『デ・キリコ展』東京都美術館で開幕 形而上絵画から古典主義的作品まで、世界各地から集められた約100点が一堂に

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20世紀美術、とりわけシュルレアリスムの画家たちに強い影響を与えた画家、ジョルジョ・デ・キリコ。彼の作品が100点以上展示される大回顧展『デ・キリコ展』が東京都美術館で4月27日(土) に開幕。8月29日(木) まで開催されている。

イタリア人の両親のもと、ギリシャで生まれ育ったジョルジョ・デ・キリコ(1888〜1978)。父の死後に移り住んだミュンヘンで美術を学んだデ・キリコは、ニーチェの哲学や、アルノルト・ベックリン、マックス・クリンガーらの作品に大きな影響を受け、「形而上絵画」と名付けた作品群で世界中から注目を集める存在となっていく。

同展は作風を変遷させながらも、自らの美を追求したデ・キリコの全貌を5章構成で迫る回顧展だ。展示室内にはデ・キリコの作品をイメージしたアーチ型の門が設えられた場所もあり、展示空間からもその作品世界を追体験することができる。

展示風景より (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

デ・キリコは生涯にわたって何百枚もの自画像、肖像画を描いた。第1章「自画像・肖像画」では彼の多様な画風について、自画像や肖像画の変遷でたどっていく。

《弟の肖像》は、のちにアルベルト・サヴィニオの名前で作家・劇作家・作曲家として活躍する実弟の肖像画。デ・キリコが象徴主義の画家、アルノルト・ベックリンの強い影響を受けていた頃に古典的な肖像画の形式に則って描いたものだ。

この約50年後に描いた《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》は、バロック時代の衣装を身に着けた自分自身を描いている。

《弟の肖像》1910年 ベルリン国立美術館蔵 (C) Photo Scala, Firenze / bpk, Bildagentur fuer Kunst, Kultur und Geschichte, Berlin (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》1959年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

第2章「形而上絵画」は、彼の代名詞とも言える「形而上絵画」について取り上げる。

「形而上(メタフィジックス)」とは、哲学において、形のないもの、形を超えたもの、つまり思考や精神、概念などを示す言葉だ。

1910年のある日、見慣れたフィレンツェのサンタ・クローチェ広場を見たとき、まるで初めて見る景色であるかのような感覚に襲われたデ・キリコは、この「啓示」をきっかけに、歪んだ遠近法用いたり、脈絡のないモチーフを配置した広場や室内、マヌカン(マネキン)などを描き始める。わかりやすいモチーフや構図を使っていながらも、どこか現実離れした不穏で神秘的な雰囲気を醸し出すこれらの作品を、後に自ら「形而上絵画」と名付けたのだ。

アーケードや長く伸びる影、雲ひとつないのに不穏な青空などを描いたイタリア広場のシリーズをデ・キリコは数多く描いている。この謎めいた作品群に、詩人で小説家、評論家のギヨーム・アポリネールや若きシュルレアリストたちはたちまち魅了されていった。

《バラ色の塔のあるイタリア広場》1934年頃 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館蔵(L.F.コレクションより長期貸与)(C) Archivio Fotografico e Mediateca Mart (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《イタリア広場(詩人の記念碑)》1969年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

第一次世界大戦勃発にともない、パリからイタリアのフェッラーラに移り住んだデ・キリコは、「形而上的室内」と呼ばれる室内空間を描くようになり、その後、マヌカンをモチーフにいた作品を生み出していく。

《福音書的な静物Ⅰ》1916年 大阪中之島美術館蔵 (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《形而上的なミューズたち》1918年 カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与)(C) Castello di Rivoli Museo d'Arte Contemporanea, Rivoli-Turin, long-term loan from Fondazione Cerruti (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《予言者》1914-15年 ニューヨーク近代美術館(James Thrall Soby Bequest)(C) Digital image, The Museum of Modern Art, New York / Scala, Firenze (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

同展では、各章の合間にデ・キリコの絵画以外の活動も紹介している。彫刻や舞台芸術においてもデ・キリコは精力的に活動を行っていた。

展示風景より デ・キリコによる彫刻群 (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
バレエ『ブルネッラ』衣装 1931年上演 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

1920年代に入ると、徐々に古典主義的な表現を取り入れ始めるが、そのことに対して多くのシュルレアリストたちは反発し、デ・キリコと袂を分かつこととなる。

第3章「1920年代の展開」、第4章「伝統的な絵画への回帰『秩序への回帰』から『ネオ・バロック』へ」では、デ・キリコの新しい表現、そして伝統的な絵画への回帰を取り上げる。

左:《谷間の家具》1928年 ナーマド・コレクション (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024右:《谷間の家具》1927年 トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与)(C) Archivio Fotografico e Mediateca Mart (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

デ・キリコは1920代頃からルネサンス期の作品に、1940年代にはバロック期に傾倒し、自らの作品も西洋絵画の伝統的な様式へと回帰していく。

《風景の中で水浴する女たちと赤い布》1945年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

そして、最終章となる第5章「新形而上絵画」は、最晩年、1960年代後半以降について取り上げる。「形而上絵画」から始まり、古典絵画へと回帰していったデ・キリコは、その後、さらにそれまでの経験をふまえた「新形而上絵画」と呼ばれる新しい画風を切り開き、亡くなるまでの10年にわたって描き続けた。「新形而上絵画」では、かつての形而上絵画にあった寂しさや寂寥感は薄れ、よりいっそう謎めいた作品が増えている。

《オデュッセウスの帰還》1968年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《瞑想する人》1971年 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵 (C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

若い時期に脚光を浴びながらも、そのスタイルに甘んじず、批判を浴びながらも自らの芸術を追求し続けてきたデ・キリコ。世界各地から集った約100点以上もの作品で、その画業を通覧できる貴重な機会だ。彼が作り出す不思議な世界をしっかりと目に焼き付けよう。

取材・文・撮影:浦島茂世

<開催概要>
『デ・キリコ展』

2024年4月27日(土)~8月29日(木)、東京都美術館にて開催

公式サイト:
https://dechirico.exhibit.jp/

チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2448562

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