穏やかすぎる保護クマ「とよ君」  日本熊森協会インタビュー「熊害と対策」

腕がマッチョな冬眠明けの高代寺のツキノワグマ「とよ君」(撮影:野口宣存)

昨今、熊害(ゆうがい)が話題になることが多い。特に去年(2023年)は熊害のニュースが相次いだ。山歩きを愛する我々アウトドア愛好家にとって、熊害は身近な問題である。

そこで、大阪府豊能郡豊能町(とよのぐんとよのちょう)の高代寺(こうだいじ)で保護されているツキノワグマと、自然保護団体「日本熊森協会(にほんくまもりきょうかい)」(以下、熊森協会)のもとを訪ねた。

■高代寺山

高代寺山山頂。眺望はまったくない
高代寺。タヌキ和尚に入山料を納める
高代寺山の尾根にある戦国時代の吉川城跡

高代寺山(こうだいじやま・標高488.5m)は、大阪府豊能郡豊能町と兵庫県川西市の県境に位置する。高代寺山は眺望がないため、山頂付近のツキノワグマを保護している高代寺のほうが有名だ。

高代寺は弘法大師の草庵が始まりの由緒ある古刹。平安時代に源満仲(みなもとのみつなか)が、父であり清和源氏(せいわげんじ)の祖である源経基(みなもとのつねもと)の菩提(ぼだい)を弔うため、寺を建立した。高野山(こうやさん)の代わりということで「高代寺」と呼ばれたらしい。

なお高代寺から山頂までは歩いて10分くらい、高代寺山の尾根にある戦国時代の吉川城跡(366.8m)までは20分ほどでたどりつける。

■高代寺のツキノワグマ「とよ君」

高代寺で保護されているツキノワグマは、「とよ君」(推定14歳)というオスのクマだ。

「とよ君」が高代寺で暮らすことになったきっかけは、2014年、イノシシの罠に誤って捕獲されたことに始まる。山に帰すことが禁止され、殺処分されそうになっていたところ、熊森協会と高代寺が保護を名乗り出た。高代寺境内に獣舎を建て、熊森協会とボランティアの方々がお世話をすることになったのだ。

「とよ君」に会って筆者が驚いたのは、「とよ君」の目が非常に穏やかだったことだ。ボランティアの方々によると、愛情を受けて世話をされた結果、「とよ君」は人に心を開くようになったらしい。

しかし、人に酷いことをされたはずの野生のクマが、心を開くものなのだろうか。熊森協会の名誉会長「森山まり子」さんに詳しい話をうかがった。

■熊森協会とは

熊森協会は、兵庫県西宮市に本部を置く全国組織の自然保護団体。環境破壊は森林破壊から始まるという考えから、クマが棲める自然豊かな森を守る活動をしている。

クマを守る「熊守(くまもり)」は、すなわちクマが棲む森である「熊森(くまもり)」を守ること。熊森協会にとって、森の生態系の頂点にいるクマは活動のシンボルであって、クマだけを守る自然保護団体ではないという。

■非常に臆病なツキノワグマ

長年クマにかかわり続けている森山さんによると、ツキノワグマは一言で言うと「非常に臆病」らしい。

したがって本来は平和的で無駄な殺生もせず、基本的に草食。時々スズメバチの巣を襲い、ハチを食べて動物性たんぱく質を摂取している。

近年、山でスズメバチの被害が増えているのは、ツキノワグマが減って生態系のバランスが崩れているからだという。

■熊害が多発する原因

昨今報道が多い熊害について、森山さんは「熊害を狭い視野で見てはいけない」と話す。水源枯渇による農業や工業への影響・土砂災害・漁業不振などの根本的原因も森林破壊によるものだ。熊害は、森林破壊により引き起こされた現象のひとつに過ぎないと言う。

ツキノワグマに限って言えば、臆病なのに人の生活圏に現れるということは、クマにとっては背に腹は代えられぬ緊急事態ということらしい。

具体的な原因は、植林と乱開発による「原生林の減少」だ。

植林と乱開発による原生林の減少のため、クマの餌となるドングリやクリなどの木が育たなくなったのだ。加えて、原生林の乱開発減少によりツキノワグマが冬眠する木のウロ(木に空いた自然の穴・樹洞)がなくなっている。冬眠できず冬の山には餌もないため、餌を求めて人里に下りるしかないのだ。

■ツキノワグマとの遭遇を避ける方法

クマに襲われないためには、「ツキノワグマを脅かさない」というのが基本だという。

ツキノワグマは臆病なので、人の気配を感じたら逃げる。そのため人がツキノワグマに遭遇することは稀なこと。しかし滝の近くなど音がかき消される場所や、餌に夢中になっている時などは、ツキノワグマも人の接近に気づかないときがあるらしい。

したがって一般的なことにはなるが「クマ鈴」や「ラジオ」などで人の存在を熊に知らせることが、クマとの遭遇を避ける最良の方法とのことだ。

また森山さんは、「子グマを見たら引き返すべし」と話す。ツキノワグマは親子の情が厚く、絶対に育児放棄はしない。つまり子グマの近くには必ず親グマがいる。そのため、子グマを見たらすぐに来た道を引き返すのが安全らしい。

■万一、ツキノワグマに出合ってしまったら?

気を付けていても、ツキノワグマに出合ってしまったらどうするべきなのか、聞いてみた。

クマには臨界距離があるらしい。一般的なツキノワグマの臨界距離は12m。子連れの場合は20mだ。

うっかり臨界距離内に入ってしまうと、ツキノワグマは突進してくる。そして一撃を加え、人がひるんだ隙に逃げようとするらしい。

ただ逃げたい一心での行動なのだが、調査のために捕らえられたり、罠にかかり逃げられたものの負傷したことがあったり、猟師に撃たれたことのあるクマは人を恐れるあまり過剰防衛になりがちで、かなり危険だという。

万一、ツキノワグマに出合ってしまったら、絶対に敵意を示してはいけないと言う。特に男性はクマと戦おうとする傾向があるらしいのだが、普通の人はクマとケンカしても勝てないし、クマが興奮して逆効果になってしまうという。

では一体どうすればよいのかというと、敵意がないことを示すと効果的らしい。森山さんによると、例えば「ホイホイ」とクマが拍子抜けするような声を出しながら、落ちている細長い木の枝などを目の前で揺らすと、クマもケンカをする気が失せてしまうとのことだ。

■熊撃退スプレーは、たいてい間に合わない

「熊撃退スプレー」についても、森山さんに聞いてみた。

結論としては、ツキノワグマに出会っても、熊撃退スプレーを構える前に、たいてい襲われてしまうとのこと。なぜかというと出合って約1秒で、クマはやって来るからだ。

ツキノワグマの時速は40km、つまり秒速11.1m。一般的なツキノワグマの臨界距離は12mなので、出会うと一瞬で目の前に到達されてしまうのである。

では熊撃退スプレーはまったく役に立たないかと言えばそうでもない。例えば、クマの生態調査などは、熊撃退スプレーをいつでも発射できる状態にして、クマの棲む森に入る。そのような準備を施し行動すれば、熊撃退スプレーが有効とのこと。

■熊害を減らすため、我々ができること

熊森協会の森山さんによると、熊害というのは。森林破壊により引き起こされている一つの現象に過ぎないということだ。

森林破壊により、熊害だけでなく水源枯渇による農業や工業への影響・土砂災害・漁業不振など、国益にかかわる多くの問題がより深刻になっていく。熊害は単に山が荒れたからという単純な問題ではないのである。

そのため熊森協会は、これ以上破壊されないように森林を守るため、多様な植生を持つ原生林を購入し保全活動を行ったり、講演会を催したりと、多様な活動を行っている。

こうした事態に我々ができることは限られているが、「クマが棲む森を守る活動に参加してほしい」と森山さんは言う。保全活動には人手が必要なので、熊森会員だけでなくボランティアも募集しているとのことだ。

熊害について話をうかがったのだが、まさか熊害の背景に、こんな複雑な問題があるとは思ってもいなかった。森を守る活動は、我々の子や孫たちに日本国内の自然を残すことにつながる。微力でもこうした活動に参加してみると、山に対する視野が広がり、アウトドアライフがもっと楽しくなりそうだ。

【一般財団法人日本熊森協会】
・住所:〒662-0042 兵庫県西宮市分銅町1-4

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