山﨑果倫×櫻井圭佑が“唯一無二”の都楳勝監督作『夢の中』で得た経験 「俳優冥利に尽きる」

注目の新世代俳優・山﨑果倫と櫻井圭佑がメインキャストを務めた映画『夢の中』が、5月10日より公開される。夢と現実の境界がおぼろげな日常を生きる女性タエコと、彼女との出会いから自らの過去と対峙することになる青年ショウの織り成す痛切なドラマを、夢幻的なタッチで描いた意欲作だ。監督・脚本を手がけたのは、MOOSIC LAB 2019短編部門グランプリほか4冠を達成した『蝸牛』の新鋭・都楳勝。その独特の作家性に触れた俳優2人に、一筋縄ではいかない現場体験の数々を語ってもらった。(岡本敦史)

●偶然とは思えないほどの“縁”の数々

――都楳勝監督によるオリジナル脚本を、おふたりが読んだときの印象は?

山﨑果倫(以下、山﨑):脚本は何度も改稿を重ねて、その間にいろんな変化があったんです。最終的に受け取ったシナリオの印象は、正直言って「難しい作品」という印象でした。私の頭のなかでは完成時のイメージがまったく思い浮かばないほど、どんなふうに出来上がるのか想像がつかなかったんです。だから、自分がタエコ役として出演するシーンを読み解いていくのに必死で、あまり余裕がなかったのを覚えています。「なぜ彼女はこの場面で、こんなセリフを言うのだろう?」という真意が掴みづらい箇所がいくつかあって、その疑問を乗り越えていくのに時間がかかりました。

櫻井圭佑(以下、櫻井):僕も山﨑さんと同じく、難しいホンだなという印象がありました。セリフの情報量がとても少なく、しかも現実・幻想・回想といったものが混在している内容だったので、なかなか作品全体のイメージを掴めなかったんです。各場面の芝居も、普段であれば前後のシーンのつながりなどから想像できるんですが、それも難しかった。ただ、オファーをいただいた時点で、都楳監督の前作『蝸牛』を拝見していたので、セリフには頼らず、それ以上に重要な表現があるのだろうとは予想していました。

――現場入りしてからも、難しい印象は引きずったまま?

山﨑:何も分からないまま現場に入ったということは、もちろんなかったです。シーンの解釈や人物の感情、その落としどころや擦り合わせといった部分は、すべて自分のなかでやりきったうえで撮影に臨みました。作品の完成像はきっと都楳監督にしか見えていなかったと思うのですが、私は撮影前から監督と頻繁にコミュニケーションをとっていたので、十分に準備してタエコを演じることができたと思います。

――現場では都楳監督からどのような指示が?

櫻井:本番前に、すごく丁寧にリハーサルをしていただきました。その段階でキャラクターのディテールや、セリフのトーンなどを繊細に掘り下げることができたんです。なかなかタイトなスケジュールでもありましたし、コロナ禍の影響で撮影延期になったりもしましたが、クランクインしてからは非常にスムーズな進行でしたね。都楳監督の現場演出も、調整という範囲内で柔軟に対応されている印象でした。

山﨑:そうですね。演技の方向性とか、役の解釈について「合ってる」「違う」みたいな演出よりも、視線の行き先、身体の動きといった物理的な調整のほうが多かった気がします。

――かなり具体的な指示が多かった?

山﨑:都楳監督のなかでは正解がかっちり決まっているんだな、という印象でした。ちょっとでも違うとNGなんです。声の高さ、動きの速度、あるいは反応が速すぎたり、リアクションが良すぎたりすると「タエコはもう少しゆっくりだよ」と言われたりしました。そういう都楳監督のなかの正解が厳密にあったので、自由奔放に演じるという感じではなかったですね。

櫻井:確かにタエコという人物に関しては、都楳監督のなかに確固たるイメージがあって、そこに一貫性を持たせるために現場で細かく調整されていたと思います。それに対して、僕が演じたショウの場合は一貫性というより、シーンごとの感情などを都楳監督が適宜演出してくださった印象があります。ショウはタエコに対して影響を与えようとする人物で、タエコに攻めていける、タエコはそれを受けるという対比的な構造が作品内にハッキリありました。だから、タエコに比べれば自由にコミットできる余地があったと思います。

――夢と現実の区別がつかないというタエコの感覚は、山﨑さん自身は理解できるものでしたか?

山﨑:タエコとまったく同じ感覚を実体験として得たことはおそらくないのですが、近しい体験はあると思います。熱さや冷たさを一切感じなかったり、物に触れている感覚を失ってしまったり、自分が地面に立っている感覚すら消えてしまったり……そういう現実から乖離した浮遊感のようものを味わった経験は自分にもあります。極度の緊張や不安、何かに対して恐れを抱いたとき、あるいはものすごく落ち込んだときにも、そんな状態になることはあると思います。そういうときは感情にエネルギーがすごく集中するので、身体的な感覚が薄くなるんじゃないかと思うんです。きっとタエコも、目で見ているもの、手で触れているものが、自分の頭や心のなかの認識と一致していない。そういう状態を想像して、私がこれまで体験したことのある浮遊感と照らし合わせて、タエコと自分の感覚を重ねていました。

――その意識のあり方みたいなものは、早々に掴めたのでしょうか?

山﨑:準備期間を長くとっていただいたのと、都楳監督が細かく教えてくださったので、現場で迷子になるようなことはなかったです。「私のなかのこういう感覚を落とし込めば、タエコになれるんだ」という手応えは、それこそリハーサルのときにたくさん試すことができたので、しっかり得られたと思います。夢見心地といっても、キラキラ・フワフワみたいな感覚ではなくて、もう少し心配をさそうような浮遊感を大切にしました。

櫻井:その浮遊感について山﨑さんがすごく悩んでいたとき、都楳監督が「タエコはずっと地上から1センチ浮いているイメージなんです」と言ったんです。それを聞いたとき、僕もすごく腑に落ちたし、山﨑さんも「あ、そういうことなんですね!」って納得してましたよね。僕も客観的に見ていて「確かに心理面や感情面で突き詰めようとすると、タエコって難しい役柄だよな」と思っていたんです。それを都楳監督はポンと明快なヒントを投げて、難しい壁を乗り越えさせてしまった。そのやりとりは傍から見ていて面白かったですね。

山﨑:あの一言でだいぶ助かったんです。内面で考えているとすごく複雑な役なんですけど、身体的に作っていったらメチャクチャ楽になりました。本当に、難しい役でしたね……。

――山﨑さん自身は、タエコはひときわ手厚く演出されているという自覚はありましたか?

山﨑:とてもセンシティブに扱われている感じはしました。ほんの少し口角が上がるだけでNGになったり、見ている細かさが違うなと。その監督の潔癖具合が、撮影の後半になるとだんだん伝染してきて、演じながら自分でも「いまのは違う」と思ったら案の定NGだったりしました(笑)。タエコはどんどん内面を虚無に、ゼロ状態にしていって、ちょっとでも感情が表れたときに劇的になるというのを監督は目指していたと思うんです。だから私は極限まで削ぎ落さないとダメだったので、その演出は徹底していましたね。

――櫻井さんにとって、都楳監督の演出はいかがでしたか?

山﨑:僕はわりと自由にやらせていただいたほうだと思います。監督から細かい指示があるというよりも、自分から聞いていく感じでしたね。「ここは感情的に繋がっていなくていいんですよね?」とか「この場面は幻想という解釈でいいんですか?」とか。やっぱり難しいホンだったので、曖昧なままやり過ごしてはいけないと思って自分から努力した思い出はあります。

――ショウは駆け出しのカメラマンという設定ですが、櫻井さん自身の写真家としての活動が役に活かせたところはありますか?

櫻井:写真家としての活動が反映できた部分はそんなにないと思いますが、カメラを常日頃から扱う人間の自然さは出せたかなと思います。たとえば喫煙シーンを俳優が演じると、喫煙者と、そうでない人の違いは如実に出やすいですよね。そういう意味で、カメラは僕が普段から触っているものなので、単純に「扱い慣れないものを手にして意識がそこに行き過ぎる芝居」にはならずに済みました。山谷花純さんが演じたアヤという恋人を撮影するシーンでも、非常にパーソナルなものとして、自然に手に馴染んでくれました。自分の演技がどうだったのかはまた別問題ですが、カメラを日常的に使っていてよかったと思いましたし、運命を感じましたね。当て書きではなかったので、すごく幸運でした。

山﨑:ショウ役に必要な要素が、櫻井さんにすべて揃っていたんですよね。カメラを扱えて、水泳もできて、ボートも漕げて。

櫻井:ボートを漕ぐのは特技でもなんでもないけどね(笑)。水中撮影のシーンがあるんですが、僕は競泳をずっとやっていたので、水に対する恐怖心は全然なかったんです。

山﨑:演技に活かされたというよりは、このタイトなスケジュールで撮影を成し遂げるというミッションにとって、櫻井さんのいろんな力が必要不可欠だったと思うんです。偶然にしては出来すぎていると思うぐらい(笑)。私も本当に助けられました。

櫻井:御縁だな、と思いましたね。ちなみに劇中に出てくるカメラは、僕が個人所有しているサブ機なんです。ショウって普段どんなカメラを使ってるんだろう?という話が出たとき、プロのカメラマンの助手として働いている人だから、プロ級ないしアマチュアのプロラインは持っているのではないかと。そのあたりのディテールは見る人が見れば分かってしまうので、たまたま持っていた7D Mark IIという機種を選びました。

山﨑:そうだったんだ!

櫻井:ただ、雨のシーンでは中古のカメラに差し替えてもらいました(笑)。ずぶ濡れになっちゃうので、気を使っていただいて。

山﨑:撮影以外の時間にも、現場でけっこう写真を撮っていましたよね。

櫻井:そうなんです。劇中でショウが撮ったアヤの写真は、実際に僕が撮ったものを活かしていただいたりしています。部屋に貼ってある写真とか。

山﨑:現場で櫻井さんがカメラを構えている光景が、いまも目に浮かびます。

●“映画”だからこそ描けるもの

――撮影はコロナ禍の最中に行われたそうですが、苦労したことは?

櫻井:クランクイン直前、けっこう長期にわたって撮影延期になったんです。確か、半年ぐらいブランクがあったんじゃないかな。

山﨑:私は撮影に入ってからは楽しめたんですが、その前の準備期間が大変で……けっこう何度も延期が繰り返されたので、「いつまでタエコでいればいいんだろう?」みたいなつらさはありました(苦笑)。

櫻井:わかる、わかる。

山﨑:「オバケっぽいビジュアルにしたい」という要望があったので、髪を伸ばして、わざと傷んだ髪のように見せていたんです。知り合いのヘアメイクさんにお願いして、あえてぐちゃぐちゃにパーマを当てたりして。だけど予定が変わってしまったので、その状態をキープしながら見た目を整えて、ほかの作品に出たりしていました。そういう「タエコを演じるための準備」がたくさんあったので、余計に不安は大きかったかもしれません。

櫻井:僕もショウ役のために金髪に染めたんですが、いちど黒に戻して別の作品をやり、また染めた記憶があります。でも、山﨑さんは内面的な難しさも大きかったから、大変だったと思います。

山﨑:大変でした! すぐに気持ちを切り替えてなれる役でもないので、常に自分のなかにタエコを持っていないといけなかったんです。それがつらくて……でも、撮影に入ってしまったら、タエコのことが大好きになりました。

櫻井:クランクインしてからも、天候などの問題で数日延期になったりしましたよね。当時は業界全体に「明日はどうなるかわからない」という空気が蔓延していて、だからこそ「今日は何をどこまでできるか」ということに、スタッフもキャストも強い意気込みで臨んでいた気がします。

――ロケーションや美術は、演じるうえで助けになりましたか?

山﨑:すごく大きな力を日々もらっていました。特に、美術監督の相馬直樹さんが手がけたセットが本当に素晴らしくて。

櫻井:相馬さんといえば映画美術の巨匠ですからね。

山﨑:衣装を着て、このセットに入ると、スッとタエコになれるんです。だから本当に、私だけの力ではタエコになれなかったと心底思います。幻想的で、美しくて、タエコのイメージにも沿った色のない感じも、つかみどころのない感じも、美術として表現されていたことにものすごく感動しました。私もこの作品を構成するひとつのパーツとして、背筋が伸びました。

櫻井:湖のロケーションも良かったですね。森に囲まれたビジュアルも非常に美しくて、それこそ現実と幻想の判別がつかなくなるような光景でした。

山﨑:本当に、ずっと見ていられるような景色でしたね。吸い込まれるような。

櫻井:湖に入っていくシーンは冷たかったんじゃないですか?

山﨑:それこそ感覚がなかったです(笑)。

櫻井:夏だったのでメチャクチャ暑かった印象があるけど、水は本当に冷たかった。あとはボートの場面も印象的ですね。それはまた別の湖で撮ったんですが、撮影が終わった瞬間、とてつもない豪雨に見舞われたんですよ。

山﨑:覚えてます! けっこう強めのシャワーぐらいの勢いで水が降り注いできて、もし櫻井さんがボートを漕げなかったら一巻の終わりでしたよね。

櫻井:僕と山﨑さんだけで、ある地点まで湖を漕いで行って、そこで動かないように浮いてないといけなかったんです。で、少しパラパラ降り始めながらも撮影して、終わった瞬間にドーッと。

山﨑:ホントに夢を見てるみたいでした。さっきまで撮影してたのに、一瞬にして空が真っ暗になって、土砂降りの中に2人だけでボートに乗っていて(笑)。同じボートに乗ってるのに、お互いに叫ばないと会話できないぐらいでしたよね。そういう不思議なことがたくさんありました。

――作品のクライマックスにあたる、水中撮影のシーンはいかがでしたか?

山﨑:撮影前はすごく怖かったです。ただ水に浸かるぶんには平気なんですけど、飛び込みや潜水は初めてだったので、大丈夫かなあ……と思ってたら、本番では恐怖心ゼロでやれたんです。自分では経験したことのない深さまで潜ることができたし、目標の位置まで泳いで行かないといけないカットも、きちんとベストのポジションに行くことができて。まさに水を得た魚のようでした(笑)。

櫻井:いやあ、すごいと思いました。僕は競泳の前に飛込競技をやっていたので、5メートルの水深でも抵抗なく行けるんですけど、普通はできないじゃないですか。水圧があるので耳は痛くなるし、演技で目を開けなきゃいけないし、相手役に対してリアクションもしなきゃいけない。しかも真っ暗な水中に、一筋の光だけが差すようなライティングが組まれた、なんとも心許ない状況だった。もちろんしっかり安全対策をしたうえでの撮影でしたけど、それにしても不安じゃないですか。なのに山﨑さんは終始平気で「行きまーす」みたいな感じで(笑)、もう躊躇なく潜っていくんですよ。メチャクチャ度胸あるなと思いましたね。

山﨑:耳は確かにすごく痛かったです。でも、別にどうなってもいいやと思ってたんですよ(笑)。

櫻井:ダメダメ、それは絶対にダメ!

山﨑:だって、このシーンが成立しなければ、この映画は終わりだなと思っていたんです。そこを生ぬるいものにしてしまったら、今までの努力はどうなるの?というぐらい、すごく責任の重いシーンだということは撮影中から分かっていて。だから自分の耳がちょっと痛くなろうと、映画はずっと残るものだから、それなら映画優先だと覚悟して臨んだ部分もありました。そのシーンの撮影が終わったあと、都楳監督に初めて「頑張ったね」って言われたんです。ちょっとウルっときましたね。

櫻井:あの日が最終日だったんだよね。

山﨑:そうなんです。クランクアップの挨拶で、髪がビショビショだったのを覚えています(笑)。

――ちなみに現場でのアドリブはあったんですか?

山﨑:この作品では、ほとんどなかったと思います。都楳監督は、目線をちょっと変えただけで「それもいいんですけど、もう1テイクもらいます」と言って、結局使わない感じでした。

櫻井:セリフに関して言うと、特にタエコとショウの会話は、そもそも会話として成立させようという意図がなかったと思うんです。ドラマを紡ぐものではなく、どちらかというと記号的で物体的なやりとりとしてのセリフの応酬というか。交わっているようで、すれ違っているような感触が狙いだったと思うので、その設計を崩すようなアドリブは求められなかったと思うんですよね。だから、セリフのアドリブは一切なかったと思います。あっても本編には残っていないだろうし。

山﨑:撮影したけどカットされたシーン、たくさんありますよね。私が湖のほとりでコンテンポラリーダンスを踊るシーンもあったんですけど、全カットでした(笑)。

――そんなシーンがあったんですね。

山﨑:都楳監督は、編集では作品全体のリズムを大事にしたとおっしゃっていたので、その結果だと思います。何よりも作品への没入感を優先させて、それが途切れないようにしたという話を聞いて、私も納得しました。本編には入らなかったけど、そのダンスシーンがあったおかげで、私はタエコの身体的アプローチをより具体的に得られたと思っています。それをタエコのいろんな場面のいろんな動きに還元できたので、私にとっては無駄にならなかった場面でした。

――完成した作品をご覧になっていかがでしたか?

山﨑:自分が「難しい」と感じていた脚本が、こんなふうに形になるんだ!という客観的な驚きと、こんなに綺麗な映像作品になったんだ!という嬉しさがありました。脚本も読んで、撮影もして、すべて知っているはずなのに、すごく新鮮な気持ちで観たんです。だから、何も情報がない状態で『夢の中』という作品を観た方がどう感じるのか、とても興味があります。

櫻井:撮影から数年経っていたので、わりと客観的に作品を観ることができました。改めて、すごい世界観だなと思いました。そんなに尺も長くなく、セリフの量も少ないけど、そういう印象がない。山﨑さんがおっしゃったように「こんなふうに繋がるのか」という、都楳監督が持っていたイメージへの新鮮な驚きがありました。監督のなかにはそのイメージがずっと明確にあって、それを脚本のなかで説明しようと思えばできたけど、どこまで文字で伝えるかについては悩んだという話をあとから聞きました。実はすべて監督の脳内では完成していたのだと聞いて、狂ってるな~と思いましたね(笑)。もちろん良い意味で。この時代にこの内容で攻める都楳監督の姿勢に、同世代の人間としても、創作者のはしくれとしても、すごいなあと思いました。

山﨑:『蝸牛』も『夢の中』も、本当に都楳ワールドとしか言いようがないですよね。都楳監督の作品って、あの映画に似ているとか、ほかの監督さんの作風を思い出させるとか、そういう部分が全然ないんです。ほかには見当たらない唯一無二の存在で、それがすごいですよね。唯一無二のものを作ることって、とてつもない意欲と、創作に対する愛と情熱がないと難しいと思うんです。そういう監督の世界に加われたのは、俳優冥利に尽きるというか、とてつもない嬉しさを感じました。

――最後に、これからの時代を担う若い世代のクリエイターとして、意気込みや目標があればお聞かせください。

櫻井:実は、都楳監督とは年齢がすごく近いんです。確か1歳上だったかな。だから、ほぼ同世代の監督を筆頭に、若手中心のスタッフ・キャストで作り上げた作品に自分も参加できて、光栄でした。自分も20代でクリエイター集団を作りまして、『君に幸あれよ』(2023年)という映画を監督し、写真や映像制作といった活動範囲を広げているところです。これまでは、若い世代が自分たちで良いものを作るチャンスが少なかったと思うんです。意欲はあっても世に出していく術がないので、諦めてしまうことも多かった。でも、いまは多種多様な媒体で作品を発表できるし、国内・海外を問わず、チャンスも選択肢もどんどん広がっていると思います。そこに20~30代の若い世代で攻めていきたい、カテゴリーにとらわれずに自分も頑張りたいという気持ちはあります。

山﨑:私はいま24歳なんですけど、私たちの世代って「何者でもないこと」にすごく恐怖を感じながら大人になった世代だと思うんです。情報化社会がどんどん加速していくなかで思春期を過ごして、検索すればいろんなことにすぐ答えが出てくる世界に生きている。そんな時代に、若くして起業家になったり、高校生で社長になったり、いろんなキラキラした肩書を持って「何者か」として活躍する人たちのニュースが溢れているじゃないですか。それが短絡的な成功とか、すぐに結果を求めてしまう精神につながると思うんですけど……私はむしろ、失敗しても、効率が悪くても、ちょっと道を間違えて遠回りしても、その過程の美しさを大事にしたいんです。人と人が手を取り合って、対話を重ねて、1人でやるより2人のほうが倍の時間がかかったとしても、時間をかけて何かに取り組むことの美しさを描けるのが、映画とかドラマの良さだと思うんです。それらを作る過程にも同じことが言えて、その美しさを大切にしたい、そういう俳優になりたいと思っています。それが世代ならではの感覚なのかはわかりませんが、いまはそういうアンテナを大事にして活動していきたいと思っています。

(文=岡本敦史)

© 株式会社blueprint