求められる「勇敢さと賢さ」の両立、安全なパス回しの中の「変化」【祝優勝「パリ五輪に挑む」U23日本代表が抱える「日本病」】(3)

Uー23日本代表は大岩剛監督とともに成熟していくことだろう。 撮影/中地拓也

U-23日本代表が、パリ・オリンピック出場を決めた。出場権がかかったAFC U23アジアカップでは厳しい戦いも強いられたが、見事に8大会連続で五輪行きの切符を手にした。決勝戦ではウズベキスタンを破って優勝したが、サッカージャーナリスト大住良之は、手放しでは喜べないと感じている。「日本病」とでも呼ぶべき問題とは? その解決の必要性を訴える。

■「賢いプレー」にばかり重きが置かれた結果

オフトの教えは誤りではない。当時の日本代表は、ボールを持ったら常にゴールに向かっていたからだ。その後、日本のサッカーは「オフト時代」とは比較にならないほど技術的にも戦術的にも成長し、アジア相手では多くの試合でボールを支配できるようになった。そうした中で、「賢い」プレーにばかり重きが置かれていった。その結果が、煮え切らないバックパスと横パスの「日本病」だった。

こうしたプレーを見ていて感じるのは、「自分のところでボールを失いたくない」というメンタリティだ。サイドバックは前に立たれれば自動的にバックパスを選択し、ウイングは縦へではなく「カットイン」のドリブルばかりに走る。そこからボールを受けたMFは、フリーの逆サイドへのパスしか思い浮かばない。その繰り返しが、今回のU-23アジアカップでのカタール戦の多くの時間だった。ファンがイライラするのは当然だ。

現在の日本の選手たちは、知識としては、「ゴールから逆算」しての攻撃を教えられている。ボールを持ったら、まずゴールを目指す。それができなければ前方の味方にパスし、前方がフリーになっていないのであれば横パス、それも難しければバックパスという「優先順位」を叩き込まれているのだ。なのに、前に入れられる場面で横に回してしまい、横にパスをして前に走りリターンを受けられる状況でバックパスして、優先順位では一段階低いはずのプレーを選択してしまう。

■「勇気と賢さ」「無謀さと消極性」は紙一重

サッカーにおいては、「勇気と賢さ」、「無謀さと消極性」は紙一重のところにある。ピッチに立った選手が何を感じ、どのようにプレーを選択するのか、外から見ている身では、想像するしかない。その想像が本人の感覚と大きくズレていることがあるかもしれない。

しかし、安全なところ、安全なところにパスを回し、パスを受けた選手がそこから状況を見て2タッチ、3タッチし、考えた末にまた安全なところにパスを回すようなサッカーに人々を惹きつける力はないし、守りを固める相手チームを安堵させるだけだ。カタール戦では、プレーにリズムがなく、一人ひとりの選手がボールを持つ時間が長すぎた。

私は、ひたすら勇敢に戦えと言っているわけではない。本物の「賢さ」とは、安全なパス回しの中に「変化」が企図され、息の合ったコンビネーションでいきなりスピードアップして相手を驚かせるようなプレーのはずだ。それができるはずの選手たちが、なかなかそうしたチャレンジをしなかったことを問題視しているのである。

■大岩監督の指導で「最も重要な部分」を修正

そして、そこに「自分のところでボールを失いたくない」という集団的なメンタリティが働いているのではないかと想像するのだ。それはアジア相手の「負けてはならない状況の試合」だから生まれたのではなく、サッカーというゲームに対する選手たちの「未熟さ」にあることを、しっかりと認識すべきだと思う。そして、大岩監督の指導で最も重要な部分が、こうした「未熟さ」を修正し、成熟に向かわせることであるのは言うまでもない。

今回のU-23アジアカップを経て、パリ・オリンピックで世界の強豪との対戦を重ね、選手たちが「日本病」を克服し、どんな状況でも「賢さと勇敢さ」を表現できる成熟した選手となって2026年のワールドカップに挑んでくれることを期待したい。そして、それ以上に、育成年代の早い時期から「賢さと勇敢さ」を併せて身につけられるよう、指導者たちに考えてほしいと思うのだ。

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