『虎に翼』寅子が挑む“高等試験司法科”とは? 現在の司法試験と異なる法律家への道のり

『虎に翼』(NHK総合)第6週で、寅子(伊藤沙莉)は高等試験司法科を受験する。法律家になるために試験に合格しなくてはならないのは、今も昔も同じである。一方で、時代の変化に合わせて試験制度も変化してきた。寅子が受験した昭和初期から現代に至る変遷をたどってみたい。

司法試験に合格すると法律家になれる。正確には司法修習を経て司法修習生考試(二回試験)に合格する必要があるが、裁判官、検事、弁護士の法曹三者は司法試験に合格していることが前提となる。現在行われている司法試験は、法科大学院修了か在学中に所定の単位を取得して認定を受けたこと、または予備試験に合格すれば受験資格が得られる。国籍、性別、年齢の制限はなく、上記の条件を満たせば、受験資格を得てから5年間の受験が可能となる。

日本で弁護士という職業が登場したのは、1893年(明治26年)の弁護士法制定からである。1890年(明治23年)の裁判所構成法によって裁判所の組織が整備され、それまでの代言人から名称が改められた。当時は、判事・検事と弁護士の試験は別々に実施されていたが、これが統合されたのが1923年(大正12年)。キャリア官僚を登用する高等文官試験の一つ「高等試験司法科」として再編成された。

高等試験司法科を受験するには旧制高等学校、大学予科を卒業するか、当時の予備試験に合格する必要があった。また日本国籍を有する者に受験資格があり、当時、統治下にあった朝鮮、台湾の出身者も受験が認められた。高等試験司法科は1948年(昭和23年)に廃止され、翌年から旧司法試験が開始された。

高等試験司法科で女性の受験が認められたのは1933年(昭和8年)。試験に合格すれば、女性も男性と同じように弁護士として活躍する道が開かれた。ただし、裁判官と検事にはなれなかった。裁判官と検事の候補生である司法官試補は「日本帝国男子」に限られていたためである。戦後この制限は撤廃され、女性初の裁判官と検察官が採用された。

司法科の試験内容を見ていこう。高等試験は筆記と口述試験があり、一次の論文式の筆記試験は7科目で、必須科目として憲法、民法、刑法、商法に加えて、民事訴訟法または刑事訴訟法のいずれかを選ぶ。選択科目は2科目で、行政法、破産法、国際公法、国際私法のほかに哲学や心理学、経済学などから事前に指定する。筆記試験では、六法を参照することができた。二次の口述試験は3科目で、民法または刑法のどちらかは必須とされ、残り2科目を選択できた。筆記試験に通れば、口述試験に落ちても希望により翌年の筆記試験が免除される。

こうして見ると、受験に必要な修了資格や試験科目は現行の司法試験や予備試験と共通点がある。他方で、筆記試験の免除など現在はない制度もある。ちなみに、出題された問題は「法定地上権ヲ説明スヘシ」(民法、昭和9年)、「天皇ノ国法上ノ地位ヲ明カニス」(憲法、昭和13年)など比較的短文の問題が多かったようだ。昭和13年の憲法の問題は、東京帝大教授で憲法学の権威である美濃部達吉が、天皇を国家の機関と捉える天皇機関説が発端となって貴族院議員を辞職した「天皇機関説事件」の直後であり、受験生は頭を悩ませたに違いない。

寅子が高等試験司法科を受験した昭和初期と比較すると、現在は法科大学院が定着し、予備試験ルートや法学部から一貫した教育を施す法曹コースが設置されたことで、多様な人材を受け入れ、キャリア選択の柔軟性が増した制度となっている。ただし、昭和初期から改善されているものの、依然として女性法律家の人数は男性より少ない現状だ。『虎に翼』を観て、「我こそは」と法曹の世界に挑戦する人が増えることを期待したい。

参考
中野英郎『近代的司法制度の成立と外国法の影響』
啓明社編輯部編『高等試験行政科外交科司法科分類別問題集 昭和10年版』(啓明社)
堀之内敏恵『高等試験の試験科目「憲法」に関する基礎的研究-試験委員と筆記試験問題-』
国立公文書館デジタルアーカイブ
(文=石河コウヘイ)

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