日本が飛び越してしまった技術? メタル線で高速通信を実現する「G.hn」へ至る道(その1)【ネット新技術】

by 大原 雄介

今回からは、集合住宅などでメタル線を使って高速通信を行う技術について、G.hnを中心に紹介していく。2月7日に、Ruijie Networksへのインタビュー記事が掲載されているのだが、お読みいただいているだろうか? 同社は、国内では事実上初となる、G.hnソリューションを提供しようとしている。

ただ、G.hnやそれ以前のG.fastも、国内ではほぼ使われていない。理由の1つは、NTTが早くからFTTH(Fiber To The Home)を掲げてメタル線から光ファイバーへの移行を図り、またソフトバンクも2010年頃に「光の道」を提唱してやはり光ファイバーへの移行を促進するなど、他国だとADSLからVDSLを経てG.fastに移行を行っていたのに対し、アクセス回線がさっさと光化されてしまったことが大きい。

それでもVDSLはマンションなどで結構使われたりもしたのだが、実はこれもだいぶ光化が進んでしまった。これは首都圏とその他の地域で若干事情が違うのだが、首都圏に関して言えば2011年の地デジへの移行が大きな影響を及ぼしている。「何で?」と思われるかもしれないが、マンションならではの事情が関係している。

早い光化に加え、地デジ移行がもたらした日本の特殊事情

首都圏の場合、地デジ移行前はVHF帯でのTV放送が行われていたが、地デジ移行後は全てUHF帯にチャンネルが移行してしまった。実はこれが厄介で、一軒家とかアパート程度ならアンテナと分配器を交換、必要ならブースターを追加程度(これも言うほど簡単ではないのだが、それはさておき)で対処できるのだが、ある程度大規模なマンションになると、「やってみたら駄目だった」ということがしばしば発生した。やってみて、というか地デジ対応工事を始める前にテストを行ってみたら駄目だったという感じだ。

主な理由は配線の劣化であるが、中には4C2Vで配線されていることが判明した! なんてケースもあった(4Cは同軸ケーブルの太さ=皮膜の厚さを表す。一般に屋外や集合住宅の公共部では、より太く、物理的な耐久性やノイズへの耐性が高い5Cが使われる。2Vは使用する絶縁体の種類や対応周波数帯を表す。2VはUHF放送までなら対応可能だが、より高い周波数帯を使用するBS/CSなどには不向き)。

ここで、アンテナとブースター、分配器を全部取り換えるとなると相応にコストが掛かる。さらには「そこまでコストを掛けるならBSとかCSも見られるようにしてほしい」などと要望が出る場合もあり、そうなると、5C2Vでも厳しいため、対応工事は大掛かりとなる。

こういう状況に対して、猛烈な営業を掛けたのがCATV業者である。CATVと契約してくれるなら、工事費無料(流石にチューナーとかまで無料、というケースはあまりなかった)で対応します、というわけだ。で、これも業者によるのだが、昨今ではCATVもかなり光に移行している。なので館内のアンテナ線とかVDSLの配線は使わずに、新たに光配線をし直してしまった。

といっても、当初から配線を変更できる配慮をしたマンションなんていうものは殆ど無い。ではどうするか? というと、建物の屋外に配線を行い、クーラーの吸排気口から屋内に配線を引き込むというかたちで実装した。

以下の4点の写真は、実際に都内のあるマンションで施工された例である。一度これをやってしまうと、地デジやBS/CSだけでなくインターネット接続もこのCATV経由でという話になるわけで、CATV業者は長期的に見れば工事費を十分に回収できたと思うのだが、それはさておき。

ちなみに、地デジとは無関係に「既存のインターネット接続を光ファイバーにアップグレード」なんて営業もやはり行われており、その場合の、マンション内の光ファイバー敷設方法も同じであった。そうこうしている間に、マンションの建設時には最初から光ファイバーを敷いておけ、という風潮に切り替わってしまった感がある。

これは建物の一番端の1階部分。まだ何もない
工事後。白い配線は電柱に繋がる引き込み部。黒いのが各階に分岐する形での屋外配線。ベージュの箱の中に、おそらく光スプリッターが収められている
2階のベランダ部分の上部。当初はこんな感じ
工事後。白い箱の中にもおそらく光スプリッターが入っており、下側に部屋内への分岐部が出ているのがわかる。黒い配線は左から来て、そのまま右に続いている。ほぼ2部屋に1個づつの割合でこの小さな白い箱が設置されている。黒い配線はベランダに隠れるように配線されているので、外部からはほとんど目立たない

そんなわけで、ADSLやVDSLの回線がG.fastではなく光ファイバーに移行してしまったのが日本、というのが実情ではないかと思う。筆者が見聞きしている事例は主に首都圏に限られるので、地方ではまた事情が違うかもしれなが、KDDIは2016年、NTTは2023年、Softbankも2024年にはADSLのサービスを終了し、代替は光ファイバー接続になっていることを考えると、大きな流れとしては間違っていないと思う。

こうした状況は、日本がおかしいというか、先に進みすぎているという話で、欧米ではまだメタル線を利用するケースが多く、ここに向けて高速化という取り組みは継続して行われていたというか、いる。ただ、これには複数の規格と複数の団体が入り混じっており、ちょっと判りにくいので、以下に並べていこう。

ITU-Tにて、ADSL、VDSLなどが次々と標準化

まず1998年ころからメタル系のアクセス回線技術の標準化を行ってきたのがITU-T(International Telecommunication Union-Telecommunication Standardization Sector)のSG15(Study Group 15)である。ここが標準化を行った技術には、下表のようなものがある。

1998年のHDSL(High bit rate Digital Subscriber Line)は、2対のツイストペアケーブルを利用し、1544kbpsないし2048kbpsで通信を行うというもので、ただし10km以上の長距離接続が可能というものだった。

2001年に出たG.991.2はSHDSL(Single-pair high-speed digital subscriber line)で、転送速度は192kbps~2312kbpsとなっているが、Annex Fに定義されたオプションでは最大5696kbpsが可能となっている。名前に"Single-pair"が付いていることからも分かるように、1対のツイストペアケーブルで通信が可能である。なお、このG.991.2は2003年12月に改訂されており、ここではG.shdls.bisという名前のBonding機能が言及されたものの、この時点ではまだdraftのみであり、これは最終的に2005年1月にG.998.2(Ethernet-based multi-pair bonding)として標準化されている。これを利用すると4対を束ねて4倍の高速化も可能になっている。

1999年6月に標準化されたのがADSLである。こちらはAsymmetric digital subscriber lineという名前から判るように非対称構成であり、通常の一対のツイストペアケーブル上で下りが最大8Mbps、上りが1Mbpsの通信を可能にした。ちなみにこの数字は仕様上の最大帯域であって、実際のサービスはもっと遅いし、あと距離とか途中の配線状況によっても大きく影響を受けた。

このADSLの通信速度を高速化したのが、2002年7月に標準化されたG.992.3ことADSL2や、2003年5月に標準化されたADSL2+である。また初代のADSLであるG992.1にAnnex Hとして2000年10月に追加されたのがSSDSL(Synchronized Symmetrical DSL)である。これはISDNと同じ配線を利用して、192kbps~1.6Mbpsの通信を可能にする規格であり、国内では東京めたりっく通信がこのSSDSLを採用したことで有名である。もっともSSDSLはそれ以上普及はせず、ADSLの方が広く利用されることになった。

ADSLをより高速化した規格として登場したのが、2001年11月のG.993.1ことVDSLである。Very high Speed Digital subscriber Lineの略で、仕様上はADSLなどと同じく一対のツイストペアケーブルでの接続なのであるが、実装を見てみると同軸ケーブルを使ったりする場合もあった。

高速化の肝はより高い周波数帯まで利用することで、ADSLが上り138kHz、下り1.1MHzまでを利用して伝送を行うのに対し、VDSLでは12MHzまでを利用した。この結果として理論上は下り55Mbps/上り3Mbpsの帯域を確保できることになったが、当然ケーブルへの信号伝達の要求は厳しくなるわけで、この理論上のピーク性能を発揮できるのは300m程度、多少速度が落ちることを前提にしても1kmくらいが限界とされているため、アクセス回線で利用した例は多くない(ないわけではない:NTT東西でも、BフレッツのマンションタイプでVDSLを利用したサービスを提供していた)。

このVDSLは、2006年2月により高速化したG.993.2ことVDSL2が、2010年4月にはG.993.5ことVDSL2 Vectoringがそれぞれ発表されている。VDSL2では最大30MHzまで利用する周波数帯を広げており、これで一対のツイストペア配線上で下り最大200Mbps/上り最大100Mbpsの帯域が実現できるとしている。

ただ、実際に30MHzまでの帯域を利用できるのはRegion Cこと日本向けのみで、Region A(北米)とRegion B(欧州)向けは最大12MHzどまりなため、転送速度は68Mbit/secと、VDSLと大して変わらないことになっている。トレリンスエンコードの採用やTrain Echo Canceller/Time-domain EQalizer(TEQ)の実装などで到達距離は26AWGを使った場合で2500m、とされているものの、実際にはやはり1km未満で利用するのが常である。

このVDSL2にVectoringという技術を適用したのが、2010年4月に発表されたG.993.5ことVDSL2 Vectoringである。VectoringはSelf-FEXT cancellationなどとも説明されるが、複数のVDSL2回線の干渉の影響を緩和する技術である。それこそマンションの様な集合住宅では、複数のVDSL2回線が束ねられて配線されるのが珍しくなく、すると別の回線からの雑音(漏話雑音)が混入しやすくなる。そこで、あらかじめこの漏話雑音が影響しあう程度を推定し、それを排除できるような演算を行って信号を送り出すことで、伝達特性を改善するというものだ。ただVectoringを行ったからといってピークの帯域が向上するわけではなく、あくまで実効転送速度が改善するだけである。ちなみにこのVectoringは次のG.fastでは必須機能となった。

これに続き、2014年に標準化されたのがG.fastである。Fast Access to Subscriber Terminalsの略らしいのだが、最初のFastがそのままfastの略という、なかなか面白い名前の付け方である。G.fastはG.9700とG.9701からなり、G.9700がPower spectral density specification、G.9701がPhysical layer specificationとなっており、両方で一組という扱いである。このG.fastは、一対のツイストペアケーブルで最大1Gbps(Profile 106a)ないし2Gbps(Profile 212a)の通信を可能としている。ちなみにこのProfileの値は要するに利用する周波数帯域で、106aは106MHzまで、212aは212MHzまでの周波数帯を利用する。

当然ここまで信号周波数が上がると到達距離はどんどん短くなる。Specificationによれば、以下が直径0.5mmのストレートワイヤペアを利用した場合のRecommendation targetsとなっており、ちょっとアクセス回線として利用するには厳しい数字である。

  • 500~1000Mbps:100m未満
  • 500Mbps:100m
  • 200Mbps:200m
  • 150Mbps:250m

さらにこの後継規格として、2020年~21年に標準化が完了したのがMGfast(Multi-Gigabit Fast Access to Subscriber Terminals)で、G.fast同様にG.9710がPower spectral density specification、G.9711がPhysical layer specificationとなっている。こちらは利用する周波数帯を424MHzまで広げることで、4Gbpsの転送速度を実現している。

ちなみに、FDX(Full-Duplex)では上り下り共に4Gbps、TDD(Time Division Duplex)では上りと下りを合わせて4Gbpsである。当然到達距離は更に減っており、Recommendationでは通常のツイストペアケーブルで30~100mとなっており、もはや屋内配線専用といった感じになっている。もっとも性能が多少落ちることを覚悟すれば、ツイストペアケーブルあるいは同軸ケーブルを使って最大400m程度まで利用できる(はず)、という説明も入っている。

というあたりまでが、ITU-TのSG15が直接手掛けた標準規格である。タイトルのG.hnはどこに行った? と言われそうだが、これはまた別系統の話である。またITU-T以外が行った、メタル線の別規格もいくつかある。次回はこのあたりをご紹介したい。

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