なぜ「時計シェア」は失敗するのか

高級時計は盗難や詐欺など犯罪の対象になりやすい (KEYSTONE)

高級時計のシェアリングサービス「トケマッチ」に預けられた数百本の高級時計が行方不明になった事件では、詐欺師に時計を預けた被害者自身もソーシャルメディア上で非難された。スイスにあった類似サービスは、事業者に悪意がなくとも時計の共有ビジネスが難しい事情を浮き彫りにする。

高級時計のシェアリングサービス「トケマッチ」が1月末、突然サービス終了を発表したが、一部の時計は所有者の元に返却されないままだ。被害者団体によると、行方不明になった時計は約900本近く、総額19億円相当。9割がロレックスやチューダーなどスイス製だった。トケマッチの運営事業者「ネオリバース」は、当初から時計をだまし取る狙いでサービスを立ち上げたと報じられている。

「被害者のほとんどは時計愛好家。同じ時計ファンから叩かれると本当につらい」―100万円で購入しトケマッチに預けた時計が返って来ない30歳代男性はこう嘆く。事件が報道されると、SNS上では「大事な時計を見知らぬ人に預けるのは時計ファンではない」「明らかなポンジスキームなのに騙されるのが悪い」といった被害者叩きが噴出した。

それが正しいとすれば、個人間で時計を貸し借りするシェアリングサービスはそもそも成り立たないのではないか?

スイス版時計シェア

実は高級時計のお膝元スイスにも、個人同士の貸し借りをつなぐシェアリングサービスがあった。2019年8月にサービスを開始したDIALSは、市場価格4000フラン以上の時計をオーナーから預かり、借りたい人に3週間、3カ月、半年の3期間でレンタルしていた。

レンタル料は時計のモデルに応じて3週間なら250フランから、半年なら月150フランと設定。オーナーは貸し出しが発生したときだけその40%を受け取る仕組みだった。

「共有できるのに、なぜ買う必要があるのか?高級品であればなおさらだ」。創業者チームの1人、ロビン・フォーゲルサング氏は立ち上げ当時、創業の動機をメディアにこう語った。

当時DIALSでブライトリンクの時計を借りた男性は、チューリヒのテレビ局の取材に「もっと高価な時計も自分で持っているが、私にとっては変化に富んでいることが大事だ。20年も30年も同じ時計を身に着けたくない」と語った。

DIALSの基本構造はトケマッチによく似ていた。大きな違いは、運営者には悪意がなかったことだ。

それでもトラブルは起きた。

別の共同創業者ユリアン・フォーゲルサンング氏はswissinfo.chの取材に「長期的にみると、シェアリングモデルには将来性がなかった」と振り返る。DIALSではレンタル希望者の身元を入念に審査していたが、それでも時計を返却しない借り主を見抜けなかった。

持ち逃げを図った借り主を相手に刑事訴訟を起こさねばならず、裁判費用がかさんだ。同社が加入していた損害保険料も上昇した。それらを転嫁した結果、レンタル料が高くなりすぎてしまったという。

採算が合う保険料に抑えるには、多数の時計を貸し出さなければならないが、利用者は伸び悩んだ。2023年1月、同社はサービスを終了した。

「コンセプトはとても魅力的で、支持する声も多かった。だが詐欺師を事前にあぶりだす方法が不可欠だ」(フォーゲルサング氏)

高級時計の特質

スイス最大の物品シェアプラットフォーム「シェアリー(Sharly)」でも、高級時計の貸し出しオファーはない。最高執行責任者(COO)のイヴォ・クーン氏はswissinfo.chに、「高級時計はメンテナンスが大変なので貸し出しは割に合わないのでは」と語った。

シェアリーでは1万5000フラン(約250万円)までは付帯する損害賠償保険でカバーされる。ただ高級時計の人気モデルは品薄で、保険金が下りても再購入できない可能性がある。

時計に限らず、そもそも物品の個人間貸し借りは不動産や交通分野に比べて普及していない。ルツェルン大学の実施した調査「スイス・シェアリングモニター」によると、物品シェアの認知度は30%。短期間不動産シェアの87%やカーシェアの93%を大きく下回る。利用経験者は3%とごく少数派だ。

調査を主導したドミニク・ゲオルギ経済学教授は、「多くの借り主は、借りた物を自分の所有物よりも丁寧に扱う傾向が観察されている。だが、全く逆の場合もある」と指摘する。

さらに、高級時計は二次市場が大きく、転売しやすいという特徴もある。ロレックスなどの人気モデルは入手しにくさのあまり、転売価格が店頭価格を上回ることもあり、詐欺や盗難・強盗など犯罪の対象になりやすい。

盗難・紛失時計のデータベース「ウォッチ・レジスター」によると、2023年に新たに届け出のあった時計の数は前年の3倍以上に膨らんだ。累計では10万本、15億ポンド(約3000億円)が登録されている。

理論的には可能だが…

住宅や交通分野をはじめシェアリングサービスが急速に普及した背景の一つに、消費者の価値観が「所有」から「利用」へと移っていることがある。所有することがステータスとされてきた高級時計は、確かに借りるだけでは意味が無いかもしれない。

だがゲオルギ氏は、理論的には時計もシェアリングサービスは成立するとみる。高級時計を一度は着けてみたいものの、資力や品薄が原因で購入できない人は多い。一方で、複数の時計を持ち「全てを手元に置いておく必要がないオーナーは少なくない」。

どうすれば借り主の詐欺を防げるか。ゲオルギ氏は「プラットフォーム上のレビュー機能が助けになる。推奨されるのは、最高評価を得ているユーザーにしか貸し出さないことだ」と話す。将来的にはブロックチェーン技術も持ち逃げ防止に役立つとみる。

悪意ある仲介業者を締め出すには、第三者機関による認証制度も有用だ。トケマッチは業界団体のシェアリングエコノミー協会の認証を受けていたことで、貸し主が安心してしまった面があった。日本経済新聞によると、同協会は事件を受けて審査体制の見直しに着手している。高額商品については追加で財務状況の提出を求めたり、経営者の信用をチェックしたりする案が浮上しているという。

ただ日本ではトケマッチ事件により、既に時計シェアに対する悪いイメージが広まってしまった。時計愛好家たちが好きな時計を共有できる日が来るかどうか、知っているのは時計だけかもしれない。

独語での編集:Reto Gisy von Wartburg、校正:大野瑠衣子

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