デビュー45年目の八神純子、80年代の歌謡曲のリミックスに抵抗は「まったくないです」シティポップブームで過去の楽曲がクラブで再評価

八神純子 撮影:有坂政晴

『みずいろの雨』『パープルタウン』といったポップスで日本のニューミュージックシーンに登場した八神純子さん。聴く人を魅了するハイトーンボイスは今も健在だ。ブレイクから活動休止を経て、また再びステージへ。デビューから45年間にも渡る音楽人生の転機とは?【第4回/全4回】

デビュー45年目に突入しても、なお精力的に歌い続けている八神さん。時を経ても彼女の楽曲が親しまれている理由について、訊ねてみた。

近年、「シティ・ポップ」と呼ばれる1980年代の歌謡曲をミックスしなおすことで、Night Tempoを始めとするDJたちの間で楽曲の再ブームが起きている。その影響で、Z世代など若い人たちに山下達郎さんや、竹内まりやさん、松原みきさんなど再評価されている。もちろん、八神さんの楽曲も例外ではない。

「この現象って、自分たちとはまったく関係ないところで始まったムーブメントなんです。海外ではレイヴと呼ばれるDJが掛ける音楽を聴くコンサートが盛んです。私の友人にもDJがいるけれど、彼らはアメリカで日本のポップスをリミックスして流していました。私の『黄昏のBAY CITY』も、テンポを速くして再構築して流していたんです。最初に聴いた時には、レコードの回転数を間違えて掛けちゃったのかな(笑)って思ったけれど。そういう遊びが、自由自在にできることから再ブームにつながったと思います」

素晴らしい日本のアレンジャーの才能

自分の楽曲が、新たに使われることに抵抗はないのだろうか。

「まったくないですね! 面白いことをやっているなって思っています。でも、楽曲の権利は会社が持っているので私が“やっていいですよ”とは言えなくて……。それがちょっと残念だなって感じています。私の方は“どんどんやっちゃえ”って言いたいのですけどね(笑)」

アナログレコードブームもあり、80年代に発売された楽曲のレコードが高値になっている。年月を経て当時の楽曲が評価されることを、「アレンジが素晴らしいからだ」と語る。

「私のアルバムも、イギリスやヨーロッパで人気があると聞きます。私達が欧米の音楽に憧れて、“アメリカっぽいね”とか“これイギリスっぽいでしょ”って言って作った作品が、逆に海外で聞かれるようになると、ちょっと複雑な気持ちもありますね(苦笑)。
逆輸入というと変かもしれないですが、憧れて作った曲が本場で評価されているのは嬉しいです。多分、メロディーがしっかりしているのと、アレンジが優れていたからじゃないかな。日本のアレンジャーの才能は素晴らしい。日本では抑揚をつけて歌わない。メロディーの覚えやすさを優先していたから、1コーラス目からサビまで同じ歌い方をしていたんです。欧米では曲の中で歌い方がどんどん変わるけれど、日本のアーティストは変えないので、アレンジャーが頑張って曲を展開していく。だからアレンジャーの力がある時代だったんじゃないかなって思っています」

八神さんと言えば、伸びのあるハイトーンボイスが魅力だが、意外にもボイストレーニングなどはほぼ受けていないという。

「トレーニングをやろうとレッスンを受けてみても、イメージしていたのと違っていたので長続きしなかったんです。ヤマハのボーカルタレントコースにも所属していたのですが、ロバータ・フラックがどれだけ歌が上手いかっていうことを知ったくらい(笑)。自分で歌った曲を聴いて、反省すべきところは反省して、伸ばせるところは伸ばしていくために独学でトレーニングしていましたね」

ファンとのサイン会などでも「歌います」とよく言われるという八神さんの楽曲たち。どういう部分が親しまれているのだろうか。

「カラオケブームの時代があったから、いまも歌い継がれていったのだと思います。楽曲のメロディーを追うだけだと、そんなに難しいことではないと思うんです。そこに、気持ちを乗せて抑揚をつけるのは違ったレベルになっていく。でも私も今と昔では歌唱法が変わっています。昔はささやくように歌っていました。だから、いまのYOASOBIのようなビートが効いた曲と、昔の楽曲もテンポを上げて繋げたら似ているので違和感がないんじゃないでしょうか」

憧れのホールでのライブ「やっと自分の番が回ってきた(笑)」

八神さん自身が手掛けるコンサート。どのような思いが詰まっているのだろうか。

「これまでもコンサートはやっていましたが、全国各地を回るツアーは、アーティストに魅力がないと組めないんです。でもツアーをやりたいってなると、どうすれば良いのかっていうところからスタートしました。
自分でコンサートを主催するので、シリーズ化できるようなコンサートを目指したんです。でもそのためには、リスクも負わなきゃいけない。会場の手配からチケットの販売方法、チラシも全部自分たちで用意しなければならない。もちろん、やってみないとわからないこともいっぱいあります。
コンサートを主催してみてわかったのは、スタッフが一丸となって同じ方向を見ているプロジェクトは上手くいく。そういう時は、みんな夢中でやっているから、リスクが怖くなくなっている。リスクを負うのが怖い間は、夢中になっていない。だからパワーも足りないんです。でも会場を借りてコンサートをするって、“お客さんがどのくらいくるだろう”って考え始めたら怖くなる。だから恐怖を感じたら夢中になっていないのだって考えるようになりました」

八神さんは「恐怖に打ち勝つためには、とにかく動き続けること」と明るい笑顔で語る。

「動き続けるためには、何でもいいから人に会いに行ったり、働き続けてみる。アドバイスをしてもらったり、お願いをしに行ったりとかね。そうやって動いているうちに、だいたい恐怖はなくなっていって、“失敗しても楽しいだろうね”って思えるようになるんです。やらないよりは絶対にやった方が良い。私の中で迷ったら、やらないっていう選択はない。必ずやるっていう選択をしてきた10年でしたね」

常に新しい挑戦をしているという八神さん。7月5日には「八神純子 キミの街へ 2024 ~Share the moment with you~」という新しいタイトルのコンサートを群馬県の高崎芸術劇場で開催する。

「高崎芸術劇場は、ずっとやってみたかった憧れのホール。“今度素晴らしいホールができる”って主催者の方から聞いていたんですが、何年か前にやっと完成して、最初に歌われているのが高橋真梨子さんだという話も聞きました。コンサートが決まった時は、やっと自分の番が回ってきた(笑)って喜びました」

2019年9月に開館した高崎芸術劇場は、地元の高崎市民はもちろん、全国、世界からたくさんのアーティストや観客が集う。「大劇場」、「音楽ホール」、「スタジオシアター」の主要3ホールで構成され、そのホール機能は国内有数。今回、八神さんのコンサートが開催されるのは国内最大級の舞台面積と舞台間口の広さをもつ「大劇場」だ。八神さんの圧倒的な歌唱力とヤガミグミの迫力ある演奏をこの劇場で体感できる。

「群馬ではこれまでもギターとピアノだけのコンサートはやってきたのですが、今回はギター、ベース、ドラム、キーボードとフルバンドで演奏します。これまでギターとピアノだけの演奏しか観たことがなかった人にも、初めてバンドスタイルで聞いて頂く機会ができる。それが嬉しいです。そして、『TERRA ~here we will stay』という、これはもう日本だけじゃなくて、海外にも届ける私の使命を感じた作品なんですけど、それをフルバンドで、高崎で届けるっていうのは、私にとって来る時が来たかみたいな感じで、すごい楽しみなんです」

晴れ晴れとした表情で語る八神さん。聞いていた取材陣も元気づけられるインタビューだった。

八神純子(やがみ・じゅんこ)
1958年1月5日生。愛知県出身。シンガーソングライター。高校在学中からコンテストに出演し、1974年『第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト』に出場し優秀曲賞に入賞。1978年『思い出は美しすぎて』でプロデビュー。以来、『みずいろの雨』『パープルタウン ~You Oughta Know By Now~』などヒット曲を生みだす。1986年にアメリカに移住。現在も海外と日本を行き来しながら音楽活動を続けている。

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