Mrs. GREEN APPLE、米津玄師、藤井 風、女王蜂……一人複数役を演じるMVによって深まる解釈

アーティストが都度、様々なメッセージや主題を込めて作った楽曲。我々リスナーはそのサウンドに耳を傾け、ないしは歌詞に記された内容を読み解いて彼らの渾身作を受け取るが、時にサウンドや歌詞以外の要素が楽曲の解釈をさらに深めてくれることもある。

メディアなどで語られるアーティスト本人の言葉や、デジタル配信の進んだ今では存在が希薄になりつつある、歌詞カードやジャケット写真を含めたパッケージデザイン。そして時に曲の印象を最も大きく左右するのが、その世界観をより視覚的に反映するMVなどの映像である。

昨年「ケセラセラ」などのヒットナンバーで大きく支持を広げたMrs. GREEN APPLE。彼らがTVアニメ『忘却バッテリー』(テレビ東京系)のオープニング主題歌として書き下ろし、今年4月にリリースされた「ライラック」のMVが、メンバー3人で計18役もの登場人物を演じたことで話題になっている。中でも大森元貴(Vo/Gt)は学生や教師、清掃員やカフェ店員といった12役で登場。それぞれの役柄における演じ分けも見どころとなっている。

アニメ『忘却バッテリー』では、圧倒的なスター性を持つバッテリーコンビと、かつて2人に敗北を喫した面々が数奇な縁で繋がり、共に高校野球で高みを目指す青春群像劇を描く。作品の要は、ドラマの“主人公”になり得る存在と、“脇役”に留まらざるを得ない存在、両者の協働で物語が紡がれる点だ。「ライラック」のMVではアニメと同様、学校を舞台とし、そこにおける“主人公”の学生と“脇役”の大人を、各メンバーが一人複数役で演じる。あるいは作中の“主人公”と、彼らの物語を“脇役”として楽しむ視聴者というメタ構造でもあるかもしれない。MV単体でも曲やバンドの魅力を存分に感じられるが、アニメの内容を踏まえることで、その魅力をもう一段深く味わえる映像ともなっている。

本曲に留まらず、以前からアーティスト本人による一人複数役で曲の世界観を表現する手法が、たびたびMVの中で用いられてきた。上記のように、曲が内包する主題や構造を表現するものがしばしば散見される。

その例として、以下に挙げる楽曲群も見てみよう。

まずは米津玄師のシングル『Pale Blue』(2021年)収録の「死神」。古典落語の有名な演目をオマージュし、カップリング曲らしからぬ異例の注目を集めた本作。MVでは噺家、観客、そしてスーツ姿の死神をすべて米津自身が演じたことでも話題を呼んだ。

噺家の人生と演目「死神」の展開のリンクが、本映像のユニークな点のひとつ。しかしそれ以上に全役柄を米津が一人で演じた点こそ、古典落語という文化への真摯な敬意を感じ取れるポイントだ。通常高座に上がる噺家は、演目の物語の登場人物全員を己の身ひとつで演じ切る。その意味でも「死神」を歌う米津本人がMVで全役柄を演じたのは、古典落語本来の慣習を正しく踏襲した見事な演出という他ない。シングルのカップリング曲というマイナーな位置づけながら、曲に付随するコンテンツにも徹底してこだわる。稀代の表現者・米津玄師らしさが随所に光る1曲となっている。

また同じ手法のMVとして、以前から注目され、時を経てよりその真価を発揮した楽曲が、女王蜂の「売春」と「回春」だ。唯一無二の神秘性を持つフロントマン・アヴちゃん(Vo)を擁する女王蜂だからこそ作り得たのが、男女二役を見事に演じ分けた両曲のMVである。

以前より代表曲として支持を得ていた「売春」。MVのリンクにより(※1)、そのミラーソング的位置づけとも捉えられる「回春」が2023年にドロップされたことで、両曲に通ずる主題はより深度を増した。「売春」のMVで表現される性別対比のみならず、関係を持った男女の過去と今の時系列対比や、両者の向かい合わせ・背中合わせのポジション対比。先述のMrs. GREEN APPLE「ライラック」同様、一人複数役で対比構造を示唆する形式だが、こちらは2つの曲を用いることで対比構造を複数重ね、より重層的な主題を内包するMVとなった。

こうしてMVを観ることで、「売春」から月日を経て歳を重ねた2人の曲題が“買春”ではなく、あえて同音異義の漢字を用いた“回春=若返り”となっており、ウィットの効いたコンセプチュアルな2曲として作られている……と推測することも可能だろう。

最後に、藤井 風「満ちてゆく」についても言及したい。本作は愛の矛盾やままならなさを描く映画『四月になれば彼女は』主題歌として書き下ろされ、彼自身が特殊メイクを施して一人二役を演じたMVも注目を集めた。

以前から死生観や無為自然の哲学といったテーマを十八番とする藤井 風だが、これまでにも彼はたびたび、楽曲で生と死にまつわる対比を扱ってきた。その主題において、生と死は相反であると同時に、時にひとつの概念でともに内包される。そんな藤井の大きな特徴のひとつとも言える主張が、今作では顕著だ。〈やがて生死を超えて繋がる〉という歌詞の一節が、特にダイレクトにその価値観を表しているとも言えるだろう。

MVでも、藤井は老人と青年という対比性のある二役を一人で演じている。だが本稿に挙げた他事例との違いとしては、本曲のみ一人二役で同一人物を演じている点だ。その点でも今作のMVは彼が常時発信するメッセージ性を見事に反映しており、曲のテーマを的確に落とし込んだ非常に秀逸な映像となっている。

アーティストのメッセージや楽曲主題の示唆を手助けする、MVにおける一人複数役の手法。今回挙げた曲以外にも同様の表現を用いたものは多数あるため、当該作品に触れた際はテーマを考察するヒントのひとつとして着目してみても面白いだろう。楽曲の新たな解釈の扉を開く、鍵となり得るかもしれない。

※1:https://natalie.mu/music/news/517405

(文=曽我美なつめ)

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