【5月10日付社説】環境省の対話姿勢/復興進められるのか疑問だ

 水俣病の犠牲者慰霊式後に行われた懇談中に被害者団体側の発言が遮られた問題で、環境省は懇談について、患者や被害者らの意見を聞いたというアリバイづくりの場としか考えていないことを露呈した。東京電力福島第1原発事故に見舞われた被災者との対話に、同じような姿勢で臨んでいないか、疑念が拭えない。

 熊本県水俣市で行われた被害者らと伊藤信太郎環境相の懇談で、被害者側の発言中、持ち時間の3分を過ぎたことを理由に、環境省の職員がマイクの音を消した。発言者の持ち時間に関する事前の説明はなかった。

 数十年にわたり水俣病に苦しめられている被害者側の訴えを一方的に遮った環境省の対応は、暴挙というほかない。

 伊藤氏は懇談後、「マイクを切ったことを認識しておりません」と述べた。会場からは「認識できたでしょ」との抗議の声が上がったが、早々に退席した。

 当初は担当職員が被害者側に謝罪する方向で調整されていたものの、批判の高まりを受け、伊藤氏自らが直接謝罪する事態に追い込まれた。環境行政のトップとして現場にいながら、職員の対応を正せず、人ごとのような姿勢に終始した伊藤氏の責任は重い。

 今回の問題は本県にとっても看過できるものではない。原発事故に伴う除染で出た土壌の、県外での再生利用と最終処分を環境省が担っているからだ。

 法律に定められている2045年3月までに最終処分を完了させるためには、安全性が確認された土壌の県外再生利用を進め、処分量を減らすことが欠かせない。ただ、環境省が東京都新宿区や埼玉県所沢市で進めてきた再生利用の実証事業は、地元の反発が強く、事実上頓挫した。

 実証事業ですら地元の理解を得られず、環境省の合意形成の在り方に疑問符が付く中で今回の問題が起きた。理解醸成に向けた対話も満足にできないのなら、再生利用事業は早晩行き詰まる。

 水俣病の公式確認から68年が経過した現在も、被害者らが窮状を訴えているのは、国による救済が不十分なことの表れといえる。被害者らの声を受け止め、切迫感を共有することのできない環境省では、本県の環境回復への取り組みも停滞を招くであろうことは想像に難くない。

 今回の問題を伊藤氏の謝罪だけで終わりとしてはならない。どう各地の課題を解決し、務めを果たしていくのか。環境省全体で考える契機とする必要がある。

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