「凍った死体をトラックに積み込みました」104歳、シベリア抑留を語る 病院側は「体力的に今回が最後の講演会」…しかし本人は「あと20回くらい続けたい」

自身の戦争体験を語り、平和の重要性や真の戦争の姿を伝えたい。
これまで30回を超える講演会で語り続けてきた104歳の男性が、入院中の病院でもマイクを握りました。病院は「体力的に今回が最後の講演になるかもしれない」としていますが、本人は「あと20回くらい続けたい」と意気込んでいます。

9日、島根県吉賀町の「よしか病院」で開かれた戦争体験講演会で力強く話すのは野村定男さん、なんと104歳です。

大正9年元日生まれの野村さんは、94歳の時、それまで家族の誰にも話していなかった戦争の悲惨さを後世に伝え残さなければといけないと使命感が湧き、近隣の学校などを会場にこれまで38回の講演を続けてきました。

しかし、さすがに104歳という年齢から体力が衰えてきたとのことで、今年3月から「よしか病院」に入院しています。

それでも講演を開き続けたいという野村さんの熱意を受け、主治医も、野村さんの生きる力になればとの思いから病院内で講演会を開くことを提案。今回実現しました。

病院1階のリハビリテーション室で開かれた講演会には、地元の中学校の生徒や病院職員ら約60人が参加し、ひとことひとこと力強く話す野村さんの言葉に耳を傾けました。

野村さんは終戦から3年間、シベリアで抑留されていました。

野村定男さん(104歳)
「シベリアでの生活、気温マイナス35度から40度、水道管を埋める大変過酷な作業でした。
一番辛かったことは食事の量が少なかったことです。朝はパン一切れと動物の骨が入ったスープだけです。
たくさんの人が栄養失調で死んでいきました。鼻が凍傷で針を刺す痛さで、毎日が地獄のような日々でした」

「凍った死体をトラックに積み込みました。たくさんの死体がありました。もし母親が見たら、気が狂うだろうと思いました。こんなところで死んでなるものかと自分に言い聞かせました」

野村さんはシベリア抑留時の寒くてひもじい地獄のような有様を克明に記憶していて、自分の書いた原稿をしっかりと見ながら、枯れてはいるものの腹の底から吐き出すような強い口調で約30分間語り続けました。

野村さんは体験談の締めくくりとして「戦争は反対と言える人になって欲しい」と講演を結びました。

講演を聞いた生徒
「自分たちがいま幸せに生活しているのは野村さんたちがああいう辛い思いをしてきたからだと思います」

「野村さんの力強い講演を聞いて絶対に戦争をしてはいけないんだと思いましたし、次の世代に私たちが伝えていかなければと思いました」

病院では、野村さんが104歳となり、体力的に今回が最後の講演になると思われるとしていますが、野村さん自身は、まだまだ語り続けたいと意気込んでいます。

野村定男さん(104歳)
「子どもたちに戦争の悲惨さを知って欲しい。これからも講演を続けたい。あと20回くらい達成したいです」

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