初めて「せんせい」と言ったのは16歳、最初の一歩は17歳。遺伝子異常を持って生まれた男の子から家族が得たものは?~新生児医療の現場から~【新生児科医・豊島勝昭】

2011年、10歳になったけんちゃん。

新生児集中治療室(NICU)は、早産や低体重で生まれた赤ちゃん、お産の途中で具合が悪くなった赤ちゃん、生まれつきの病気がある赤ちゃんたちが治療を受けるところです。
NICUの赤ちゃんたちの成長や家族のかかわりについて、専門家に聞く短期連載。 テレビドラマ『コウノドリ』(2015年、2017年)でも監修を務め、地元の小中高校で「NICU命の授業」を続けている神奈川県立こども医療センター周産期医療センターの豊島勝昭先生に話を聞きます。
第3回は、染色体や遺伝子の異常を持って生まれた赤ちゃんの成長とその家族のかかわりについてです。

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「大変だと思ったことはない」と言ったお母さんの言葉が今も心に

――神奈川県立こども医療センター(以下神奈川こども)で出会った染色体異常・遺伝子異常のある赤ちゃんで、印象的だった子はいますか? どんな様子だったか教えてください。

豊島先生(以下敬称略) 体の設計図とも言える染色体や遺伝子に異常があることが原因で起こる遺伝性疾患を持って生まれる赤ちゃんたちがいます。遺伝性疾患は家系に必ずしも遺伝するわけではなく、ほとんどはその子の染色体や遺伝子に偶発的に異常が起きたための疾患です。遺伝性疾患は、両親が妊娠前や妊娠後に何かをしたこと、しなかったことが原因で起きることはなく、だれにでも起こりうることです。

染色体異常ではダウン症や18トリソミー、13トリソミーが知られていると思います。でも、ほかにもたくさんの遺伝性疾患があります。診断されやすい疾患もあれば、されづらい疾患もあります。また、同じ診断名でも、子どもたちの成長や発達はそれぞれです。

2001年、胎児診断で先天性横隔膜ヘルニアをはじめとした複数の胎児異常を診断されて、神奈川こどもで生まれたけんちゃんという男の子のことをお話ししたいと思います。
けんちゃんは 生まれた直後からNICUで人工呼吸器管理を含めたさまざまな集中治療を行い、命を助けることができました。人工呼吸器管理も終了できましたが、哺乳は難しくてチューブを鼻から胃に入れてミルクを流す経管栄養の在宅医療をしながら1度は家族と自宅に帰りました。
しかし、退院から数カ月後に重症肺炎となり、命にかかわるような状況で神奈川こどもに緊急入院しました。

NICU入院中もそうだったのですが、けんちゃんは口やあごが小さくて人工呼吸器管理を行うための気管挿管が難しい子でした。緊急入院したときも気管チューブを挿入するのに時間がかかりました。このチューブがもし再度抜けてしまったら、もう入らない可能性があったため医療チーム内では緊急で気管切開をしたほうが安全という意見が多かったです。 私はけんちゃんの家族に「気管切開したほうが呼吸状態は安定して、在宅医療も今よりは大変でなくなるかもしれません」と話しました。すると、お母さんはその場で「この子は生まれたときから、ずっとこうだったから大変なんて思ったことはありません。気管切開は今はしてほしくない。入院する前に戻るような治療を考えてもらえませんか」と話してくれました。その表情と言葉が今でも記憶に残っています。

けんちゃんは細い気管挿管で人工呼吸器管理を続けて、時間はかかりましたが回復して、気管挿管も人工呼吸管理も中止することができました。
退院後は、気管挿管や人工呼吸器管理が必要な状況になることはなく、あのとき、安全を強調し過ぎて気管切開をしなくてよかった、家族の希望に添ってよかったと思っています。
私はけんちゃんと家族をNICU卒業生のフォローアップ外来でずっと担当してきました。NICUでの染色体検査では異常はありませんでしたが、けんちゃんの成長・発達はゆっくりで言葉も出ませんでした。
なかなか原因がわからずにいたのですが、小学生になったころ、大学の研究室に依頼していた検査で先天性の遺伝子異常であることがわかりました。けんちゃんのお母さんは原因がわかって安心したという笑顔を見せてくれました。

遺伝子異常や染色体異常では、それぞれの特性を家族と医療者でわかり合うことが大切

18歳になったけんちゃんと、お母さん。

――遺伝子異常や染色体異常の病気がわかるまでに時間がかかることは多いのでしょうか。

豊島 先天性の染色体や遺伝子の異常は、新しい疾患が現在も年々見つかっています。これから原因がわかる疾患もたくさんあるでしょう。原因不明の疾患を疑う場合、大学病院などの研究室で遺伝子解析をして、何年もかけて診断がつくこともあります。生後早期にわかる病気も増えてきてはいます。ただ、やはりこの領域はまだわからないことも多いです。
神奈川こどもも参加していますが、最近は「新生児集中治療室における精緻・迅速な遺伝子診断に関する研究開発」、通称Priority-i(プライオリティ・アイ)と呼ばれ、遺伝性疾患が疑われる赤ちゃんたちに対して迅速に遺伝子診断を行い、診療に役立てる国のプロジェクトも始まっています。
原因を知りたい家族には、生後早期にわかる病気も増えてきてます。

子どもの発達の様子にほかの子どもとの違いがあるとき、両親は不安になりますよね。原因がわからないと、自分の育児を責める気持ちになってしまうこともあるでしょう。遺伝性疾患の診断がつくということでその気持ちが軽減されたと話す家族もいます。

遺伝性疾患の診断で、その疾患の子どもたちにはどんな特性があるのかを知ることは、家族も私たち医療者も、その子にどんなふうに育児や医療をしていくかを考えるヒントになることがあります。その子の特性をわかった上で、子どもたちそれぞれの特性に合った応援のしかたを見つけられたらと思っています。

――染色体や遺伝子の検査を受けるのはどんなときでしょうか。

豊島 NIPTという出生前検査がありますが、この検査でわかる染色体異常は一部です。ダウン症や18トリソミー、13トリソミーなどはわかったとしても、遺伝性疾患はほかにもたくさんあり、ダウン症や18トリソミー、13トリソミーより重症な遺伝性疾患もあります。生まれてから赤ちゃんの検査をしないとわからない遺伝性疾患が多いです。
私たちは、生まれた赤ちゃんに、心臓や消化管などの全身臓器に3つ以上の病気などがある場合、染色体や遺伝子に異常がある遺伝性疾患を疑います。

遺伝性疾患の子どもたちでは、心臓や消化管などの合併症があることが多く、その治療を行うことはできますが、染色体や遺伝子の異常そのものの治療はできないことがほとんどです。染色体や遺伝子の異常は体質や性格、個性のようなものとも感じています。原因となる染色体異常や遺伝子異常がわかれば、その遺伝性疾患の子どもたちの体質や寿命や、どんなふうに成長するか、将来的にどんな心配があるか、といった情報を得られることがあります。
その子の体質や発達の特性を踏まえて健康管理や発達支援を考えていくためにも、詳しい遺伝子診断は役立つことがあると実感しています。

ただ、私たち医療者だけの判断で染色体や遺伝子の検査を進めることはありません。必ず両親に検査の説明をし、遺伝子診断を希望する場合に限って、遺伝子検査を行います。

――遺伝性疾患の可能性があるとわかったとき、家族にはどのように伝えますか?

豊島 心臓や消化管などの病気があることに加えて、体質や発達の違いがあると伝えられるのは、家族にとってはショックが大きいことです。私たちは、どう伝えるかを遺伝専門医やカウンセラーを含めて、小児医療にかかわるさまざまな専門職と相談しながら説明し、説明後の精神的サポートをしています。
遺伝性疾患の患者家族から「診断が確定するまで伝えないより、疑っている病気があるなら早めに伝えてほしかった」という意見も多いです。
過去の私たちのさまざまな診療経験からも、神奈川こどもでは、遺伝性疾患の疑いがあると考えた時点で家族に率直に伝えるようになりました。体の臓器ごとの治療だけでなく、染色体や遺伝子の検査をして、原因がわかったうえでどんな治療や健康管理をするかということや、子どもたちの発達や家族の生活をどんなふうに応援するか、を一緒に考えていきますという気持ちも伝えています。

遺伝性疾患自体は治せないとしても、それぞれの体質や発達特性などを家族と一緒に理解して、子どもたちそれぞれの成長や人生を応援したいと願っています。

遺伝性疾患の赤ちゃんはその子のペースで成長する

初めて外来で「せんせい」と豊島先生に声をかけたときのけんちゃん。先生は「感動して、涙が流れそうになった」そう。

――遺伝性疾患で生まれた赤ちゃんたちは、どのような退院後のフォローアップを受けられるのですか?

豊島 遺伝性疾患で生まれた子どもたちは、体の成長や心の発達に違いがあり、その子に合ったスピードで発達していきます。神奈川こどもで生まれた子どもたちは、大人の病院へ移行するまで、遺伝専門医・新生児科・総合診療科をはじめとした多くの診療科と一緒にフォローアップ外来でその成長やそれぞれの健康を見守っています。

遺伝性疾患ではない子どもなら、1歳半くらいで歩ける、2歳くらいで話し始める、などの目安がありますが、前述したけんちゃんの場合は、16歳で外来に来たときに初めて「せんせい」と言ってくれました。「この子は話せないのではなく、話せるようになるまでに16年が必要だったんだ」と気づきました。さらにけんちゃんは17歳のときに立ち上がって少し歩くようになりました。けんちゃんは21歳で小児科を卒業し、地元の病院に移りました。今、けんちゃんは22歳です。

私は多くの遺伝性疾患の子どもたちと出会って、遺伝性疾患の子どもたちはそれぞれのペースで必ず成長する、そのペースはそれぞれであると実感しています。
「歩けない、話せない」とかを決めつけず、けんちゃんのようにいつか話したり歩いたりする日が来るかもしれない、と心にとどめて子どもたちそれぞれの成長や発達に家族と気づき合いながら健康管理を外来でしたいと考えています。

――家族も、それぞれのペースで成長する子どもと一緒に歩んでいるのですね。

豊島 医療的ケアが必要で、車椅子で移動するけんちゃんとの生活には大変さはあると思います。でもけんちゃんのお母さん・お父さんは、いつも外来でけんちゃんの成長や発達に気づき、育児の喜びや楽しさを伝えてくれていました。けんちゃんが22歳で小児医療を卒業するときには「私たちとこの子はフォローアップ外来で命を救ってもらいました」と話してくれました。
NICUではなく、その後のフォローアップ外来で命が救われたという言葉の意味に心を寄せたいと思っています。さらにけんちゃんのお母さんは、「この子がいてくれたおかげで、私たち家族はいろんな人と出会えたし、幸せになれました。こんなにかわいい20歳の子はいないでしょう。この子に感謝しています」と言って、神奈川こどもを卒業していきました。
病気や障害があるけんちゃんを幸せにしたいと願っていた両親を知る私としては、この子がいたことで自分たちは幸せな人生になったと伝えてくれる両親のすてきな笑顔に感動し、かたわらでほほ笑んでいるけんちゃんをほめてあげたい気持ちで卒業していく家族を見送りました。

お話・監修/豊島勝昭先生

写真提供/ブログ「がんばれ!小さき生命たちよ Ver.2」 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

遺伝性疾患をもって生まれた子について「発達の遅れとは言いたくない、それぞれの発達にペースに違いがあるのです」との豊島先生の言葉が印象的です。子どものそれぞれの成長を見守ってあげることの大切さを改めて感じました。

●記事の内容は2024年4月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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