答えるその姿は父と同じ雰囲気を感じさせる。佐藤凛太郎の今シーズンの戦い、そしてその将来は大いに注目しておきたいところだ。

佐藤 凛太郎

さとう りんたろう
2005年生まれ、モナコ出身。父、琢磨がF1参戦中の頃には幼少期を欧州で過ごし、その後に帰国。2015年からカートを始め、2020年から3年間、海外参戦。昨年、ホンダレーシングスクール鈴鹿に入校し、今季2年目を迎える。同時に今年はPONOS RACINGからFIA F4に参戦し、四輪デビュー。

PONOS RACINGの大宮賢人と佐藤凛太郎

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