ケンドリック vs ドレイク vs Jコール──歴史的ビーフで激突する3者のヒップホップ観

Love when they argue the hardest MC Is it K-Dot? Is it Aubrey? Or me? We the big three like we started a league

誰が一番ハードなMCなのか、みんなが論争しているときが好きだ。ケンドリックか?ドレイクか?それとも俺か?ってな。俺たちがビッグスリーだDrake - “First Person Shooter” feat. J.Cole

ドレイク(Drake)のアルバム『For All The Dogs』に収録されていた「First Person Shooter」に客演で参加したJ.コール(J.Cole)がちょっとしたリップサービスのつもりで放ったこのネームドロップは、まるで火薬庫に火をつけてしまったかのように次々と引火して、誰も予想しなかった巨大なビーフへと膨れ上がりました。

ドレイクとの間で揉め事を抱えていたラッパーのフューチャー(Future)とプロデューサーのメトロ・ブーミン(Metro Boomin)によるコラボアルバム『We Don’t Trust You』の収録曲「Like That」に客演参加したケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)がこのネームドロップに応えてパンチを打ち返すと、J.コールによるアンサーソング「7 Minute Drill」とその撤回、そしてドレイクによるアンサーソング「Push Ups」、さらにはケンドリックによる再アンサーソング「euphoria」と「6:16 in LA」、ドレイクによる再アンサーソング「FAMILY MATTERS」、ケンドリックによる再々アンサーソング「Not Like Us」へと繋がっていきます。

機会に乗じたフューチャーとメトロ・ブーミンの暗躍によって、Yeことカニエ・ウェスト(Kanye West)やエイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)、ザ・ウィーケンド(The Weeknd)なども巻き込んだアンチ・ドレイクのムーブメントが生み出される。さらにはリック・ロス(Rick Ross)も参戦するなど、まるでラップ界のサノスとでも言わんばかりのドレイクに対する『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のような展開を見せており、この記事を書いている今現在、ここに至って事態は混迷を極めています。

このビーフの全体像や経緯の解説はあまりに膨大なため他の方に譲るとして、今回は当初の登場人物であったビッグスリーのJ.コール、ケンドリック、ドレイクに焦点を絞り、彼らが今回とった行動の裏にあるヒップホップ観や考え方を深掘りしてみたいと思います。

執筆:RAq 編集:新見直

ヒップホップを通じて、本当の自分と向き合い、真の強さを手にしたJ.コール

今回の騒動の火付け役であり、さらに最初にフル尺のアンサーソングも出して火に薪をくべておきながらも、早々にあっさりと撤退したのがJ.コールです。この理解しがたいJ.コールの行動は賛否両論を巻き起こしました

先ほども書いたように、今回の騒動は「First Person Shooter」におけるJ.コールの以下のリリックに端を発しています。

「誰が一番ハードなMCなのか、みんなが論争しているときが好きだ。ケンドリックか?ドレイクか?それとも俺か?ってな。俺たちがビッグスリーだ、まるでリーグを始めたかのように。だけど、俺は今、モハメド・アリの気分だぜ。」

アメリカには、BIG3という3vs3ルールでのバスケットボールのリーグがあります。まるでそのリーグの名前のように自分たちが「ビッグスリー」だと豪語して、ケンドリックとドレイクにエールを送ったうえで、史上最強のボクサー“ザ・チャンプ”として君臨したモハメド・アリの名前を出して、それでも自分こそが最高のファイターだとセルフボーストして見せたわけです。

ここでビッグスリーとしてネームドロップされたケンドリックとドレイクの2人は、過去には共演があるものの、その後はお互いに個性も強く、表現のスタイルや価値観も違うため共演はありませんでした。また、直接名前を出さないものの相手を攻撃していると思われるようなラップ(スニーク・ディス)をたびたび繰り返してきました。

一方、J.コール自身はドレイクとケンドリックの両方と仲が良く、ドレイクと仲良くショッピングをする姿を見せたこともあれば、多忙で完成に至らなかったもののケンドリックとコラボアルバムの制作を行なったこともあります。

つまり、ドレイクとケンドリックはやや不仲なものの、J.コールからすると、2人とも良き戦友です。その片方のドレイクと共演する際に、ケンドリックの名前もネームドロップしてビッグスリーとして賞賛するというのは、「これなら2人とも悪い気はしないだろう、ファンも喜ぶだろうし、何なら2人の仲が改善するきっかけになるかもしれない」という(そこまで深く考えたかどうかはわかりませんが)、絶妙なバランス感覚のなせる技であったと言えます。

しかし、「誰が一番優れたMCか」というヒップホップの競技的な側面に人一倍敏感なケンドリックからすると、勝手に自分の名前をドレイク(ごとき?)と同列に並べつつ、しかも結局は「俺がモハメド・アリのように史上最高のラッパーだ」と豪語したJ.コールのバースは見過ごせないと判断したのでしょう。それが「Like That」での反撃に繋がったわけです。

ビッグスリーとか知らねえよ、ただビッグな俺がいるだけ、以上Future, Metro Boomin & Kendrick Lamar - “Like That”

さて、良かれと思ってネームドロップしたJ.コールは、ケンドリックからの思わぬ反撃にあって驚きつつも、「7 Minute Drill」という曲をリリースしてアンサーします。この曲名は、J.コールが普段からラップの訓練として7分でどれだけ歌詞を書けるかを練習していることに由来しています。

ケンドリックが今回のネームドロップをある種のMCバトルのように捉えて、強めに反撃してきた文脈を受けているため、J.コールもそれに対するアンサーとして、しっかりとケンドリックを口撃しています。

例えば、ケンドリックのアルバムについては、過去作品を讃えつつも、最近のアルバムはつまらないと一蹴。

Your first shit was classic, your last shit was tragic
Your second shit put niggas to sleep, but they gassed it
Your third shit was massive and that was your prime

お前の一作目はクラシックだったけど、一番最近の作品は悲劇だな。
お前のセカンドアルバムは退屈で寝ちまいそうだったが、みんなは持ち上げてた。
お前のサードアルバムは良かった、あれがお前のピークだったな。J.Cole - “7 Minute Drill”

また、ケンドリックの制作スピードの遅さも指摘しています。

He averagin' one hard verse like every thirty months or somethin'
If he wasn't dissin', then we wouldn't be discussin' him

あいつがイケてるバースを蹴るのは、平均して約30ヶ月に一度だろ。
もしも、あいつがディスしてなければ、話題にも上がってないよな。J.Cole - “7 Minute Drill”

Four albums in twelve years, nigga, I can divide
Shit, if this is what you want, I'm indulgin' in violence

12年間でアルバム4枚だろ、俺だって割り算できるぜ。
お前がビーフを望んでいるなら、俺も暴力的にお前を満足させてやるよ。J.Cole - “7 Minute Drill”

しかも、ケンドリックと自身の制作スピードの差をアピールするかのように「7 Minute Drill」だけでなく、それを含む12曲入りのアルバム『Might Delete Later』をリリースして見せたのです。

その上で、J.コールは「俺にとって、正しい道に戻り、神と調和するためのリマインダーのような曲を演奏したい」と述べると「Love Yourz」を披露します。

I ask for strength from the Lord (Man) up above
'Cause I been strong so far, but I can feel my grip loosenin'

次に何が起こるかわからないけれど、神様に真の強さを求めるよ
俺はずっと強がってきたけど、握りしめていた手の力が抜けていくのを感じるJ.Cole - “Love Yours”

Always gon' be a bigger house somewhere, but nigga, feel me
Long as the people in that motherfucker love you dearly
Always gon' be a whip that's better than the one you got
Always gon' be some clothes that's fresher than the ones you rock
Always gon' be a bitch that's badder out there on the tours
But you ain't never gon' be happy 'til you love yours

いつだって、どこかに自分よりも大きな家を持ったやつがいる
だけど、その家に愛する人と一緒に住んでいるかどうかが大事だろ
いつだって、どこかにお前の車よりも高い車を持っているやつがいる
いつだって、どこかにお前の着ている服よりもフレッシュな服を持ったやつがいる
いつだって、どこかにツアーにいけば、もっとイケてる女の子がいる
だけど、自分の人生を愛することを覚えない限り、お前はいつまでも幸せにならないJ.Cole - “Love Yours”

ファンサービスのつもりでケンドリックをネームドロップしたことから、誰が一番かを争うビーフに発展。“世間の求めるラッパー像”を演じて相手を貶してみたものの、他人との競争よりも自分を愛することの方が大切だと思い出して反省した。そんな成長の過程をファンと共有するという、ある種いつもの“J.コール劇場”が展開されたのでした。

「ヒップホップシーンの真ん中にいる」と自負するドレイク

さて、J.コールとそのファンにとっては、Dreamville Festivalで“J.コール劇場”が終幕したかもしれませんが、J.コールのつけた火はさらに引火して、ドレイクとケンドリックの本格的なビーフへと発展します。

というのも、先ほども書いたように、ケンドリックとドレイクはスニーク・ディスを飛ばしあってきた間柄であり、「Like That」の中でもケンドリックはJ.コールよりもドレイクに対して強めに口撃しています。

And your best work is a light pack
Nigga, Prince outlived Mike Jack'

お前のベスト作品も軽々しいんだよ
プリンスはマイケル・ジャクソンよりも長生きしたぜFuture, Metro Boomin & Kendrick Lamar - “Like That”

ドレイクは、過去にマイケル・ジャクソンの声をサンプリングして共演したり、「First Person Shooter」の中でも自分をマイケル・ジャクソンに例えています。ケンドリックは、それに対して自分をプリンスに例えて「プリンスの方が長生きしたぜ」と、自分の名声はドレイクよりも長く歴史に残るだろうとアピールしています。

ここまで攻撃されては、ドレイクも黙ってはいられません。アンサーソングである「Push Ups」をリリースして仕掛けました。

さて、ここでドレイクのヒップホップ観を深掘りしてみましょう。例えば、J.コールにとってのヒップホップが「自分の心の声をリリックにして書き出すことで、本当の自分と向き合い、自分を高めるプロセス」だったとすると、当然ながらドレイクにとってのヒップホップはまた別物です。

そもそもドレイクは、自分で歌詞を書かずにゴーストライターに歌詞を書かせていると言われています。多くのラッパーにこの点を攻撃されてきましたが、本人も強く否定したことはないため、これは事実なのでしょう(特に海外ではCo-Writingと呼ばれる共同制作手法自体は主流になり始めている)。

もちろん、ドレイクは曲の中で非常にパーソナルな内容を歌うこともありますが、ドレイクの考えるヒップホップの“リアル”はそういった“本当の自分”とは違うところにあると感じます。曲の中でどこまでも自分に誠実であることや、正統派のヒップホップ業界に認められるラップをすること以上に、ドレイクはヒップホップのパーティーや現場、そこでの現実の人間関係に「リアル」を見出しているようです。

彼は過去にインタビューでJ.コールやケンドリックについて質問された際に、2人を尊敬していると述べた上で、以下のように自分が最前線を走り続けるであろう理由を語っています。

(俺がヒップホップの最前線で居続けることを辞めないのは)俺が競争的な人間であることもひとつの理由だけど、俺はマジでラッパーらしい人生を生きている数少ない人間の一人なんだ。俺はマジでヒップホップの現場にいる、俺の家を見てくれ、本当にここでパーティーしているし、ストリートにいるんだ。

あいつら(ケンドリックやJ.コール)は、俺も最近少し影響を受けたけれど、ヒップホップシーンにやってきて、やるべきことをやると、彼らの本当の人生に帰っていく。そこには彼らの美しい家族がいたり、とにかく本当の人生がそこにある。

俺も最近そうしたライフスタイルを実践してみたけれど、だけど俺はだいたいの場合、本当にヒップホップシーンの中にいるんだ

新作アルバムを出してツアーをする時だけヒップホップシーンに顔を出すのではなく、いつでも常にヒップホップシーンの真ん中に自分はいるのだと、ドレイクが自負していることがわかります。

これは個人的な推測ですが、ドレイクはラップだけでなく、甘く歌うスタイルをいち早く取り入れたこと、カナダのTV番組の子役出身であることなど、伝統的なヒップホップの価値観を持つ人からは認められにくい要素がたくさんあります。しかし、そうした逆風でも活動を続けて、数字で結果を見せていく中で、(ドレイクの持っている数字が目当てかもしれませんが)ヒップホップの現場では認めてくれる仲間が増えていったのではないでしょうか。だからこそ、抽象的・伝統的なヒップホップ文化よりも現場の繋がりに重きを置くのかもしれません。

おまえは“リアル”じゃない ドレイクの考えるヒップホップ

そんな彼の、仲間とパーティーまみれの「マジでラッパーらしい人生」は、例えば、2016年にリリースされたアルバム『Views』に収録されている、ガールフレンドとのすれ違いを描いた曲「U With Me?」のリリックにも垣間見えます。

And my house is the definition
Of alcohol and weed addiction
You got a different vision
You wanna walk around naked in the kitchen
Without runnin' into one of my niggas
That's not the way we livin'
Too much goin' on, it's just not realistic

俺の家は、まるでアルコールと大麻中毒の定義そのものだ。
君の理想の生活は、俺の考える理想の生活と違うみたい。
君は俺の仲間と鉢合わせることなく、裸でキッチンを歩きまわりたいと思っている。
それはあまりにも多くのことが起こる俺たちの人生においては現実的じゃない。Drake - “U With Me?”

そんなドレイクの自宅は「Toosie Slide」のMVにも登場しています。

この辺りのインタビューから紐解いていくと、ドレイクとケンドリックのすれ違いは“現場志向”のドレイクと“作品志向”のケンドリックとの差に端を発しているとも言えそうです。

ケンドリックは、過去にビッグ・ショーン(Big Sean)の「Control」という曲に客演で参加した際に、ドレイクやJ.コール、エイサップ・ロッキー、プッシャーT、ビッグ・ショーン、タイラー・ザ・クリエイター、ミーク・ミルなど、当時のヒップホップシーンを賑わせていた同世代のラッパーたちの名前をあげて、まとめて「殺してやる」と競争的な態度を丸出しにしてビーフを仕掛けたことがあります

一方、ドレイクは競技の中だからというエクスキューズのもとで、実際の人間関係を考えずに攻撃を仕掛けるのは“リアルじゃない”と考えています

実際、ケンドリックが「Control」をリリースした後にVMAでドレイクと会った際に、何事もなかったかのようにフレンドリーに接してきたことに驚きを隠せなかったとともに、ケンドリックがラップの中では「殺してやる」と言いながら、異なる“リアル”を平気で生きていることに少し失望したと明かしています。

あの(「Control」の)バースに悪意はなかったようだ。俺が5日後にVMAでケンドリックと会ったら、彼はフレンドリーだった。彼は「俺がニューヨークに来たぜ、みんな糞食らえ、俺がキングだ」って感じではなかったんだ。俺は、彼にそういう態度で来てほしかったとも思った。その落差によって、正直、彼のバースへのリスペクトを少し失った。もし「みんな糞食らえ」とラップするなら、本当に「みんな糞食らえ」の態度でなきゃいけない

また、ドレイクは自分が持っている数字を分け与えることで、多くのラッパーをフックアップしてきたという意識も強いでしょう。実際、ドレイクはケンドリックに関しても、彼が今のような立ち位置を手に入れる前から、自身のアルバム『Take Care』に招いたり、傑作と名高いケンドリックのデビューアルバムにも客演で参加したりと、ケンドリックがブレイクするのをサポートしてきました。

ヒップホップの現場で繋がった仲間とつるんで、勝ち上がっていくのがヒップホップのリアルだ、というのがドレイクの価値観であるならば、恩を仇で返すような態度にも、作品の中では強気で攻撃的なのに現場では腰が低い様子にも、違和感を覚えるところがあったのでしょう

ドレイクがケンドリックに対して感じていたであろう、それらの不満や違和感も、がっつりとアンサーソング「Push Ups」の中で表現されています。

I'm the hitmaker y'all depend on
Backstage in my city, it was friendzone

俺は、お前らが頼ってたヒットメーカーだろうが。
俺の街にツアーで着いてきたときには、バックステージでも仲良くしてきたくせによ。Drake - “Push Ups”

曲の中では強がっていても、「リアル」では弱腰だろうという点についても、「Push Ups」の中で攻撃しています。

Nigga callin' Top to see if Top wanna peace it up
"Top, wanna peace it up? Top, wanna peace it up?"
Nah, pussy, now you on your own when you speakin' up

Topに電話して、Topが仲介してくれるか探ってるんだろ
「Top、仲介してくれる?」ってな
女々しい奴め、自分でディスったなら、自分でケツをふけよDrake - “Push Ups”

Topというのは、もともとケンドリックが所属していたレーベル、Top Dawg Entertainmentのオーナーで、言わばケンドリック・ラマーというアーティストの生みの親です。ドレイクは、現実での人間関係を考えずに他人をディスして、結局は他人に尻拭いをしてもらっているケンドリックを女々しいやつだと喝破しているのです。

ドレイクからすると、ケンドリックの才能は認めるものの、ケンドリックが競技性を過剰に押し出して強気なラップをできるのは、彼自身がヒップホップシーンや人間関係の中にいないからであり、実際にいつもヒップホップシーンの中にいて、いろんな人間と交流していると自負している自分(その交流の中で嫌われる立ち回りをして敵をつくっているから、今回の事態になっているのですが……)が、ケンドリックから「ヒップホップじゃない」などとディスされる所以はないといったところでしょう。

ケンドリック・ラマーがヒップホップの「優等生」である理由

ドレイクの「Push Ups」を受けて、ケンドリックはアンサーソング「euphoria」、そして「6:16 in LA」で再度反撃しています。

ケンドリックは、今さら改めて書くまでもないですが、デビューアルバム『Good Kid m.A.A.D. City』(意訳:狂った街の善良な少年)のタイトルが示すとおり、コンプトンという西海岸のギャングスタラップを代表するような街で育った、コンシャス(意識的)なラッパーです。

正統派のヒップホップにおいて、尊敬の対象となる“ストリートの現実に根差した、ハードなラップができる”、そして“コンシャスで内容の深いラップができる”という2つの要素を満たした、言わばヒップホップの優等生がケンドリック・ラマーです。

こうした2つの要素を満たしたラッパーは、過去にもニューヨーク州クイーンズ出身のナズ、シカゴ出身のルーペ・フィアスコ(Lupe Fiasco)らがいて、尊敬されるMCとしてシーンの中で扱われてきました。

しかし、さらに加えて突出した才能がケンドリックにあるとすれば、それは事実にフィクションも織り交ぜて、アルバム1枚を通じて、映画のような壮大な世界観・物語を描き出すことができるという、作家性の高さがあげられることでしょう。

彼のデビューアルバム『Good Kid m.A.A.d City』で想像を超える完成度のコンセプトアルバムをつくってみせたケンドリックは、期待が高まる中で、セカンドアルバム『To Pimp A Butterfly』でも人種問題をさらに深掘りした世界規模の壮大な物語を描いて、そのハードルを超えて見せました。

さて、こうした芸術性やコンシャス性の高いラッパーがヒップホップシーンで尊敬を集めようと思うと、“弱々しい”あるいは“頭でっかち”といったイメージで見られないように、時には必要以上にハードさを示す必要があるように思います。

With society, the driver seat, the first one to get killed
Seen a light-skinned nigga with his brains blown out
At the same burger stand where **** hang out
Now, this is not a tape recorder sayin' that he did it
But ever since that day, I was lookin' at him different

運転席のやつが最初に狙われる。
肌の色が明るいやつの脳みそが弾けて死んでいるのを見た。
xxxがたむろしていたハンバーガー屋の目の前で。
彼が犯ったという証拠はないけど、その日から俺の彼をみる目は変わってしまった。Kendrick Lamar - “m.A.A.d City”

もちろん、ケンドリック自身は善良な人間であり、実際にこうした犯行に及ぶことはありません。それは前述のインタビューでドレイクが語っていた、「Control」後のケンドリックのVMAでの態度を見ても明らかでしょう。

今回のケンドリックのアンサーソング「6:16 in LA」の中でも、ケンドリックが普段は平和に暮らしていることが歌われています。

It was fun until you started to put money in the streets
Then lost money 'cause they came back with no receipts
I'm sorry that I live a boring life, I love peace
But war-ready if the world is ready to see you bleed

お前(ドレイク)がストリートにお金をばらまく(懸賞金をかけて俺についての暴露情報を集め始める)までは楽しいビーフだった
そのお金はすべて無駄になった、俺の悪い噂は何も手に入らなかったから
俺がつまらない人生を送っていて悪いな。俺は平和に生きてるんだよ
だけど、世界が血を見たいなら、いつでも戦争する準備はできているぜKendrick Lamar - “6:16 in LA”

(それにしてもドレイク、性格が悪過ぎないか......)

しかし、あくまでも曲の中ではあるものの、「善良な人間だからといってナメるなよ」という強気な態度を常に示して、ストリートからの尊敬を得るのも、偉大なヒップホップ・アーティストを目指すケンドリックにとっては重要なわけです。

「正統派ヒップホップ」の守護者であるという意識

では、どうしてケンドリックが正統派・伝統的なヒップホップ観を重要視するのでしょうか。

それは彼自身がコンプトンというヒップホップの影響が色濃くある街の出身であること、彼の傑作と名高いデビューアルバムの『Good Kid m.A.A.d City』がグラミー賞で無冠に終わった過去があること(「文化の盗用」解説記事でも触れた、白人ラッパーのマックルモアが最優秀アルバム賞を受賞した一件)、2パック(2Pac)などの先人を深く尊敬していることなど、たくさん理由は考えられますが、それ以上に、先人やヒップホップ・コミュニティが彼を「新しいヒップホップの王」として意識的にバックアップしてきたこともあげられるでしょう。

ケンドリックは、西海岸のレジェンドであるドクター・ドレ(Dr. Dre)のレーベルと契約して、プロデュースをされることでブレイクしました。また、ザ・ゲーム(The Game)といった西海岸のレジェンドもケンドリックを客演に招くなどフックアップし、みんなでケンドリックを育て上げてきました。

言い換えると、ケンドリックはあまりに優れた才能を持っていたために、多くの人たちが彼に期待を寄せて、彼にヒップホップを背負わせてきたという側面もあります。

ケンドリックが「ヒップホップの王」を豪語するのは、彼自身がそれを勝手に名乗っているのではなく、みんなが望んだ戴冠を彼が覚悟を持って受け入れたという文脈があるわけです。

そのため、ケンドリックは今回の騒動では、ある種「正統派のヒップホップ」の守護者や代弁者としてもドレイクに対峙していると考えられます。ドレイクの「仲間とパーティーをする現場こそがヒップホップ」という価値観に対して、真っ向から勝負を仕掛けています。

I'd rather do that than let a Canadian nigga make Pac turn in his grave

コメディ子役あがりの野郎(ドレイクのこと)が2パックの墓を蹴ることが許せない。Kendrick Lamar - “euphoria”

ドレイク的な「ヒップホップ観」が広がっていくことにも嫌悪感を示しています。

We hate the bitches you fuck 'cause they confuse themself with real women

俺たちは、お前がヤる女たちも大嫌い
(= 俺たちは、お前が作る音楽を聴く女たちも大嫌い)
あいつらは、自分を本当にイケてる女だと勘違いするから
(= あいつらは、自分をラップコミュニティの黒人だと勘違いするから)Kendrick Lamar - “euphoria”

ケンドリックは過去のライブにおいて、白人の女性ファンを一緒にラップするためにステージにあげたところ、その白人ファンがNワード(黒人への侮蔑語)まで歌ってしまったため、曲を止めてまでそれを咎めたこともあります。

こうした事態が起こる原因も、伝統的なヒップホップ観や先人たちの積み重ねを尊重せずに、現場のパーティーや繋がり、目先の数字を重視するドレイクのようなラッパーたちの姿勢にあると考えているのかもしれません。

上述の歌詞の主語が「I(俺)」ではなく、「We(俺たち)」であることも、正統派のヒップホップの代弁者としてのケンドリックの姿勢を示しています。

And notice, I said "we," it's not just me, I'm what the culture feelin'

気づけよ、俺は「We」って言ったんだぜ
俺だけじゃない。ヒップホップ文化全体がお前に感じてることを歌ってるんだよKendrick Lamar - “euphoria”

三者三様の在り方を通した、ヒップホップの強さ

本稿を書き終えた5月4日時点では、ドレイクが再アンサーソング「FAMILY MATTERS」をリリースするなど、まだまだ騒動が収まる気配はありません。また、今後も他のラッパーが参戦する可能性も考えられ、どこに行き着くかは予想できません。(その後、ケンドリックによる再々アンサーソング「Not Like Us」がリリースされている)

しかし、ビッグスリーの三者三様のヒップホップ観は、まさに今のヒップホップの幅の広さや層の深さを示したと思いますし、改めて、ヒップホップの構造的な強さを浮き彫りにしたと思います。

ドレイクが現場やパーティーを重視して開拓してきた幅広いファン層は、今回ドレイクがケンドリックとがっつり一戦を交える道を選択したことで、ケンドリックの提示する伝統的なヒップホップ観に触れるきっかけを得たといえるでしょう。

また、ヒップホップのビーフや競技性が苦手な人も、J.コールのように自分と向き合い、自分を高めるというヒップホップとの付き合い方もあるのだと知って、ヒップホップを好きになるかもしれません。

ヒップホップは、今回のようにエネルギッシュに価値観をぶつけあうことで、ある意味「ヒップホップでないもの」まで論争に取り込み、様々な価値観をコミュニティ内に同居させながら、自身を拡張して大きく成長してきました

一方、過去にはビーフが2パックやノトーリアスB.I.G.といったラッパーの死に繋がったこともあります。このようにビーフが音楽を超えて暴力などに発展すると悲劇に繋がってしまうこともあります。しかし、健全なビーフが行われる限りにおいては、ビーフや論争はヒップホップに多様性をもたらすでしょう

昨年はヒップホップが誕生して50周年でしたが、まだまだヒップホップの勢いは続きそうです。

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