食と栄養は全てのSDGs目標を下支えする―― ヒントは“ジャパン・ニュートリション”に

精力的に海外視察を行う中村氏は2023年、アフリカの農村を訪れ、妊産婦への栄養指導を行った(講演資料より。後列中央の帽子の男性が中村氏)

Day1 ブレイクアウト

80年前、戦後の焼け野が原から再出発し、今や世界有数の長寿国となった日本。ここに至るには、栄養士の資格を持つ人たちを中心とした栄養教育の普及、栄養改善の積み重ねがあった。本セッションでは、そうした日本の栄養改善の道のりを“ジャパン・ニュートリション(Japan Nutrition)”という用語を使って世界に発信し続ける、日本栄養士会会長の中村丁次氏の講演を通じて、SDGsの17目標の全てを下支えする「食と栄養」の重要性について改めて思いを巡らせた。(依光隆明)

スピーチ
中村丁次・公益社団法人 日本栄養士会 代表理事会長/公立大学法人 神奈川県立保健福祉大学 名誉学長
児玉圭司・一般財団法人 KODAMA国際教育財団 理事長
司会進行
岡山慶子・朝日エル会長/一般財団法人 KODAMA国際教育財団 理事

中村氏

SDGsの17目標に「栄養」という言葉は直接的には出てこない。中村氏はその理由を「すべての項目を下支えする概念だから1つの項目として扱えなかったのではないか、という説に賛同する」として、17目標の一つ一つと栄養とのかかわりを解説していった。

目標1の「貧困をなくそう」について、中村氏は終戦直後の写真を映し、「これはアフリカやアジアの写真ではない。80年前の日本の姿だ」と説明。「よく伝統的な日本食は健康にいいという話があるが、そうではない。江戸時代までの日本人の平均寿命はわずか50歳。ほとんどの日本人は欠乏症で悩まされ、体型は小さかった」と指摘。終戦の数カ月前、B29の空襲に遭う中で栄養士という専門職が誕生したことを明かした。

戦後間もない日本の状況についての写真と解説(講演資料より)

戦後、アメリカの余剰小麦が日本に持ち込まれ、学校給食が始まった。これによって子どもたちの栄養状態は大きく改善し、栄養士を中心とした栄養教育が日本の隅々にまで行き渡った。中村氏は、「子どもの時の栄養教育が一生にわたって教育レベルを上げ、労働生産性を上げる。その実例が日本の学校給食だ」と力説する。

中村氏によると、世界は今、栄養に関して、「飢餓による栄養不足」と「肥満による栄養過多」、そして「体の成長や発展のためにごく少量でも必須とされるビタミンやミネラルの摂取不足」の3つの問題を抱えている。その具体例として中村氏は、「今年1月に視察に行ったベトナムでは子どもたちの6割が肥満だった」と話し、「発展途上国のスラム街に行くと失明した子どもがたくさんいる。ビタミン欠乏症による失明だ」と続けた。

小魚や雑穀を入れた“パワーがゆ”(講演資料より)

中村氏は世界各地の栄養教育の現場に足を運んでいる。少しの工夫で栄養改善が図られる例としてはアフリカの農村のヘルスセンターで、出産前の1カ月間、栄養教育を受けるために共同生活を送る妊産婦たちの話を紹介した。これまで彼女たちはトウモロコシのおかゆを食べていたが、それではたんぱく質もビタミンも欠乏する。そこで、丈夫な赤ちゃんを産むため、小魚や雑穀を入れた“パワーがゆ”を食べるよう、中村氏ら日本栄養士学会が指導し、村に普及させているのだという。

つまりここにはSDGsの目標2「飢餓をゼロに」と、目標3「全ての人に健康と福祉を」、目標4「質の高い教育をみんなに」に共通する答えがある。目標5「ジェンダー平等を実現しよう」についても、栄養の改善が、女性の社会的地位の向上につながる。中村氏は、「飢餓から脱出するには、食料の増産と質的改良を行い、栄養状態を改善する。そうすれば労働生産性が上がり、経済が豊かになり、収入が増え、教育を受けることができるようになる」と、栄養を軸とした好循環の重要性を繰り返し述べ、「いちばん最初にやるのは国民の栄養状態をよくすること。日本が良い例だ」と「ジャパン・ニュートリション」を世界に発信する意味を強調した。

さらに中村氏は、目標8「働きがいも、経済成長も」と目標9「産業と技術革新の基盤をつくろう」の観点では、「栄養改善が個人の働きがい、生きがいを高め、経済成長を促進する」と説明。栄養不足は、理解力や集中力を低下させ、疲労感や無力感を増大させるなど、精神面にも大きな影響を及ぼすことが分かっているという。

また、目標6、7、11、13、14、15については「大きく環境問題だ」と捉え、「これからは地球環境にも健康にもいい食事のあり方を考えなくてはいけない」と問題提起。その上で2019年に医学誌上で科学者たちが発表した「2050年、約100億人に達する人類が誰も排除されず、それぞれの地域で健康と文化を維持する理想的な食事」のパターンが「現在の日本人の食事に非常に近い」と指摘し、「コメと魚を中心に野菜と果物、豆腐や乳製品、発酵食品を意識的に摂る。これが現時点での良い食事なんではないか」と述べた。

食料の供給だけでは人権は保障されない

そして、目標10「人や国の不平等をなくそう」、目標11「平和と公平を全ての人に」、目標12 「パートナーシップで目標を達成しよう」について、中村氏は、「今日、私がいちばん言いたかったのは、この平等や平和、人権の問題だ。食料の供給だけでは人権は保障されない」と強調。日本での事例として、2017年に埼玉県内の留置所に留置された男性が、食事が原因で脚気になったと県に損害補償を求めた訴訟で、「健康上必要なビタミンB1が食事に含まれていなかったことを認識できたはずなのに、注意を怠った」として県に55万円の支払命令が出たことを示し、「留置所だけで起こるわけではない。いずれは病院でも福祉施設でも起こりうる。栄養ケアが人権として尊重され、保障されなければならない」と警鐘を鳴らした。

「適正な食料が得られる権利と、健康を維持する権利。この二つの人権をつなぎ合わせるブリッジになるのが栄養ではないか」。中村氏の講演は、SDGsの根幹となる人権を支える柱が栄養であり、そのヒントが戦後の日本にあることを深く聴衆に感じさせるものとなった。

日本と縁 ラオスで栄養改善プロジェクト進む

日本栄養士会では、アジアを中心に、正式な依頼のあった国に対して、管理栄養士らによる教育や、管理栄養士らの養成など、栄養改善の基盤の構築を支援している。そのために選ばれた国がラオスだ。

児玉氏

本セッションでは、中村氏の講演に続いて、KODAMA国際教育財団理事長の児玉圭司氏が、2015年にラオスの地方に小学校をつくり、その後、2020年には首都ビエンチャンにESD教育を取り入れた幼稚園と小学校を開校するなど、日本とラオスの橋渡し役として、ラオスでの教育に力を入れていることを報告。ラオスの学校でも栄養教育と一貫性を持った給食の取り組みを進める中で中村氏と出会い、それがラオス全体の栄養改善プロジェクトへと発展していった経緯に触れ、「ラオスの人々がより豊かになることを願っている。学校で夢や目標を持つことを学び、将来のラオスの力となり、世界で活躍できる子どもたちを一人でも多く輩出することができればこんなに嬉しいことはない」と希望を語った。

岡山氏

司会進行を務めた岡山慶子氏は、KODAMA国際教育財団理事として日本栄養士会の支援先にラオスを紹介した当人でもあり、今、ラオスと日本の間で栄養改善プロジェクトが本格的に進んでいることについて、「日本の栄養に関わる研究者や専門職の方がそれぞれに関わってくれている。まさに縁が結ばれて、ラオスでこういう取り組みが生まれているのは私たちにとっても幸せなことだ」と笑顔を見せた。続けて中村氏の講演を振り返り、「食料を保障するということは、国と国との間で争いに発展することもある。しかし、栄養に関してはそういうことは起こらないんだと。栄養の改善こそが真の人々の平和につながると言われたことがいちばん印象に残っている」と述べ、栄養改善が「SDGsの全てを集約するキーワードである」ことを確認してセッションを終えた。

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