重度の先天性難聴で生まれた娘を育てるシングルマザー。親子でおしゃべりできるようになる日まで【体験談】

明凛ちゃん5歳のお誕生日を、ママとお祝い!

料理教室や企業へのレシピ考案や商品開発を行う秋山直美さん(46歳・東京都)は、現在小学校2年生の女の子を育てるシングルマザーです。2016年に生まれた娘の明凛(あかり)ちゃん(7歳)は、0歳のときに重度の先天性難聴と診断されました。明凛ちゃんの障害のことや子育ての様子について、直美さんに話を聞きました。
全2回のインタビューの1回目です。

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新生児聴覚スクリーニング検査で両耳“リファー”の結果が

生後3カ月ごろの明凛ちゃん。ご機嫌でニコニコ!

人材サービス会社の営業職を経て、料理教室の運営会社を起業した直美さんの妊娠がわかったのは、法人化を決めてすぐのころでした。会社経営を軌道に乗せるために、妊娠中は日本全国を出張で飛び回る忙しい日々でしたが、妊娠の経過は問題なかったといいます。

「里帰り出産のために、臨月を迎えるころから福島の実家で過ごしました。出産直前までオンラインで仕事をしていて、陣痛が来てからも分娩台でパソコンを開いているような状態でした。産院の先生もおおらかな人で『病気じゃないからいいよ〜』と言ってくれて、助かりました(笑)」(直美さん)

予定日の数日前だった2016年の10月初旬、直美さんは体重2874g、身長50cmの女の子の赤ちゃんを自然分娩で出産しました。

「出産してすぐに赤ちゃんを見たときには、すごくかわいいとか、いとおしいとかの感情はわかず、『ふにゃふにゃしていて小さいな』と不思議に思ったことを覚えています。“どんなことがあっても、明るくまわりを照らす、凛とした女性になってほしい”という思いを込めて『明凛』と名づけました」(直美さん)

無事に生まれた明凛ちゃんでしたが、生後2〜3日で受けた新生児聴覚スクリーニング検査で、両耳リファーの結果となりました。リファーとは「専門医によるより詳しい検査が必要(要再検査)」ということです。

「産院の先生は『生後6カ月くらいに詳しい検査を受けてください』と、東京の大学病院の耳鼻科の紹介状を書いてくれました。正式な診断には、赤ちゃんを眠らせた上で、音を聞かせて脳波を測る検査が必要だとのことでした。

明凛が難聴かもしれない、と言われて驚いたけれど、あんまりネガティブな気持ちにはならず、落ち込むこともありませんでした。私自身、難聴や障害についてなんの知識もなく、明凛がどんなふうに成長するのか、親としてどうすればいいのか、正直まったくわからなくて。 だけど、私の両親も『大丈夫だよ、なんとかやっていける』という感じの人たちで、私もそういうタイプ。『もし難聴だとしてもできるだけのことをしよう』と考えていました」(直美さん)

重度の先天性難聴。でも娘とおしゃべりがしたかった

赤ちゃんのころから食べることが大好きな明凛ちゃん。このときは両耳に乳幼児用補聴器をつけています。

産後1カ月は福島の実家で過ごし、その後は明凛ちゃんと2人で東京の自宅に戻った直美さん。そして、生後6カ月になった明凛ちゃんは東京の大学病院で聴力の精密検査を受けます。

「検査の結果は『重度の先天性難聴』。ジェット機のエンジンを近くで聞いても聞こえないくらいの聴力だそうです。遺伝子検査もしましたが、原因はわかりません。遺伝子もとくに異常はなく、家系にも難聴の人はいませんでした。

難聴だと生活がどのくらい大変なのか、全然想像がつきませんでしたが、ただ、聞こえないことで言葉を話せないのはデメリットになるだろう、とは考えました。明凛の人生の選択肢を可能な限り広げるには、まず話せることが必要だと思ったんです。それに私自身、できることなら明凛と2人でたくさんおしゃべりしたいな、という気持ちがありました。そこで、担当医に言語獲得をするための療育施設を聞いてみたところ、練馬区にある『聴こえとことばの教室』を紹介されました」(直美さん)

『聴こえとことばの教室』以外にもいくつかのろう学校を見学した直美さん。学校によって手話などどんなコミュニケーションの方法を学ぶか、それぞれ考え方に特色があるのだそうです。

「明凛が療育によってどのくらい言語獲得できるのか、いずれ人工内耳の手術をしたほうがいいのか、まだはっきりわからない段階だったので、いくつかの施設を見学しました。そのなかで、『聴こえとことばの教室』に通う5〜6歳の難聴の子どもたちが、健常児と同じようにはっきりとしゃべっていたことに驚いたんです。

そこは、難聴をもつ子どもが補聴器や人工内耳を使って音や声を聞いて言語を獲得し、話すことでのコミュニケーションができることを目的としている施設でした。難聴があっても、療育を受けるとこんなに可能性が広がるんだなと感じました。もちろん人によっていろいろな考え方があり、話すコミュニケーションや手話によるコミュニケ―ションなど、どれがいい悪いということはないと思います。ただ私が明凛に受けさせたいと考える教育にマッチしたのが『聴こえとことばの教室』でした」(直美さん)

そして、直美さんと明凛ちゃんが一緒に療育に通う生活が始まりました。

親子で日々療育に通い、言葉の練習をする毎日

人工内耳の1回目の手術のとき、大好きなおばあちゃんとおじいちゃんが会いに来てくれました。

当時住んでいた場所から『聴こえとことばの教室』までは往復3時間かかる距離だったため、直美さんは教室の近くへ引っ越しをすることに。

「明凛は生後6カ月で補聴器をつけ、療育を受け始めました。当初、療育の先生に言われて印象的だったことがあります。『健聴児が“りんご”と1回聞いて“りんご”と言えるようになるとしたら、難聴の子は1000回聞いて“りんご”と言えるようになると思ってください』というものです。

言葉の獲得のためにはたくさん言葉を聞かせることが大切なので、親も毎日子どもと一緒に通って、授業を見学したり参加したりして、自宅でも先生と同じように子どもの療育を行う必要がありました」(直美さん)

直美さんはシングルマザーで自身の事業も行いながら、週の大半を療育に通い、自宅でも明凛ちゃんの療育からの課題を行うなど、明凛ちゃんの療育が中心の生活を送るようになりました。

「明凛が0歳から6歳まで、週に3〜4回は療育に一緒に通いました。療育は、午前中の授業を受けて、教室で給食を食べ、午後の授業も一緒に付き添うグループレッスンをする日、午後から個別にレッスンをする日などがありました。遠足にも同行するし、発表会の練習も子どもと一緒に行います。今まで積み上げてきた仕事を手放すわけにはいかなかったので、療育の合間になんとか仕事をこなす毎日は、今振り返っても本当に大変でした」(直美さん)

言語獲得のため、人工内耳の手術を受けることに

明凛ちゃんが3歳で右耳の人工内耳の手術をしたあと。左の写真のように、皮下に人工内耳の受信コイルが入っています。

補聴器をつけて声や音を聞く療育を受けていた明凛ちゃんですが、やがて人工内耳をつけることにしました。

「2歳のころに『補聴器では言葉の聞き取りが不十分で言葉の獲得が難しい可能性がある』と療育の先生に言われたことがきっかけで、人工内耳の検討を始めました。そして3歳で右耳に、5歳で左耳に人工内耳を装用するための手術を受けることにしました」(直美さん)

人が音を聞くしくみは、外耳と中耳で音を集めて増幅させ、内耳がその音の振動を電気信号に変換して脳に届けています。
人工内耳は、体外部分のマイクで拾った音を電気信号に変換し、内耳の蝸牛(かぎゅう)に挿入した電極で聴神経を直接刺激することで、脳に音を伝えるようにする装置です。

「3歳で右耳の人工内耳の手術をして、手術の傷が治ったあとに体外装置をつけて電気信号のレベルを調整をしました。明凛は当初、この体外装置をつけるのをすごく嫌がりました。電気信号が送られる感覚に慣れなかったようで、ぐずって『ワーッ!』と体外装置を取ってしまうんです。なかなかつけてくれなくて困っていたら、言語聴覚士の先生に『必ずつけるようになるから長い目で見て』とアドバイスを受けました。

それから1〜2週間ごとに『マッピング』といって、電気刺激のレベルを調整しながら、少しずつ装用する時間を長くしていきます。
そうするうちに、半年から1年ほどで、人工内耳をつけていると生活の役に立つことがわかり始めるタイミングがあるようです」(直美さん)

明凛ちゃんは、少しずつ人工内耳を装用することに慣れていきました。

「いつの間にか朝起きたら自分でつけられるようになり、就寝時以外はずっと装用するように。5歳で左耳の手術も行ったあと、徐々に聴力が上がってきて、現在は40デシベル前後の聴力に落ち着きました。
40デシベルというと、小さな話し声は聞き取りにくいけれど、普通の会話には不自由しないくらいの聴力です。

人工内耳をつけたからといって、普通の人と同じように音が聞こえるわけではないので、音を聞く能力を高める訓練も必要でした。たくさん言葉を聞く練習をして、話す人の口を見たりしながら、『この音はこういう言葉なんだな、こういう意味なんだな』と少しずつ理解して、だんだんと言葉を話せるようになりました」(直美さん)

明凛ちゃんは、その後、校内に「ことばの教室」という言語障害学級が設置されている地域の小学校に入学しました。ふだんは通常級で授業を受け、週3〜4回を校内の「ことばの教室」で通級指導を受けています。

「私とも、お友だちとも、声で話をしてコミュニケーションを取っています。明凛は今小学校2年生ですが、これまでの学校生活では難聴を理由に困ったことはとくになく、毎日とっても楽しく通っています」(直美さん)

お話・写真提供/秋山直美さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

料理家として活躍する秋山さん。明凛ちゃんも、ママと一緒にお料理をする時間をとっても楽しんでいるそうです。次回の内容は、明凛ちゃんが5歳でインクルーシブ合唱団に出会ってからのことについてです。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

参考/一般社団法人日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年4月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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